No703神武東征(152) 神武天皇(95) 古事記と日本書紀(18) [日本大好き]
前回、
結論です。これは確たる証拠は有りませんが、ニギハヤヒは天津神ではなく、中国人に雇われた人ではなかったでしょうか? 長髄彦も同じような経歴の持ち主であったのではないでしょうか?
古事記を早く作らないと大変なことになるというのが、古事記制作の発案者・天武天皇の叫びでした。
しかし、古事記に残された文は、「ニギハヤヒは物部連の祖なり」だけでした。
と書きました。
このようないい加減なことでは、証明したことにはなりません。
少し、角度を変えて検討しようと思います。
籠神社では、
〔系図だけではなく、彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜ったとあります〕と書いておられますが、息津鏡・辺津鏡の二つの鏡が、天祖からの証拠は、何もありません。息津鏡・辺津鏡が残っていることは確かです。
例えば、漢鏡は、どれぐらい日本にあるかを知って居られる方は無いのではと思います。魏の国から賜ったという魏の国の鏡は、100枚あるというので、これが、見つかった時は、魏志倭人伝に書かれている国だと大騒ぎをしていましたが、三角縁神獣鏡だけで、500枚以上見つかっています。
どうして、このように沢山見つかるのか、説明はだれもできません。
普通の漢鏡に至っては、九州では、一杯出土しています。それも、殆どが割れて見つかっています。
これらの鏡は、日本人が中国から貰ったのではなく、中国人が、自分が、中国人の身分の高い軍人であることを証明するために、貰ったものであると考えますと、全て解決です。これでは、困ったことになります。九州だけではなく、岡山、大阪、京都、奈良など、あらゆる所から発掘されています。ぜんぶ、中国人だったことになります。
九州などは、この鏡がでたので、邪馬台国があったように言われていますが、九州の半分以上は、中国人に征服されていたことになります。
これは、許せません。これでは、九州だけではなく、岡山、大阪、京都、奈良の人は、中国人の末裔ということになります。
これは、認めたくありませんから、歴史をねじ伏せてでも、邪馬台国は、九州にあったことになります。
そのようなことを許せなかったのは、天孫族の人が一番でした。
それ故に、何度も九州征伐を行っています。
このシリーズの一番のタイトルは、「神武東征」です。
神武天皇が一番に征伐に行きました。本当は、その前に、天忍穂耳命(アマテラスの子供)や瓊瓊芸命(アマテラスの孫)を祭った神社が、九州にありますから、征伐に行って祀られた証拠になります。 天孫族を祭った神社
馬見神社 嘉穂郡嘉穂町馬見 祭神 邇々岐命、木之花佐久夜比売外
荒穂神社 嘉穂郡大隈町牛隈 祭神 邇々杵命
英彦山神社 田川郡添田町英彦山 祭神 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊
高倉神社 遠賀郡岡垣村 祭神 天照皇大神外
多賀神社 嘉穂郡穎田町勢田 祭神 イザナギ、イザナミ
稲荷神社 田川郡金田町 祭神 イザナギ外
No604神武東征(53) 豊国の宇佐(54) 神武天皇以前(3)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2009-07-18
その後、神武天皇が、九州、広島、岡山、奈良を16年かかって、征伐しています。孝霊天皇が吉備を和議でもって、征伐しています。崇神天皇は、全国規模で征伐を行っています。景行天皇の御代になってからは、倭猛命が全国的に征伐をしていますが、あまりにも壮大なスケールの為、天皇家の自慢話として作られた物語とされています。
それにしては、あまりにも、各地に伝説として残されている話が多すぎます。
2日に、泉州の式内社のうち、一之宮・大鳥神社、二之宮・泉穴師神社、三之宮・聖神社に初詣にいってきました。 以前にも、云った神社ですが、初詣として行ったのは、始めてです。
大鳥神社は、倭猛命は第二皇子ですが、東夷御征討の帰途、にわかに病におかかりになり、伊勢国能褒野でなくなったことになっています。
〔ここには、昨年行ってきました〕
その御屍は白鳥と化して飛び去り給い、最後にこの地に来られたことになっています。
そのような馬鹿なことはあるかと考えるのが普通です。
しかし、どの地も訪れますと、倭猛命が慕われていたことが分かります。大鳥神社は、普通のときに行きますと、分かりませんが、お正月は、凄い人出でした。 1キロ離れた駐車場を見付けるまでに、30分。その駐車場から、皆さん、黙々と神社まで歩きます。着いた神社は、長い列で、神殿の前に到着するのが、どれほどかかったでしょう。
1700年たっても、 町全体で慕われていることを、歴史家は知らないで、架空の人物と片付けるのは間違いであろうと考えます。
話が横道にそれました。
天孫族が、征伐した話は、日本書紀を書いた人は、好きではありませんでした。しかし、現在でも神社として残っています。
息津鏡・辺津鏡のことを書くつもりが、脱線の連続でした。次回にします。
結論です。これは確たる証拠は有りませんが、ニギハヤヒは天津神ではなく、中国人に雇われた人ではなかったでしょうか? 長髄彦も同じような経歴の持ち主であったのではないでしょうか?
