So-net無料ブログ作成
検索選択

No707神武東征(156)  神武天皇(99)  籠神社の鏡(3) [日本大好き]

籠神社に残っている鏡のことを伝世品というらしいです。その品の出所のイワレがはっきりしていて、代々、そのことが伝えられて、現在の残っている鏡のことになります。

 では、誰が伝えて来たのかと云いますと、ずっと、宮司をしてこられた海部家とされています。前に紹介しました『古代海部氏の系図』(金久与市著)に書いてあることを転載します。
19ページ
籠神社と海部家
 籠神社は延喜式内、山陰道一之宮であり、社格も延喜式では名神大社に仕える宮司家が、神社の始まり以来、現在にいたるまで連綿として世襲で仕えている。最初に私がお眼にかかった宮司は、昭和六十年に亡くなられ、現在の宮司は第八十二代の海部光彦氏である。
 宮司家は古来、海部直(アマベノアタイ)とよばれ、丹後国造としての伝統をもつ。丹波国は後に但馬国と丹後国に分れる。それほど丹波国は大国だったのである。
 古い神社に仕える宮司家が、かつての国造であり、連綿として今日にいたっている点では、出雲大社の千家宮司家や阿蘇神社の阿蘇宮司家、あるいは和歌山の日前神宮・国懸神宮の紀宮司家も同様である。
 こうした古い歴史をもつ籠神社に、他の古社に見られない、きわめて貴重な品、〔鏡〕と〔系図〕が伝えられてきたのである。
以上です。

この文章から、判断しますと、宮司家は国造であったように取れますが、国造だったとは書いてありません。
24ページには、次の様に金久与市氏は、書いておられます。
籠神社の神職、海部氏は古代から連綿として宮司の職についており、「本系図」には直系の子孫だけが縦に記録されている。
 二行省略
 この系図には始祖の彦火明命から平安時代初期の海部直田雄祝まで記載されており、各代の宮司(祝)の上には合計二十八箇の朱印が押されている。 

三行省略
 つまり、この系図は海部氏が作成したのち、丹後国庁に提出して承認をうけ、さらにそれを大和朝廷が公認したものとして、その価値が再認識されることになったのである。

この「本系図」に、彦火明命は天照大神の孫であることを記したところがあると、金久与市氏は、書いておられます。
 以上、抜き書きばかりで、判りにくいと思われますが、この「本系図」は、海部家の系図と云うことになります。海部家の初代が、彦火明命であることになります。

問題の息津鏡・辺津鏡のことは、どのように伝えられてきたかは、同じく、31ページに書いてあります。
「勘注系図」のはじめにに、「天祖が二璽神宝すなわち息津鏡と辺津鏡を天鹿児弓と天羽々矢をそえて火明命に授けた」と記されている。

古鏡を専門とする樋口隆康(京都大学名誉教授・橿原考古学研究所長)の鑑定では、
籠神社の鏡は、日本出土のものではない。

どちらが、息津鏡・辺津鏡と呼ばれるか判りませんが、大きい方が、息津鏡らしい。
①17.5センチ 息津鏡の文様は「内行花文鏡」、「長宜子孫」という字が書かれています。
 紀元一世紀後半 (前漢時代の後期)
②9.5センチ 辺津鏡の文様は「蓮孤文昭明鏡」 後漢時代

この鏡が、仮に天照大神から貰ったとしますと、其頃より、時代が新しいことになります。
神武天皇の父の鵜葺草葺不合命か、その前の日子穂穂出見命、その前の瓊瓊芸命あたりから貰ったことになります
彦火明命は、瓊瓊芸命の兄ですから、父親の天忍穂耳命か、祖父の天照大神からもらったことになります。
 天照大神や素盞鳴尊などは、中国を追われて日本へやって来た筈です。追い出した漢人が作った鏡を、天孫族の証しとして貰ったと云うのは、理屈にあいません。

樋口隆康氏の鑑定が正しいとしますと、中国で作られた鏡を紀元前150年ころに貰ったというのは、間違いでしょう。
 九州からは一杯出土しています。
調べたわけではありませんが、「内行花文鏡」は中国人の将軍級のお墓から出土しています。ただし、殆どが御墓から出ています。

 少なくとも、二枚の鏡は、同時に受け取ったのではないと思われます。
しかも、貰ったのは、九州の将軍から、部下として、漢人であることを証明するために、与えられたものと思われます。
 漢人でもないのに、与えられたのでしょうか。

籠神社の由緒には、おかしいことが書いてあります。 彦火明命の別名がいっぱい書いてありますが、その一人として、饒速日命が書いてあります。
この人は、奈良に降臨していた人で,神武天皇に降伏した人です。
そうなりますと、彦火明命は中国人であったとしますと、漢鏡を部下になる証しとして、受け取ったことになります。
 ただ、九州の官人としても、天孫族の超大物でしたから、漢鏡を与えた可能性はあります。
内行花文鏡が出土した古墳は、
京都木津町に椿井大塚山古墳があります。ここでは、三角縁神獣鏡32面が出土した。内行花文鏡2面、方格規矩鏡1面、画文帯神獣鏡1面など計36面以上の鏡が出土。
老司古墳 福岡市南区老司四丁目から内行花文鏡が一面出土。
貴山銚子塚古墳 福岡県糸島郡からも出土。

所が、上記にあげました3つの遺跡からは、三角縁神獣鏡が出土ています。この鏡は、魏の国が、卑弥呼に与えた100枚の鏡ではいかと話題になっている鏡です。
となりますと、これらの鏡が出土した古墳は、2世紀の頃の古墳ではないでしょうか。

これはえらいことになってきました。銅鏡の研究をしなくてはなりません。

少なくとも、籠神社に伝わっている二面の鏡は、年代も違うし、天孫族の人が、漢鏡を与えられたというのもおかしなことですから、息津鏡・辺津鏡であるという神社の説明は、一時お預けと云うことになると思います。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

関連リンク