No576神武東征(25) 豊国の宇佐(26) 艇と亀甲(3) [日本大好き]
もう一度、古事記を見ます。
〔竺紫の岡田宮に一年坐しき。またその国より上り幸でまして、阿岐国の多祁理宮に七年坐しき。またその国より遷り上り幸でまして、吉備の高島宮に八年坐しき。故、その国より上り幸でまし時、亀の甲に乗りて、釣しつつ打ち羽挙き来る人、速吸門に遇ひき。ここに喚び帰せて、〕間違いなく、神武天皇が、吉備の高島宮を出発して速吸門のところに来たら、亀の甲に乗りて、釣しつつ打ち羽挙き来る人にであったと書いてあります。
〔「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、「僕は国つ神ぞ」と答え曰しき。また「汝は海道を知れりや」問ひたたまへば、「よく知れり」〕と答え曰しき。また、「従に仕へ奉らむや」と問ひたまへば「仕へ奉らむ」と答へ曰しき。故ここに槁機(さお)を指し渡して、その御船に引き入れて、すなはち名を給ひて、槁根津日子と号けたまひき。こは倭国国造等の祖。
倉野憲司氏の翻訳です。
この部分と同じ様子を書いたと思われる部分が、日本書紀にあります。
日本書紀の原文を書きます。
【其年冬十月丁巳朔辛酉。天皇親帥諸皇子・舟師東征。至速吸之門。時有一漁人。乗艇而至 天皇招之。因問曰。汝誰也。対曰。臣是国神。名曰珍彦。釣魚於曲浦。聞天神子来。故即奉迎。又問之曰。汝能為我導耶。対曰。導之矣。天皇勅授漁人椎 末令執、而牽納於皇舟。以為海導者。乃特賜名、為椎根津彦。〈 椎。此云辞毘。 〉此即倭直部始祖也。行至筑紫国菟狭。〈 菟狭者地名也。此云宇佐。 〉時有菟狭国造祖。号曰菟狭津彦。菟狭津媛。乃於菟狭川上。造一柱騰宮。而奉饗焉。〈 一柱騰宮。此云阿斯毘苔徒鞅餓離能宮。 〉是時。勅以菟狭津媛。賜妻之於侍臣天種子命。天種子命。是中臣氏之遠祖也】
以前に書きましたように、速吸之門の場所が違います。そのくせ、速吸之門にやってきた漁師は、亀甲ではなく、艇に乗ってやってきました。両方とも国津神であったり、椎根津彦(日本書紀)や槁根津日子(古事記)の名前が登場します。
船へ漁師を引き入れる時に使った棹が、日本書紀では、椎の木でできていたとえらい詳しいです。古事記のほうでも、竿(竹の)を使わずに、槁機を使っています。竹製ではなく、木製だと書いてあります。「槁」このような漢字を見られたことがありますか? 木へんですから、木でできているのでしょう。 その横が、「高」です。きっと、高い木から作ったのでしょう。そうなると長い棹と云えます。本当かどうか調べてください。
それを日本書紀の人は、「椎の木」だと書きました。
私が何を言おうとしているかお解りですか、日本書紀を作った人は、古事記を参考にして、一字一句を別の漢字に書き換えたことが判ります。それほど、書き換えることが重要だったことが判ります。
古事記では、「亀甲」に乗ってきたと書いたのを見て、日本書紀の作者は、これは、戦争用だと知っていたのでしょう。だから、小舟とか、船とは書き変えないで、「艇」と書き換えたのだと思います。
この部分で、古事記が書きたかったのは、
①槁根津日子は倭国国造等の祖である。
②天孫族と国津神の違い。どのようにして、国津神が、天孫族の元で働くようになったかを示しています。
一方、日本書紀の方は、古事記に書いてあることを否定し、最大の目的は、【天種子命。是中臣氏之遠祖也】を伝え残したかったと思われます。
自分たちの先祖は、中臣氏の出身であることを記しました。
いかがでしたか?
