So-net無料ブログ作成
検索選択

No701神武東征(150)  神武天皇(93)  古事記と日本書紀(16) [日本大好き]

前回の話はいかがでしたか。
何だったかな、と思われる方が大半だと思います。
こんな話を認めますと、これまでの知識がすべて無駄になりますから、意識しない内に、頭が受け入れることを拒否したと思います。

 古事記の記述に拠りますと、天忍穂耳命の長男の天火明命は、降臨しないで、次男の瓊瓊芸命が降臨しました。本来ですと、天照大神の子供の天忍穂耳命が降臨する筈でしたが、瓊瓊芸命が降臨することになりました。
それまでの事情を、歴史を遡って書きますと、高天原に居た人々は、生活が成り立たないので、蒜山高原(高天原)から、下山しようと云うことになりました。そこで、天照大神は、大国主神が治めている所が良いとと判断して、国を明け渡す様に、次々、部下を派遣して、交渉させます。
 天菩比神を派遣しましたが、3年かかりましたが、うまくいきませんでした。次は、天若日子が派遣されましたが、こちらは、8年もかかりましたが、やはりだめでした。
 次は、副神として天鳥船神を付けて、建御雷神を派遣しました。今度は、少し荒っぽく、出雲の伊那佐の小浜に、大国主命や大物主を呼び出して、砂浜に剣を突き立て、談判に臨みます。
 有無を言わせない態勢で明け渡しを命じますと、建御名方神の抵抗はありましたが、決着を見ます。
 この様なことをしている間に、天忍穂耳命には子供が生まれましたので、降臨する時の大将は、息子の瓊瓊芸命となりました。
 
 長男の天火明命のことは、古事記も日本書木にも書いてありませんが、天橋立(京都府)の近くにある籠神社の祭神に、彦火明命の名前で祀られていました。
 神社に残されている記録が、本物であることが、認められて国宝になっています。その記録から、彦火明命は天忍穂耳命の長男の天火明命であることが分かりました。
 そうであれば、古事記も日本書紀も堂々と記録して後世に残せばよかったのに書かなかった。

以上です。
では、どうして、天火明命と云う名を放棄して、彦火明命という名も使っていたのかを探ります。
 結論を先に書きますと、前回書きましたように、田村誠一氏は、籠神社の辺りは、当時、中国人に占拠されていましたが、天火明命は、天照大神や 父親である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(アマテラスの子供)を裏切って、占拠していた中国人の家来になりましたと云っておられます。だから、古事記は書きたくなかったことになります。日本書紀は書きたかったのですが、ニギハヤヒの先祖が、彦火明命であるとは書きたくなかったのでしょうと思って居られます。

もう一度、神社のホームページを眺めてみます。

主祭神は、彦火明命と記されています。
亦名 天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、 又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下 鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。尚、彦火火出見命は、養老年間以後境内の別宮に祭られて、現今に及んでいる。彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜わり、大和国及丹後・丹波地方に降臨されて、これらの地方を開発せられ、丹波国造の祖神であらせられる。又別の古伝に依れば、十種神宝を將来された天照国照彦天火明櫛玉饒速日命であると云い、又彦火火出見命の御弟火明命と云い、更に又大汝命の御子であると云い、一に丹波道主王とも云う。

神社に残された記録は、戦後、表に出ましたから、国宝として認められましたが、戦前でしたら、籠神社は解体を命じられたと思います。
 どうしてかと云いますと、天忍穂耳命の長男の天火明命は、籠神社の所へ降臨しましたと神社の方は、ホームページにかかれました。本当は、天火明命が、正統の天孫族の後継者だったのに、瓊瓊芸命に追いやられ、永い間、丹後での生活をさせられました。又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神でもあります。
 例えば、熱田神宮の祭神である熱田大神(あつたのおおかみ)とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御神体とする天照大神のことであるとしている。
一之宮市にある 真清田神社は、祭神を天火明命としています。
http://www.masumida.or.jp/yuisho/index.html

真清田神社は、継体天皇と関係があると思われますので、一泊して、一之宮市内を走り回り、福井県と関係があるだろうと、次の日は、福井県を走り回ってきました。
 結果は、よく分かりませんでしたが、継体天皇の出自が、不確かな点がありますから、歴史は、この二つの流れを引っ張っているのかも知れません。

 籠神社の由緒には、現在の天皇は、正しく引き継がれた天皇ではありませんと書いてあるのと同じことです。したがいまして、戦前でしたら、不敬罪が適用されたと思います。

次回は、神社のホームページに書かれている次の部分だけについて、書いてみます。

主祭神は、彦火明命と記されています。
亦名 天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、 又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下 鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。尚、彦火火出見命は、養老年間以後境内の別宮に祭られて、現今に及んでいる。彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜わり、大和国及丹後・丹波地方に降臨されて、これらの地方を開発せられ、丹波国造の祖神であらせられる。又別の古伝に依れば、十種神宝を將来された天照国照彦天火明櫛玉饒速日命であると云い、又彦火火出見命の御弟火明命と云い、更に又大汝命の御子であると云い、一に丹波道主王とも云う。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 2

太郎さん

 
 よき年となりますように!!
             2,010. 
 
 物部氏は 蘇我氏によって 抑圧されたようですが・・・
 蘇我氏に 対抗したのが、中臣氏でした。。。
 
 では、なんで鎌足は、、、、
 中臣姓を捨て去り 「藤原姓」をえる必要が あったのでしょか?
 
 
by 太郎さん (2010-01-02 02:17) 

vetty

謹賀新年 物部氏は 蘇我氏、藤原氏 難問の一つに足をふみいれました。どうなることやらです。本年も どうぞ よろしくお願いします。
by vetty (2010-01-02 06:13) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

関連リンク