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No486天孫降臨(59)   高尾八幡宮は高千穂があった所 [日本大好き]

田村誠一氏は、高千穂が、鳥取県県の大栄町にあったと確信されました。大山が、ノコギリ状にみえるからだけでは、誰も信じてくれません。
田村氏の天孫降臨が行われたところの証拠探しが始まりました。どれがはじめに発見されたのか判りませんが、その内の一つが、高尾八幡宮です。この神社は、北栄町のホームページ()には、884年(元慶8)に岩清水八幡宮別宮、種八幡宮として勧請され、藩政期には藩主池田家の祈願所として崇敬された。現在の社殿は明治時代中頃に東高尾と西高尾が競って寄進し、石垣の石の積み方や末社の拝殿などそれぞれの受け持ちによって違いが見られると記す。
と書かれていますが、
鳥取県神社誌(昭和9年発行)によりますと、大正4年4月21日 
栄村大字上種字宮惣鎮座村社 大宮神社 (祭神 大已貴命、別雷神、素盞鳴尊、瓊々杵命、菅原道真)
同大字東高尾字堂山鎮座 無格社 東高尾神社(祭神 素盞鳴尊)を合併す。
と書かれています。

と云う事は、北栄町の資料と鳥取県神社誌の資料を合わせますと、高尾八幡宮は、元々、884年(元慶8)に岩清水八幡宮別宮、種八幡宮として勧請され、種という所にできました。そこへ、上種字宮惣にあった大宮神社と東高尾字堂山にあった東高尾神社が大正4年に合併されたということにりなります。

 合併された後の現在の高尾八幡宮の祭神は 誉田別尊、帯中津彦命、気長足姫命、武内宿禰命、大已貴命、別雷神、素盞鳴尊、瓊々杵命、菅原道真となっています。
 合併された大宮神社 (祭神 大已貴命、別雷神、素盞鳴尊、瓊々杵命、菅原道真)
と東高尾神社(祭神 素盞鳴尊)を除きますと、誉田別尊、帯中津彦命、気長足姫命、武内宿禰命になります。
 合併前の高尾八幡宮の祭神は、誉田別尊、帯中津彦命、気長足姫命、武内宿禰命であった可能性が高いことになります。

 祭神に書かれている「誉田別尊」は応神天皇の別名で、応神天皇元年は270年になります。
八幡宮と言えば、お母さんの神功皇后と応神天皇を祭られていることは、だれでも知っています。このように変えてしまうと、暫くしますと、住民の記憶から、大宮神社の名前すら消えて、「誉田別尊」の名前だけが記憶に残ることとなります。
ところが、記録では、帯中津彦命、気長足姫命、武内宿禰命も祭神になっています。
北栄町のホームページを作られた方は、「884年(元慶8)に岩清水八幡宮別宮、種八幡宮として勧請され、」という資料は、どこから持って来られたものでしょう。

鳥取県神社誌に、次の文があります。「当社に古き経筒を蔵す、理学博士坪井正五郎、文学
博士三宅米吉の鑑定によれば、藤原時代物ならんと、尚当社か石清水八幡宮別宮なりし事、元歴二年正月十九日右大将頼朝の社領安堵の下文(石清水所蔵古文書)にあり。」と書かれてあり、これが根拠でしょうか? 元歴二年は1885年のことです。石清水所蔵古文書に書かれてあるから、高尾八幡宮は、884年(元慶8)に岩清水八幡宮から勧請された理由にはなりません。

全国の八幡宮を全部調べる訳に行きませんが、下に関連リンク先を記しました。
富岡八幡宮、http://www.tomiokahachimangu.or.jp/
鶴岡八幡宮 http://www.hachimangu.or.jp/index2.html
盛岡八幡宮 http://www.morioka8man.jp/htdoc/home.html
宇佐神宮 http://www.usajinguu.com/Frame.html
  宇佐神宮は全国4万社余りの八幡宮の総本宮です。八幡さまは応神天皇の御神霊で、欽明天皇の32年(571)に初めて宇佐の地に御示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入、新しい国づくりをされた方で、その神徳は強く顕現し、神亀2年(725)、聖武天皇の勅願により現社地に御殿を造立、八幡神を奉祀されました。これが宇佐神宮の創立です。(宇佐神宮のホームページより)

大宮八幡宮 http://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/
石清水八幡宮 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
清和天皇が即位した翌年の貞観元年(859年)の夏、弘法大師空海の弟子であった南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折に「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受けた。これを受けて、その翌年の860年、清和天皇の命により社殿を建立したのを創建とする。(ウィキペディアより)

上記のことから、各神社の創建は、次のようになります。
宇佐八幡宮 725年創建、
石清水八幡宮 859年
高尾八幡宮 884年
  
720年は、日本書紀の完成した年。同じく、藤原不比等死亡。このように並べてみますと、神功
皇后と応神天皇が祀られている八幡宮は、日本書紀と大いに関係があるのではないかと思います。
 日本書紀には、いろいろ不思議なことが書かれていますが、最大の謎は、各天皇並みに、「神功皇后」と「壬申の乱」が書かれています。
 ここまでは、私が考えてきましたが、田村誠一氏は、理由は書いておられませんが、東伯郡大栄町高千穂の上種あった瓊瓊芸命を祭った大宮神社が、消されて八幡宮となったと書いておられます。
 その証拠らしきものを挙げますと、戦後に発行となりました【神社名鑑】の八幡宮の祭神では、瓊瓊芸命が消されていることを指摘しておられます。
田村氏は、大正時代でも、昭和の戦後でも、大栄町にあった大宮神社の存在を知られたく
ない人が居られるということは、大宮神社があった上種字宮惣が高千穂なのだと書いてお
られます。ヒルゼン高原にあった大宮神社も無くなっています。
 元々、天孫降臨で、高千穂に来られたのが、紀元前150年のころです。その後、すぐ近くに居られた神武天皇は、紀元前20年ころに、神武東征に出発、奈良の橿原に宮城を定めたのが、紀元元年一月一日。その後、何時、高千穂の後に、大宮神社が祀られるようになったか判りませんが、859年には、近くに、種八幡宮が勧請せられ、大正4年には、大宮神社は、吸収されることになりました。


高尾八幡宮の資料と考察は次に書いています。
【資料No37高尾八幡宮】
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2008/10/post-3e90.html


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