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歴史各論 三角縁神獣鏡(16)  手古塚古墳の鏡 月の輪古墳(3) [三角縁神獣鏡]

又かと思われたと思います。なにが又かといいますと、日本には古代からユダヤ人がやって来ていたという話です。
 どこの博物館や資料館でも、いろいろ教えて頂いているときに、ユダヤの名前を口にした途端に、係りの100%の方は、忙しいですからと話を中断されます。
 
 前回、「美咲町飯岡は、(ゆうか)と読みます。これは重要です」と書きました。
〔飯岡〕はただ単に、地名にしかすぎませんが、日本史を解明するには、重要なファクターの一つだと思います。
 どうして、〔飯岡〕を(ゆうか)と読むのか判りませんが、この地に、ユダヤ人がいたことにしますと、ただ、それだけで、この地は、ただ、交通の要所であっただけではなく、絹を運ぶための要所であったことになります。それだけではなく、紀元前に於いては、日本にとっては、重要な働きをしていた人だったことになります。
 日本だけではなく、中国にとっては、一番大切な国であったことになります。

 日本の歴史は、2000年来、天皇家によって、延々と支配し続けられたことになっています。但し、平和な時代が2000年続いたのではなくて、天皇家の人々の間で、醜い相続争いの連続であったことになっています。
 その最たるものは、「壬申の乱」ということになっています。誰がネーミングをしたか判りませんが、「乱」なのですね。誰が乱を起こしたかといいますと、天智天皇の弟の大海人皇子が、正式の継承者である大友皇子を倒したことになっています。

 そうではないのだと、田村誠一氏は、『壬申の乱は日東戦争』という著書に書いておられますが、このような見方は、完全に無視されています。
 現在、ブログ<楽しい人生> に於いて、その著書の一ページずつを紹介しています。
唐の傀儡政権だった近江朝廷(1)
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/10/1-3579.html
 のページは、42ページ目です。このような話は、
はじめて聞かれたと思います。唐のような大きな国が、どうして、日本の様なちっぽけな国に傀儡政権を樹立する必要などあったか。常識的に考えただけでも、ナンセンスの
話です。
 大海人皇子は、準備してあった岐阜県周辺の兵隊を集めて、大海人皇子を倒したと思われていますが、岐阜県には、それ以前から、中国人の人が、住んでいたと思われます。
 まだ、完成していませんが、<方形周溝墓>の全国分布を次の所に掲載しています。
http://www21.atpages.jp/skeikas/page197.html
 千葉、岐阜、奈良大阪は、絹の糸で結ばれています。各々の遺跡を掲載しておきましたから、読んでください。壬申の乱が起った時より、ずっと、以前から住んでいたことが判ります。
 その後、200年頃から、古墳時代に突入します。その代表の古墳は、前方後円墳です。この古墳の全国分布は、<全国県別前方後円墳>
http://www21.atpages.jp/skeikas/page205.htmlに掲載しています。これより、古い形式の<方墳>や<前方後方墳>でも、同じ、パター二なるはずです。
 「 歴史の不思議」は、毎日更新しています。毎日、眺めていますと、日本の歴史は、天皇による天皇位の継承争いではなく、中国人と天皇家の争いであったことを「 歴史の不思議」は示してくれているように思われます。
 その証拠の一つになるのが、月の輪古墳ではないかと思います。
 
 次回も、地名〔飯岡〕のことを書いて見ようと思います。

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