古事記を早く作らないと大変なことになるというのが、古事記制作の発案者・天武天皇の叫びでした。
しかし、古事記に残された文は、「ニギハヤヒは物部連の祖なり」だけでした。
と書きました。
このようないい加減なことでは、証明したことにはなりません。
少し、角度を変えて検討しようと思います。
籠神社では、
〔系図だけではなく、彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜ったとあります〕と書いておられますが、息津鏡・辺津鏡の二つの鏡が、天祖からの証拠は、何もありません。息津鏡・辺津鏡が残っていることは確かです。
例えば、漢鏡は、どれぐらい日本にあるかを知って居られる方は無いのではと思います。魏の国から賜ったという魏の国の鏡は、100枚あるというので、これが、見つかった時は、魏志倭人伝に書かれている国だと大騒ぎをしていましたが、三角縁神獣鏡だけで、500枚以上見つかっています。
どうして、このように沢山見つかるのか、説明はだれもできません。
普通の漢鏡に至っては、九州では、一杯出土しています。それも、殆どが割れて見つかっています。
これらの鏡は、日本人が中国から貰ったのではなく、中国人が、自分が、中国人の身分の高い軍人であることを証明するために、貰ったものであると考えますと、全て解決です。これでは、困ったことになります。九州だけではなく、岡山、大阪、京都、奈良など、あらゆる所から発掘されています。ぜんぶ、中国人だったことになります。
九州などは、この鏡がでたので、邪馬台国があったように言われていますが、九州の半分以上は、中国人に征服されていたことになります。
これは、許せません。これでは、九州だけではなく、岡山、大阪、京都、奈良の人は、中国人の末裔ということになります。
これは、認めたくありませんから、歴史をねじ伏せてでも、邪馬台国は、九州にあったことになります。
そのようなことを許せなかったのは、天孫族の人が一番でした。
それ故に、何度も九州征伐を行っています。
このシリーズの一番のタイトルは、「神武東征」です。
神武天皇が一番に征伐に行きました。本当は、その前に、天忍穂耳命(アマテラスの子供)や瓊瓊芸命(アマテラスの孫)を祭った神社が、九州にありますから、征伐に行って祀られた証拠になります。 天孫族を祭った神社
馬見神社 嘉穂郡嘉穂町馬見 祭神 邇々岐命、木之花佐久夜比売外
荒穂神社 嘉穂郡大隈町牛隈 祭神 邇々杵命
英彦山神社 田川郡添田町英彦山 祭神 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊
高倉神社 遠賀郡岡垣村 祭神 天照皇大神外
多賀神社 嘉穂郡穎田町勢田 祭神 イザナギ、イザナミ
稲荷神社 田川郡金田町 祭神 イザナギ外
No604神武東征(53) 豊国の宇佐(54) 神武天皇以前(3)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2009-07-18
その後、神武天皇が、九州、広島、岡山、奈良を16年かかって、征伐しています。孝霊天皇が吉備を和議でもって、征伐しています。崇神天皇は、全国規模で征伐を行っています。景行天皇の御代になってからは、倭猛命が全国的に征伐をしていますが、あまりにも壮大なスケールの為、天皇家の自慢話として作られた物語とされています。
それにしては、あまりにも、各地に伝説として残されている話が多すぎます。
2日に、泉州の式内社のうち、一之宮・大鳥神社、二之宮・泉穴師神社、三之宮・聖神社に初詣にいってきました。 以前にも、云った神社ですが、初詣として行ったのは、始めてです。
大鳥神社は、倭猛命は第二皇子ですが、東夷御征討の帰途、にわかに病におかかりになり、伊勢国能褒野でなくなったことになっています。
〔ここには、昨年行ってきました〕
その御屍は白鳥と化して飛び去り給い、最後にこの地に来られたことになっています。
そのような馬鹿なことはあるかと考えるのが普通です。
しかし、どの地も訪れますと、倭猛命が慕われていたことが分かります。大鳥神社は、普通のときに行きますと、分かりませんが、お正月は、凄い人出でした。 1キロ離れた駐車場を見付けるまでに、30分。その駐車場から、皆さん、黙々と神社まで歩きます。着いた神社は、長い列で、神殿の前に到着するのが、どれほどかかったでしょう。
1700年たっても、 町全体で慕われていることを、歴史家は知らないで、架空の人物と片付けるのは間違いであろうと考えます。
話が横道にそれました。
天孫族が、征伐した話は、日本書紀を書いた人は、好きではありませんでした。しかし、現在でも神社として残っています。
息津鏡・辺津鏡のことを書くつもりが、脱線の連続でした。次回にします。
2010-01-06 05:35
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