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No713神武東征(162)  神武天皇(105) 奥津鏡・辺津鏡 [日本大好き]

石上神宮で、瀛津鏡、辺津鏡が伝えられています。現存はしていません。京都の籠神社には、息津鏡・辺津鏡が現存しています。『先代旧事本紀』には、沖津鏡、辺津鏡が記されているそうです。
 この鏡は、兵庫県の出石神社に、残されているそうです。
出石神社のデーターを記しておきます。

鎮座地 兵庫県出石郡出石町宮内。 地図
http://www.chizumaru.com/map/map.aspx?x=485543.146&y=127724.028&ex=485543.146&ey=127724.028&SCL=2358&tab=&lk=&msz=1&svp=&&Write=ON

祭神 出石八前大神・天日槍命。

由緒 
 旧国幣中社(現、別表神社)。祭神、出石八前大神・天日槍命。社伝によると垂仁天皇の時、天日槍命が来朝し、当地を開拓したので、その徳を敬慕し、命が奉持していた八種の神宝を八前大神として祀った。八種神宝とは、玉津宝・珠二貫・振浪比礼・印浪比礼・振風比礼・切風化礼・奥津鏡・辺津鏡であり、このことは既に『延喜式神名帳』にも八座の神として明記され、名神大社となっている。更にこれより先、天平九年(七三七)神戸租調稲およそ一六八〇束を充て、承和一二年(八四五)七月に従五位下となり、貞観一六年(八七四)三月には正五位上に叙せられている、但馬国一宮として崇敬されて来た当社であるが、戦国時代に入ると、天正年間(一五七三-九二)豊臣氏のために社領を没収された。江戸時代には出石城主歴代の尊崇をうけ、小出、仙石両氏が社殿を造営した。本殿三間社流造、檜皮葺、本殿の前面に切妻造の幣殿が連なり、更にその前に舞殿形式の拝殿(入母屋造平入)が連なっている。社宝としては、重文指定の脇差一振(南北朝時代、銘但州住国光)がある。例祭一〇月二〇日、その他御年花祭(おはなびらまつり)が一月二二、二三日に行われる。≪神社辞典

由緒に書いてあることが、正しいとしますと、祭神は、玉津宝・珠二貫・振浪比礼・印浪比礼・振風比礼・切風化礼・奥津鏡・辺津鏡の八つの宝物だと云うことになります。この八つの宝物のことをそれと、出石八前大神と呼ぶと書いてあります。そして、この辺りを開拓した天日槍命が祭神なっています。

このパターンは、石上神宮で見ました。こちらは、祭神のすべてをまだ、眺めていませんが、祭神は、
布都御魂大神
布留御魂大神
布都斯魂大神です。この中の一つの神は、布都御魂大神当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊 フツノミタマ」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神と名付けたとありました。
神剣が、祭神かと
 もっとも、石上神宮では、この外に、宇摩志麻治命、五十瓊敷命(いにしきのみこと)、白河天皇、市川臣をも配祀去れています。

 宝物は、8つであったり、10であったりしますが、この二つの鏡のことは、どうやら重要であったらしい事が、判ります。
 古事記にも残されていますので、次回は、奥津鏡と辺津鏡のことを書いてみます。

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