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No730神武東征(179)  神武天皇(122) 奥津鏡・辺津鏡(18) [日本大好き]

古事記のはじめの辺りは、神話で歴史として扱っても意味がありません。それに比べて、日本書紀の最初の部分、地球がどのようにして誕生したかを、神の名前を織り込んだ、壮大なドラマであると受けとって居られる方が殆どです。
 現在の歴史家が、古事記を読んで、意味が解らなかったのと同様に、日本書紀を編さんしようと思った人も、意味が解らなかったので、彼らは、中国や西洋に登場する神々と似た様なものを登場させて、日本のはじめのころを書きました。
 神話であるのであれば、もっと、独特の流れがあっても良いのですが、その後の、物語の流れは、古事記と同様で、古事記が一番書きたかったことは、悉く、ケツ去ろうとしています。
 少しだけ、確認して頂けますと分ります。記紀共に、国々をどんどん作って行く記述があります。 その島の名前に、〔天〕の字の付く名前が、一杯登場してきます。所が、日本書紀で、登場するのは、少し離れた所に、天照大神が登場するぐらいです。

 前置きが長すぎましたが、前回に、眺めた所をもう一度、見てみます。
倉野憲司氏・岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』に拠りますと、
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能呂島なり。

誰もが、理解できない部分は、「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と天つ神諸の命が命令した言葉だろうと思われます。
 まだ、日本の国土も出来ていないとき、そのあるであろう国土の天上にある天の浮橋に立って、下を眺めたら、日本という国土が、ふあふあと漂っている様な國が見えるので、それを固めて修理せよと云われたことになります。
 そこで、神々から貰った天の沼矛を海につっ込み、かき混ぜて、持ち上げたら、天の沼矛の先から、滴が垂れて、そのしずくが固まって、オノコ゜ロ島ができた。

上の様に私は書きましたが、これは、古事記を意識して、日本書紀に書いてあることを、古事記を参考にしたようにして翻訳をしてみました。

と云うことは、日本書紀を編さんした人達は、古事記を参考にして作ったとしか考えられない程に、似通った文章の構造になっています。
 所が、日本書紀では、最初の部分は、どのようになっているかと云いますと、日本の誕生ではありません。地球誕生の経過を書いています。
 先ず、天ができて、次に地が出来た。どのようにして出来上がったかは、日本書紀を読んでください。天と地の間に、一つのものが生まれた。その形は、葦の芽のようだった。どうして、葦の芽が急に出て来るのでしょう。それは、古事記に書いてあるからだと思います。この葦のような形をしたものが、国常立尊という神になった。国がふあふあしたものではなく、常に立ちあがったものにした神とでもいうのでしょうか。しかし、この紙も、日本書紀の編纂者が考え出したものではありません。古事記に4番目に登場します。

誰でも、理解出来るように、古事記を参考にして、自分たちの先祖のことを書こうとしました。
 しかし、なにもはじめから伝えられた物が無いものですから、古事記を参考にしたと思われます。
 この書き方も、正しくないなと思っています。古事記は、天武天皇が太安万侶につくるように命じたのですが、なにも昔話を書けと云ったのではありません。
 最近、自分の先祖は、このような血筋のものだと、勝手にいって、世の中を乱す者がいてるが、天皇家が唯一正しい血統を持っていると云うことを書き残さないと、天皇家は直ぐに滅んでしまうと云う様な事を、古事記の序文に書いてあります。

 古事記は、日本の歴史が書いてあると思っておられる人が殆どですが、そうではありません。自分たちの先祖には、どのような人がいて、その人たちが、何時生まれて、何時死んで、どこに葬られたか。そればかりです。生まれる時は、必ず、男と女から、新しい生命が誕生しますから、古事記では、イザナギとイザナミが、その主体であるような書き方になっています。
 全部、史実です。
何時まで経っても、倉野憲司氏・岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』に拠りますと、
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。

この部分の事が書くことができませんが、一番はじめに戻って、
「天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。」
をご覧ください。
高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
の部分は、日本書紀ではありません。
古事記の次の部分から、
「次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而」
この部部を引用して、〔天と地の間に、一つのものが生まれた。その形は、葦の芽のようだった〕というような意味の文章を造っています。
古事記の次の書き出しは、調査隊の人達が、新しい国を建設するために、ヒルゼン高原にやって来た時の様子が書いてあります。
「天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。

