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No442天孫降臨(15)  鳥取県神社誌 [日本大好き]

No440、No441は鳥取神社誌を元に書きました。この神社誌に書かれていることがどこまで正しいかどうか判りませんが、沢山読んでいますと、神社の記事によって正しそうであるとか、あまり当てにならないと云うような感触は感じられます。
 
 現在は、天孫降臨が鳥取県であったのではないかという仮定をし、証明しようと探っているところです。
鳥取神社誌は昭和9年に、鳥取県神職会による発行になっています。
 高天原にいた天孫族が、高千穂に住んでいた大国主命に芦原の中ツ国を明け渡すように命令したのが天孫降臨です。
 なぜか、日本の歴史に携わる人は、高天原という天上から高千穂という山に降り立ったように理解しておられます。天上という所は、現実にはありませんから、神話で架空の話である。昔の人は、そのように考えたのだと理解されておられます。
 昔と言いましても、古事記ができたのは、712年、日本書紀が出来たのが、720年。最近のことです。現在の人間が、膨大なお金を費やしても、解読できないような記紀を書いた人です。その人たちが、神話に書いてあるようなことを紀元前から言い伝えられていたので、書きとめたのが記紀であるような解釈の仕方は、やはり、間違いであろうと云うのが、私の出発点です。(本当は田村誠一という方の考えられたことです)

 その証拠となるものは、鳥取県は、あまり知られていませんが、遺跡と古墳が多いことです。遺跡だけですと、多くの人が住んでいたことになりますが、古墳が多いとなりますと、戦争が多かったと考えたいところです。
 紀元前後のことを考えようとしますと、地名と神社ぐらいしかありません。
いつから神を祭るようになったかは、判りませんが、全国的に祀られるようになったのは、崇神天皇以後ではないかと思います。それは、記紀に記されているように、この天皇の御代に人民が死に尽きるほどの事件があったからではないかと思います。
 
 これまでは、神社をすべて眺めるというようなことはしませんでしたが、この度は、まだ少ししか読んでいないのですが、神社には、古事記や日本書紀に出てくる神ばかりが祀られています。記紀に登場する神は、1300年経っても、鳥取県では信じるというか、日常の一部として、祭祀を行っておられることが判ります。
 そうであれば、1300年どころか、2000年前にさかのぼっても、同じように、鳥取県に住んで居られる方の先祖の方は、同じところで、生活しておられたと考えるようになっています。

 鳥取県神社誌では、各神社のデーターだけではなく、データーの整理もしておられます。
例えば、 地域毎に、祀られている神の数を書いておられます。但し、明治時代にあった神社による数字です。
鳥取市 29柱
岩美郡 272柱
八頭郡 788柱
気高郡 388柱
東伯郡 774柱
米子市  28 柱
西伯郡 906柱
日野郡 902柱
 この数字をみますと、鳥取と言っても、やはり伯耆国で天孫降臨が行われて、その後、日野川の流域の西伯郡と
日野郡に勢力が移っていったのではという予測が出来ると思います。しかし、因幡国でも、千代川に沿って発展し
ています。

東伯郡は、 774柱でやはり、多いことになります。
もう一度、No435天孫降臨(8) 日本上陸(5)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2008-10-02
をご覧ください。 縄文遺跡も弥生遺跡も分布が、全体に散らばっています。自然にまかせますと、川に沿って、人が
住むところは広がっていきます。このように川と無関係とは言いませんが、広範囲に広がっていると云う事は、人為的に、住むところをバラバラにしたのではないかと考えています。
 この予想が、神社のことから浮かびあがるかどうかです。

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