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No731神武東征(180)  神武天皇(123) 奥津鏡・辺津鏡(19) [日本大好き]

いかがでしたか。
天の浮橋は、分らない人は、現在の人だけだと思います。日本書紀の編纂に携わった人の中には、それを知っていた可能性があります。
 日本書紀の一書(第二)に次の様に書いてあります。
 〔伊弉諾尊・伊弉冉尊二柱の神が、霧の中に立って云われるのに〕

そのようなことはどうでも良いと思われる方が大半だと思います。ここを見逃しますと、沢山あった書物から書き抜きをした日本書紀は、合理的な編集をし方をしていると認められるでしょう。
古事記には、正しいことが書いてあるのに、高天原等は実際には無かったが、昔の人はロマン溢れる神話を作ったことになってしまいました。

別にそれでも良いのですが、丸山林平氏の様に、-天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。
というような説明になります。これも別に悪いことではありません。
 原文に書かれてあった〔詔〕は〔沼〕の間違いであった。その沼という漢字が、〔に〕の意味で、漢字に直すと、〔瓊〕に等しくて、意味は「玉」に等しくて、〔りっぱな〕という意味です。
 この様な事では、その間に抜けている説明を尋ねられれば、返答が出来るのでしょうか。
 古代史では、残されているもの自体が、少ないですから、理論立てて、説明することが困難な部分があります。
 天の詔琴が、りっぱな琴とは、どういう意味かは分りませんが、「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称と説明された以上、どのように同趣なのか説明がありません。

古事記に使われている〔天〕には、二通りあるように思います。元は一緒だと思いますが、〔高天原〕と呼ばれる所に書かれてある〔天〕です。これはどのように読むかは、太安万侶が、注釈を入れました。天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】と書いてありますから、〔阿麻アマ〕は間違いないのでしょう。
  自分たちが、新天地を作ろうとした高原の名前を、高原の間に〔天〕をいれて、高天原と名付けたのでしょう。 その名前が、継承されていたのは、太安万侶は知っていたのでしょう。 と云うことは、〔高原〕という意味を漢字で、〔高原〕と書くと云うことを知っていたことになります。 案外、太安万侶の創作であったかも知れません。
それでは、高と原の間に入れた〔天〕は何だとなります。〔天〕は、〔天〕からやって来た人たちだったのではと考えています。〔天〕は何所だと云うことになりますが、〔天〕と云う国からやって来たのではないかと考えています。現在の中国に雲南省があります。この辺りに住んでいる人達は、苗族と云う人達だそうです。写真でしか見たことはありませんが、日本人に共通したところが一杯あります。顔や姿が似ているだけではなく、例えば、お正月に使った羽根つきの道具があります。あれぐらいの物なら、世界中どこでも使っている思われますが、手を握る所に至る部分は、半月状の部分がそっくりです。
 苗族の人達は、長いこと漢字を使っていなかったらしいです。と云うことは、漢人の影響を受けずに頑張っていたことになります。
 しかし、国には名前があって、〔テン・滇〕でした。滇の漢字は、古い漢和辞典では掲載されていないのではと思っています。(全部は調べていません)
 同じく、近くに〔詔〕という国もあるそうです。持っている地図では、確認することができません。現在は存在しない国だと思われます。
 
-「天沼矛」と「天の詔琴」と並べますと、丸山林平氏が云われた通り、良く似ています。-「天沼矛」のほうは、滇の国から持ってこられた沼矛。後者は滇の国から持ってこられた詔琴となります。 沼矛は、古事記では、海を書き回すために使われた長い長い棒状のものとなりますが、後者の詔琴は、持って逃げる時に、詔琴をぶっつけて大きな音がしてスサノオが目を覚ました戸ありますから、〔琴〕なのでしょう。「沼矛」の方は、同じように、後ろの「矛」だけを見ますと、これは武器になります。

 天の浮橋から海まで届くような棒とは、現実には存在しませんから、作り話で、出て来る言葉がどのようなものであると詮索しても意味がないと云うことになります。

古事記は、太安万侶が作りましたが、意味がないのであれば、それを参考にした時に、日本書紀を編さんした人達は、この部分は、削除しても良かった筈です。所が、削除するどころか、別の書物を10冊も挙げて、日本書紀に書いてあることが、正しいことを説明する積りになっていることになります。
 
 私は、ここが、天孫族の由来を書いた重要な部分ではないかと思っています。
 日本の先祖の人達は、滇(テン)からやって来た人達が、先ず、はじめに、ヒルゼン高原に自分たちの国を作ろうとしたのだと太安万侶は書こうとしたのだと解釈します。

 そのようないい加減なことであれば、丸山林平氏の解説と五十歩百歩ではないかと云われそうです。たしかに 記録には残っていませんが、その他の事では、大陸から苗族の人たちが、百万人単位で来た証拠はいっぱいあります。
 今、それを書こうかと思っていますが、実は、この10年程掛けて考えて来たことを、ずっと、書いてきました。その多くは、今書いている〔新しい日本の歴史〕に書いてきました。しかし、まだまだ完成していません。その証拠となるものが、日本書紀によって、消されてしまったからです。
 こんなややこしいことをしないで、苗族の人を全員皆殺しにすれば解決した筈ですが、それは出来なかった様です。
 
 「天沼矛」は実際に国を造成するときに使われたものです。その証拠はありませんが、苗族の人達が、滇国から持ってきたスコップの様なものと考えるしかありません。「天の詔琴」は、どうしてスサノオが持っていたか分りませんが、滇経由でももたらされた「詔琴」という名の楽器なのでしょう。

 此の後に、国づくりのお話しが続くのですが、〔島〕をイザナギとイザナミで生んだことになっていますから、話が益々、難しくなります。
 その生むときに、〔天の御柱〕が重要になったらしいです。作法を間違った為に、〔蛭子〕が生まれたと書いてありますから、これは高天原に作られた「御柱」と云う意味で書いてあるのではないかと思います。
 これが、二つ目の「天」の使い方です。

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