No712神武東征(161) 神武天皇(104) 石上神宮のこと(5) [日本大好き]
前回では、石上神宮には、瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、品品物比礼の十種の神宝は、残されているのでしょうか。
と書きましたが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%A8%AE%E7%A5%9E%E5%AE%9D
に、次の様に書いています。
石上神宮の祭神である布留御魂神は十種神宝のことであるとする説もある。石上神宮に伝わる鎮魂法では「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱える。いずれにしても、十種神宝は現存していない。
おかしいですね。布留御魂神が十種神宝のことであるのですと、石上神宮はご神体を無くしたことになります。
本物か不明であるが、大阪市平野区喜連6丁目にある楯原神社内の神寶十種之宮に、偶然、町の古道具屋で発見されたという十種神宝が祀られている。石上神宮側から返還要請があったにもかかわらず、返していないという。
というエピソードを掲載しています。
石上神宮がいう瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、品品物比礼のことは、略史と書いてあるから、もっと詳しいことがあるのかもしれませんが、前回書いたこと以上はありません。
『ウィキペディア(Wikipedia)』は、十種神宝のことは、次の様に記載しています。
『先代旧事本紀』の「天孫本紀」の記載によるもので、饒速日命が天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたとする。『先代旧事本紀』には「天璽瑞宝十種(あまつしるし みずたから とくさ)」と書かれている。
分類すれば、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(女性が、首に掛けて、結ばずに、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)3種となる。これを三種の神器に対応させて、鏡は八咫鏡、剣と比礼は草薙剣、玉は八尺瓊勾玉であるとする説もある。
十種神宝の内容は以下の通りである。
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
前記の沖津鏡(おきつかがみ) の「沖」に注目してください、籠神社には、息津鏡・辺津鏡という2面の鏡が伝世している。十種神宝の沖津鏡・辺津鏡との関係は不明ですが、国宝とされています。なぜ、国宝なのでしょう。公にされた『海部氏勘注系図』が本物であるので、国宝なのであれば分かりますが、関連書物には、写真が掲載され、籠神社神宝 息津鏡と書いてあります。「沖」ではなく、「息」です。石上神宮の由緒では、瀛津鏡と書かれています。「沖」ではなく、「瀛」です。この字は、『先代旧事本紀』にかかれてあるのかどうか、確認はしていません。
石上神宮の由緒を作られた時に、書いた人は、どこかにあった資料を参考にされたと思いまいが、そこに、瀛津鏡、辺津鏡と書いてあったのでしょう。「瀛」のような複雑な漢字を「おき」と読むことは、知っている人は少ない筈です。
このように、難しい漢字を使用した人は、日本書紀を書いた人と同じような人だと思います。古事記にかいてある人名や地名、神の名など、ことごとく、読むことができませんが、古事記にそれと似たようなものが書いてあることは、間違いありません。
瀛津鏡、辺津鏡のことが、『先代旧事本紀』に書いてあるとしますと、日本書紀と同様に、自分たちの先祖のことを書き残そうとしたことが、確かであると考えられます。
ただし、正確に書き残したのではなく、競争相手の、天孫族のことは、極力書かない手法を取ったのだろうと見ています。
先に書きましたように、天璽瑞宝十種は饒速日命が天神御祖から授けられたと『先代旧事本紀』に書いてあるとしますと、籠神社に残っている沖津鏡・辺津鏡も、天神祖から貰ったとされていますから、全く同じことになります。
籠神社に伝わる話を『先代旧事本紀』は導入したのでしょうか。
石上神宮の由緒では、瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、品品物比礼の十種の神宝があると書いてありますが、どのように素晴らしい神宝であったことは書いてありません。
と書きましたが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%A8%AE%E7%A5%9E%E5%AE%9D
に、次の様に書いています。
石上神宮の祭神である布留御魂神は十種神宝のことであるとする説もある。石上神宮に伝わる鎮魂法では「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱える。いずれにしても、十種神宝は現存していない。
おかしいですね。布留御魂神が十種神宝のことであるのですと、石上神宮はご神体を無くしたことになります。
本物か不明であるが、大阪市平野区喜連6丁目にある楯原神社内の神寶十種之宮に、偶然、町の古道具屋で発見されたという十種神宝が祀られている。石上神宮側から返還要請があったにもかかわらず、返していないという。
というエピソードを掲載しています。
石上神宮がいう瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、品品物比礼のことは、略史と書いてあるから、もっと詳しいことがあるのかもしれませんが、前回書いたこと以上はありません。
『ウィキペディア(Wikipedia)』は、十種神宝のことは、次の様に記載しています。
『先代旧事本紀』の「天孫本紀」の記載によるもので、饒速日命が天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたとする。『先代旧事本紀』には「天璽瑞宝十種(あまつしるし みずたから とくさ)」と書かれている。
分類すれば、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(女性が、首に掛けて、結ばずに、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)3種となる。これを三種の神器に対応させて、鏡は八咫鏡、剣と比礼は草薙剣、玉は八尺瓊勾玉であるとする説もある。
十種神宝の内容は以下の通りである。
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
前記の沖津鏡(おきつかがみ) の「沖」に注目してください、籠神社には、息津鏡・辺津鏡という2面の鏡が伝世している。十種神宝の沖津鏡・辺津鏡との関係は不明ですが、国宝とされています。なぜ、国宝なのでしょう。公にされた『海部氏勘注系図』が本物であるので、国宝なのであれば分かりますが、関連書物には、写真が掲載され、籠神社神宝 息津鏡と書いてあります。「沖」ではなく、「息」です。石上神宮の由緒では、瀛津鏡と書かれています。「沖」ではなく、「瀛」です。この字は、『先代旧事本紀』にかかれてあるのかどうか、確認はしていません。
石上神宮の由緒を作られた時に、書いた人は、どこかにあった資料を参考にされたと思いまいが、そこに、瀛津鏡、辺津鏡と書いてあったのでしょう。「瀛」のような複雑な漢字を「おき」と読むことは、知っている人は少ない筈です。
このように、難しい漢字を使用した人は、日本書紀を書いた人と同じような人だと思います。古事記にかいてある人名や地名、神の名など、ことごとく、読むことができませんが、古事記にそれと似たようなものが書いてあることは、間違いありません。
瀛津鏡、辺津鏡のことが、『先代旧事本紀』に書いてあるとしますと、日本書紀と同様に、自分たちの先祖のことを書き残そうとしたことが、確かであると考えられます。
ただし、正確に書き残したのではなく、競争相手の、天孫族のことは、極力書かない手法を取ったのだろうと見ています。
先に書きましたように、天璽瑞宝十種は饒速日命が天神御祖から授けられたと『先代旧事本紀』に書いてあるとしますと、籠神社に残っている沖津鏡・辺津鏡も、天神祖から貰ったとされていますから、全く同じことになります。
籠神社に伝わる話を『先代旧事本紀』は導入したのでしょうか。
石上神宮の由緒では、瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、品品物比礼の十種の神宝があると書いてありますが、どのように素晴らしい神宝であったことは書いてありません。
2010-01-26 07:16
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