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No407  壬申の乱 と日本書紀 [日本大好き]

壬申の乱のことは、日本書紀には書かれていますが、古事記には書かれていません。
日本書紀に書かれてあることと古事記に書かれてあることは、似ている部分はありますが、殆ど、一致はしません。
 書かれている内容が、同じであれば、同じ部分に書かれてあることを丁寧に比べてみますと、どちらかが、間違っているか、間違っていなくても、書いた人の考え方を推察することは可能です。
 例えば、日本書紀には書いてあるが、古事記に書いてない時は、日本書紀の作者が書き遺したかったか、古事記の作者が書きたくなかったと考えることは、可能です。
 しかし、それも正しいとは限りません。たとえば、第三者の人が、古事記に書いてあることが気に入らないので、削除して写本したとも考えられます。

 このように複雑ですが、記紀に書かれていますと、正しい内容はどのようなものであったかを推理することができます。

ところが、壬申の乱のことは、日本書紀にしか書かれていませんから、日本書紀に書かれてあることは、正しいのか作りごとを書いたのか判断することはできません。

 そこで、日本書紀にかかれてあることは正しいということにして、解釈することにし、吉野から出発し、桑名までのコースを自分なりに推定してきました。何ヶ所か判断が出来ない所がありましたが、あまり不自然に感じる所はありませんでした。

 日本書紀では、桑名までは、大海人皇子の側から見た様子が書かれていました。その後は、近江朝廷が、どのような動きをしたかが書かれています。

此れまでと同様に、日本書紀に従って、どのような戦いが行われたかを見ていきます。
此れまでは、近江朝廷側から見た大海人皇子のことを見てきました。
 ところが、これからは、近江朝廷側となりますと、日本書紀を書いた人は、両方ともの様子を知っていたことになります。
 おかしいですね。
672年に壬申の乱があってから、日本書紀が完成した720年まで、50年ほどの時がありますから、誰でも知っていたのかも知れません。それにしても、内容が詳し過ぎますし、日本書紀の作者が、天武天皇の記事とは、別に、どうしても壬申の乱のことを書きたかった意気込みが感じられます。
これから見ていくところは、他の本に載っていたとか、近江朝廷側の誰かが、日記のような形で記録していたのかも知れません。

此れまでの部分と、これからの部分を混ぜてかきますと、小説になります。

ところが、別々に書いてありますから、不思議なものになっています。

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コメント 4

binten

「記紀」で検索してやってまいりました。

>日本書紀が完成した720年まで、50年ほどの時がありますから

そうですね。この50年の間に日本書紀編纂を命じた大海人(天武)は
亡くなり、天武の皇后だった持統が皇位についていて、彼女は天智の
娘で、なぜか壬申の乱後没落していた藤原家の私邸で即位したという
ことになっています。変だなぁと思ってしまう。
by binten (2008-08-10 14:46) 

vetty

訪問、ありがとうございました。壬申の乱は、皇位争いと思われています。しかし、それでは日本の歴史はの謎は解けないと思っています。日本と中国との戦争ではないかと思っています。 その証拠を見つけなければいけないのですが、なかなか見つかりません。古事記と日本書紀という漢字ばかりの立派な歴史書が残っているにも関わらず、それ以前に書かれたものが、全くないというのは不自然です。(全部、処分されたと思っています)
 古事記と日本書紀は、両方とも、天武天皇が、作るように命じたことになっていますが、これほど、内容の違う二冊の書物が、8年をおいて完成していることは、不自然です。
日本書紀は、藤原不比等が編纂を命じたと考えますと、不自然さは解消されますが、証拠がありません。 
壬申の乱が、日中戦争であったことの証拠を、コツコツ、集めるしかないと思っています。
by vetty (2008-08-11 04:10) 

田島敬一

 壬申の乱が日中戦争だったという指摘は、大変刺激的です。

 『倭国』の倭という文字にはニンベンが使われており、周辺国に獣へんを使ったりしている中国から見て侮蔑的な意味はないと思います。

 だいたい魏志倭人伝に邪馬台国のことが説明されていると言いますが、『魏』と『倭』を比べると、どちらにも委員会の『委』が使われていますが、中国の大国の名前が鬼で、倭国が人間であるとは、不思議だと思われませんか?

 委には萎縮や矮小のような小さなうなだれたということではなくて委員会の委のように委ねたとか、信頼できるという意味がありはしないでしょうか?

 旧唐書には、壬申の乱が倭国と日本の戦いであって日本が勝利したと書いてあるとインターネット検索で最近知りました。

 私は中国対高句麗の戦いだったのではないかと疑っているのですが…
朱蒙のドラマを見ていたら、高句麗の紋章は三足烏だと知りましたが、どうも太陽の黒点に私は見えます。すなわち高句麗族は日族だということではないのかなと、素人の直感で思ったのですが・・・いかがでしょうか?
by 田島敬一 (2009-01-29 13:54) 

vetty

壬申の乱は、中国対高句麗の戦いは頭に入れていませんでしたが、大いに関係のあることだと思います。 現在、壬申の乱のことは、もう調べるまでもなく、このシリーズの最初は、H20.12.01です。
 掲載してある場所は、http://skeikas.iza.ne.jp/ です。もう、100回目になります。
日本と中国の戦いだけではなく、天智天皇と大友皇子と天武天皇の連携プレーと考えています。

by vetty (2009-07-29 10:21) 

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