艇と亀甲を軍用船と見ますと、槁根津日子は、はじめから、戦争に参加するために、軍用船を持参で、やってきたことが判ります。
〔竺紫の岡田宮に一年坐しき。またその国より上り幸でまして、阿岐国の多祁理宮に七年坐しき。またその国より遷り上り幸でまして、吉備の高島宮に八年坐しき。故、その国より上り幸でまし時、亀の甲に乗りて、釣しつつ打ち羽挙き来る人、速吸門に遇ひき。ここに喚び帰せて、〕間違いなく、神武天皇が、吉備の高島宮を出発して速吸門のところに来たら、亀の甲に乗りて、釣しつつ打ち羽挙き来る人にであったと書いてあります。
〔「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、「僕は国つ神ぞ」と答え曰しき。また「汝は海道を知れりや」問ひたたまへば、「よく知れり」〕と答え曰しき。また、「従に仕へ奉らむや」と問ひたまへば「仕へ奉らむ」と答へ曰しき。故ここに槁機(さお)を指し渡して、その御船に引き入れて、すなはち名を給ひて、槁根津日子と号けたまひき。こは倭国国造等の祖。
倉野憲司氏の翻訳です。
この部分と同じ様子を書いたと思われる部分が、日本書紀にあります。
日本書紀の原文を書きます。
【其年冬十月丁巳朔辛酉。天皇親帥諸皇子・舟師東征。至速吸之門。時有一漁人。乗艇而至 天皇招之。因問曰。汝誰也。対曰。臣是国神。名曰珍彦。釣魚於曲浦。聞天神子来。故即奉迎。又問之曰。汝能為我導耶。対曰。導之矣。天皇勅授漁人椎 末令執、而牽納於皇舟。以為海導者。乃特賜名、為椎根津彦。〈 椎。此云辞毘。 〉此即倭直部始祖也。行至筑紫国菟狭。〈 菟狭者地名也。此云宇佐。 〉時有菟狭国造祖。号曰菟狭津彦。菟狭津媛。乃於菟狭川上。造一柱騰宮。而奉饗焉。〈 一柱騰宮。此云阿斯毘苔徒鞅餓離能宮。 〉是時。勅以菟狭津媛。賜妻之於侍臣天種子命。天種子命。是中臣氏之遠祖也】
以前に書きましたように、速吸之門の場所が違います。そのくせ、速吸之門にやってきた漁師は、亀甲ではなく、艇に乗ってやってきました。両方とも国津神であったり、椎根津彦(日本書紀)や槁根津日子(古事記)の名前が登場します。
船へ漁師を引き入れる時に使った棹が、日本書紀では、椎の木でできていたとえらい詳しいです。古事記のほうでも、竿(竹の)を使わずに、槁機を使っています。竹製ではなく、木製だと書いてあります。「槁」このような漢字を見られたことがありますか? 木へんですから、木でできているのでしょう。 その横が、「高」です。きっと、高い木から作ったのでしょう。そうなると長い棹と云えます。本当かどうか調べてください。
それを日本書紀の人は、「椎の木」だと書きました。
私が何を言おうとしているかお解りですか、日本書紀を作った人は、古事記を参考にして、一字一句を別の漢字に書き換えたことが判ります。それほど、書き換えることが重要だったことが判ります。
古事記では、「亀甲」に乗ってきたと書いたのを見て、日本書紀の作者は、これは、戦争用だと知っていたのでしょう。だから、小舟とか、船とは書き変えないで、「艇」と書き換えたのだと思います。
この部分で、古事記が書きたかったのは、
①槁根津日子は倭国国造等の祖である。
②天孫族と国津神の違い。どのようにして、国津神が、天孫族の元で働くようになったかを示しています。
一方、日本書紀の方は、古事記に書いてあることを否定し、最大の目的は、【天種子命。是中臣氏之遠祖也】を伝え残したかったと思われます。
自分たちの先祖は、中臣氏の出身であることを記しました。
いかがでしたか?
艇と亀甲を軍用船と見ますと、槁根津日子は、はじめから、戦争に参加するために、軍用船を持参で、やってきたことが判ります。
2009-06-01 00:19
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箸墓(はしはか)古墳は 西暦250年前後に築かれた可能性が高くなったようです。
http://sankei.jp.msn.com/science/science/090531/scn0905310236000-n1.htm
by 太郎さん (2009-06-01 02:05)
田村誠一氏は、箸墓古墳は、崇神天皇の妹の卑弥呼の墓だとはじから言っておられます。卑弥呼は、日本の歴史書には登場しませんが、間違いないと思っています。その証拠は、書ききれないほどあります。卑弥呼は邪馬台国の女王ではないと思います。 これが正しいかどうかは別にして、卑弥呼にみなさんが関心をもたれたらいいなと思っています。 コメント、ありがとうございました。
by vetty (2009-06-02 06:46)