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日本大好きNo120 高天原はヒルゼン高原だった [日本大好き]

建国が行われた蒜山高原には、現在は合祀されて、七座に減った神社があります。この神社に古事記に記載された、高天原に渡来した七十数名の神が、全員祭られています。これは、蒜山高原が高天原であった証拠と言っていいと思います。
 その他に、次の事実も指摘できます。
岡山県と鳥取県の国境に聳える山は、明治の分県地図には、「蛭山」と書かれています。「蛭」という漢字は、虫が付いています。裸足で田に入りますと、足にへばりついて、血を吸う、ぬるぬるの虫です。年配の方は、読むことが出来ますが、この字を読むことのできる人は少なくなったと思います。しかし、現在は「蒜山」と書きます。これを「ヒルゼンと読むことができる人は、輪をかけて少ないはずです。そう思いまして、タイトルは、ヒルゼンとカタカナにしました。
 明治ではなく、もっと古い文献には、どのように書かれているか調べていませんが、「蛭山」ではなかったかと推察しています。この山の名前は、イザナミが水蛭子を流産されたのに由来しているのではないかと思います。それが、どうして、誰が「蒜山」に書き改めたか分かりません。 邪推しますと、「ヒルゼン」という名前が、あまり有名になることを嫌った人がいたからではないでしょうか?

昭和4年に、蒜山高原の南の勝山町の中学校の教頭、佐竹淳如氏が、「神代遺蹟考」と題する論文を書きました。この内容は、蒜山高原が高天原だった研究です。この論文が不敬罪(ふけいざい)に問われ、発表が止められました。佐竹氏は裁判を行われないで、当時外地だった京城中学校に追放されました。不敬罪がどのようなものか、私には分かりません。辞書の説明によりますと、不敬罪とは、国王や皇帝など君主や、王族や皇族など君主の一族に対し、その名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為の実行により成立する犯罪とあります。当時の国王は天皇ですが、蒜山高原が高天原だったと言うと、天皇の名誉や尊厳を害したと判断されたことになります。
 広く解釈しますと、、天皇や側近の者にとって、蒜山高原が高天原であっては困ったことになります。それも、罰則は、裁判を行わないで、当時外地だった京城中学校に追放という罰は、相当厳しいものであったと判断されます。論文の発表を止めるだけではなく、蒜山高原の住民に口外することも禁止したと思われます。
 裏を返しますと、蒜山高原が高天原であるという説は、正しいと思いながら、肯定することを嫌がる人がいて、蛭山を蒜山にまで書き換えたと思われます。

隠そうとすることは、本当は、そうであるが、そうはさせたくなかったことの証明になります。
これに似たことは、いっぱいあります。
神武天皇に全く関係ない宮崎に、宮崎神宮が創建されたのは、大正2年です。私は、このようなことを偽史工作と呼んでいます。最大の偽史工作をしたのは、日本書紀だと考えていますが、これを立証するためには、膨大な紙面を要しますので、別の機会にしたく思います。偽史工作は、720年に日本書紀が完成したときから、続けられていますが、「蛭山」を「蒜山」に書き改めたのは、明治になってからのことです。このように、隠そうとすればするほど、蒜山高原が高天原だった研究は正しかったことになります。
そこで、田村誠一氏は、蒜山高原が高天原だった研究を援護するために、気が狂ったように研究をされました。その研究から、浮かびあがってきたことは、従来と違った観点から、古事記を読むということでした。
その内容の紹介を次回にします。
蒜山高原が高天原だったことが、古事記に書いてあるということです。


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