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No735神武東征(184)  神武天皇(127) 日本書紀と古事記(2) [日本大好き]

日本書紀も古事記も、現在残っているものは、写本です。原本を元に、写されたと思われますが、当然写し違いとか、写した人の思いも加わったこともあったでしょう。古事記は、写されてから、400年後の頃に発見されたらしいです。そして、写本は、30数本有るそうです。その中で、最も古いものは、『国宝真福寺本古事記』(1371-72)と呼ばれています。
古事記には、序文に当たる文章があります。日本書紀には、ありません。そこで、古事記の序文に当たる部分は省いて、始りの文章を掲載します。

古事記の原文は、倉野憲司校注の〔古事記〕岩波文庫の巻末にあるものを移しました。そして、その一部をhttp://homepage1.nifty.com/o-mino/page197.html
に掲載しています。
日本書紀の原文のほ方も、同様の事が云える筈ですから、素人の私には、どれが正しいのか判りません。記憶に残っていませんが、WEBから書きうつしました。
それを【日本書紀原文】http://homepage1.nifty.com/o-mino/page287.html
に収めました。
 プロではありませんから、この部分に関しては、あまり細かいことにはこだわらないでおこうと考えます。下に書きます文章には、両方とも、読みやすい様に、「。」を打っています。原文は、両方とも漢字ばかりで、何処で区切ればよいか分らない様です。
 写本の実物は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nihonshoki_tanaka_version.jpg


 古事記の原文は
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。 上件五柱神者。別天神。

日本書紀の原文は 
古天地未剖。陰陽不分。渾沌如鶏子。溟?而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。重濁者淹滯而爲地。精妙之合搏易。重濁之凝場難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰。開闢之初。
洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。〈至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆倣此。〉
次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以成此純男。

一書 〔第一・一書〕一書曰。
天地初判。一物在於虚中。状貌難言。其中自有化生之神。號
國常立尊。亦曰國底立尊。次國狹槌尊。亦曰國狹立尊。次豐國主尊。亦曰豐組野尊。亦曰豐
香節野尊。亦曰浮經野豐買尊。亦曰豐國野尊。亦曰豐囓野尊。亦曰葉木國野尊。亦曰見野尊。』
葉木國。此云播擧矩爾。

一書〔第二・一書〕 一書曰。
古國稚地稚之時。譬猶浮膏而漂蕩。于時國中生物。状如葦牙
之抽出也。因此有化生之神。號可美葦牙彦舅尊。次國常立尊。次國狹槌尊。』可美。此云于
麻時。彦舅。此云比古尼。

一書 〔第三・一書〕 一書曰。
天地混成之時。始有神人焉。號可美葦牙彦舅尊。次國底立尊。

一書 〔第四・一書〕 一書曰。
天地初判。始有倶生之神。號國常立尊。次國狹槌尊。又曰。高天原所生神名。曰天御中主尊。次高皇産靈尊。次神皇産靈尊。』皇産靈。此云美武須毘。

一書 〔第五・一書〕 一書曰。
天地未生之時。譬猶海上浮雪無所根係。其中生一物。如葦牙之初生泥中也。便化爲人。號國常立尊。

一書 〔第六・一書〕 一書曰。
天地初判。有物若葦牙。生於空中。因此化神號天常立尊。次可美葦牙彦舅尊。又有物若浮膏 生於空中。因此化神號國常立尊。

 
始めて、原文に接しられた方は、頑張って読んでみてください。

さっと、めを通しますと、古事記と日本書紀は編集の仕方に大きな違いがあることが分ります。日本書紀では、「一書に曰く」という文章がいっぱい書かれています。
 私の解釈では、日本書紀は何人かと人が集って編集したと思われます。全員で、考えをまとめた部分が、「一書に曰く」の前にある部分だと思います。
 「一書に曰く」以下の分は、外に、次の様な書物がありましたという本文に関する資料のようなものだと捉えています。
 これだけ多くの資料を見比べて、本文を編集しましたという形式をとっています。
それだけに、日本書紀は、歴史書としては、完璧なものであるとされています。
 「一書に曰く」に書かれてある様な書物が存在した証拠は何一つ残っていないのに、その様に考えられています。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、
本文の後に注の形で「一書に曰く」として多くの異伝を書き留めている。中国では清の時代になるまで本文中に異説を併記した歴史書はなく、当時の常識では世界にも類をみない画期的な歴史書だったといえる。あるいは、それゆえに、現存するものは作成年代が古事記などよりもずっと新しいものであるという論拠ともなっている。

日本書紀は、藤原不比等の要請によって作られたと私は考えていますが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、
「古事記は、『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天武天皇が
撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ
と詔していることから、勅撰と考えることも出来る」と書いておられます。

と云うことは、『ウィキペディア(Wikipedia)』の編集者は、日本書紀は正史であると捉えておられることになります。この方は、壬申の乱を戦った天武天皇が、どのような戦をされたかをご存知ないのだと思います。中国の軍隊が、2000人待機して、まさかのときに、出動する態勢にあったのに、女子を含めて、20人ばかりで、吉野を出発し、その後、ろくに兵隊もいないのに、中国勢に勝ちました。勝ったときは、大海人皇子でしたが、天武天皇になったものの、壬申の乱で、殊勲賞をあたえられてもいい家来が、次々殺されました。
 そして、天武天皇も幽閉状態におかれる中で、古事記の編纂を太安万侶に命じます。

No.265 天武天皇は暗殺された
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2006-06-30
にその証拠をかきましたので、ご覧ください。

話は横道に逸れましたが、上の古事記と日本書紀の原文を読もうと努力してください。

続きは、次回にします。

壬申の乱の事は、この「新しい日本の歴史にも」書きましたが、他のブログにも書いています。こちらは、壬申の乱(1) 日本の歴史の不思議 です。125回にわたって書いています。

最終が、壬申の乱(125) 日唐戦争(67)大海人皇子(24)  最後に 
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page980.html
です。

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