春、残雪の残るヒルゼン高原では、雪の下からは、葦の芽が、もう吹き出そうとしていた様子を太安万侶は書き残しています。

この文章の続きに、
「ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。」
の文章がありますから、このないようも、神話ではありません。

イザナギとイザナミは、ヒルゼン高原の高い所に、立ち、ヒルゼンを見下ろしながら、どのように国をつくろうか、相談した筈です。天の浮橋に立って話合っただろうと太安万侶も、ここに腰掛けて考えたと思います。
 太安万侶の古事記全体像は、天の浮橋の袂に座っている時に、閃いたと思います。
 そこは何所かと云いますと、
中蒜山の五合芽です。 
 季節は、丁度いまごろです。 ヒルゼンの方に、電話をして、雪の状態を聞いてください。行けるようでしたら、五合目まで登ってください。
  ここに雲海の橋がかかっている筈です。

この写真はありませんが、先日、兵庫県の竹田城に行ってきました。その雲海を見に。
感動的な光景でした。 こちらは、播但線の竹田駅から、頂上まで、徒歩40分です。
WEBで写真を見ることが出来ます。
朝霧に浮かぶ天空の城
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kansai/Hyougo/Takeda/
竹田城の写真
http://images.google.co.jp/images?source=ig&hl=ja&rlz=1W1GGLJ_ja&q=%E7%AB%B9%E7%94%B0%E5%9F%8E&lr=&oq=%E7%AB%B9%E7%94%B0&um=1&ie=UTF-8&ei=k6qNS4nlIor-6QP9zrXaCQ&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCMQsAQwAw

天の浮橋の袂に、座っていたのは、太安万侶ではなく、稗田阿礼だったかもしれません。なぜなら、稗田阿礼は、ここからすぐ近くの集落の出身だったからです。


No729神武東征(178)  神武天皇(121) 奥津鏡・辺津鏡(17)
  前回に続いて、もう一度、淤能碁呂嶋ができるまでの様子の原文の読み下し文を記します。
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】

倉野憲司氏・岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』に拠りますと、
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
 
 上にある原文をどのように読み下すかは、これしかないように思います。問題は、この読み下し文をどのように翻訳するかと云うことになります。
 
そうしますと、倉野憲司氏が翻訳された通り、天つ神の神々から「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と云われた通りに、伊邪那岐命、伊邪那美命の二人は、どこにあるか判りませんが、天の浮橋のところに立って、天つ神から貰った天の沼矛を下の方(日本書紀に書かれてあることから判断すると 海) に下ろして、その海をこをろこをろとなるまで、書き回し、引き上げたら、その矛の先から、塩が落ちました。その塩が積りつもって島ができ、その島を淤能碁呂島と名付けました。

 問題は、天の浮橋がどこに在るかと云うことです。 この橋は、天つ神が造った橋でもなく、天孫族の誰かが造った橋でもありません。高天原にあると思われる橋だと思います。 この橋は、どの歴史家でも、天上に在るとされていますが、例えば、富士山よりも高い所でしょうか。 そんなに高い所から、天の沼矛を海まで、下ろしたことになります。それほど長いものであれば、天の沼矛を使って、海を書き回すことなど出来るでしょうか。
 その海水の付いている天の沼矛をどうして、引き上げたのでしょう。 日本書紀を作ったひとも、いくら想像力を逞しくしても、古事記に書いてあることが理解出来なかったと思います。
 そこで、古事記以外に、10冊もの資料がありますと、書き並べました。
 この日本書紀を読んだ人は、いっそう、話が複雑になって、理解出来なくなったと思われます。
 
 この古事記に書いてあることは、実際の話ではなく、世界中にある神話と同様で、全く信用ができないですよと思わせるに充分な作品として完成させたと思います。
 と云うことは、天皇家が、昔から続いている由緒ある人達ではないということを強調したと考えます。
古事記を書いた太安万侶は、完成した日本書紀をみて喜んだといます。何故なら、意味がわかれば、古事記は焚書にあい、一冊も残ることはなかったと思われます。

では、この部分をどのように解釈しますと、太安万侶は喜んでくれるでしょうか。 次回に。

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