歴史各論 三角縁神獣鏡(60) 魏志倭人伝(11) 邪馬壹国は、どこに(8) [三角縁神獣鏡]
魏志倭人伝を翻訳された石原道博氏は、末廬は、肥前松浦郡。今の名護屋か唐津付近であろう。梅豆羅、末羅(『古事記』)・松浦(『日本書紀』) と書いておられます。殆どの方は、古事記は、偽書で、日本書紀は正式な歴史書と考えておられますから、上の注釈で、だれでも、信用すると思います。
かし、宇宙から見た対馬と壱岐し唐津を見たら、3つのところが、等間隔でないことは、直ぐに分ります。
疑問が生じますと、原点に帰れです。
●原文
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。
漢時有朝見者。今使訳所通三十国。
従郡至倭、循海岸水行歴韓国、乍南乍東到其北岸狗邪韓国。七千余里。
始度一海、千余里至対海国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百余里。土地山険多深林、道路如禽鹿径。有千余戸。無良田食海物自活、乗船南北巿糴。
又南渡一海千余里、名曰瀚海。至一大国。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林、有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北巿糴。
又渡一海千余里、至末盧国。有四千餘戸。濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深浅皆沈没取之。
東南陸行五百里、到伊都国。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千余戸。世有王皆統属女王国。郡使往来常所駐。
東南至奴国、百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二万余戸。
東行至不弥国、百里。官曰多模、副曰卑奴母離、有千余家。
南至投馬国、水行二十日。官曰弥弥、副曰弥弥那利、可五万余戸。
南至邪馬壹国、女王之所都。水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳鞮、可七万余戸。
自女王国以北、其戸数道里可得略載、其余旁国遠絕不可得詳。次有斯馬国、次有已百支国、次有伊邪国、次有都支国、次有弥奴国、次有好古都国、次有不呼国、次有姐奴国、次有対蘇国、次有蘇奴国、次有呼邑国、次有華奴蘇奴国、次有鬼国、次有為吾国、次有鬼奴国、次有邪馬国、次有躬臣国、次有巴利国、次有支惟国、次有烏奴国、次有奴国、此女王境界所盡。
其南有狗奴国、男子為王。其官有狗古智卑狗、不属女王。
自郡至女王国万二千余里。
一番最後の行に、「自郡至女王国万二千余里」と書いてあります。
面倒な、間の国は、省略して、帯方郡から邪馬台国までの距離が書いてあります。
こう書いてありますと、ありがたいですね。12000余里です。仮に、1里が70米としますと、12000×70=840000米です。と云うことは、840キロです。少なくとも、帯方郡を中心にして、840キロの範囲の中に、邪馬台国はあることになります。
邪馬台国がどこか分らないのに、840キロの範囲の内というのは、乱暴です。
みなさん、早速、魏志倭人伝に書いてある距離を足し算されました。 どう計算しても、
12000余里になりません。そこで、あるところでは、分岐するのだと、いろいろの案を出されましたが、後は、魏志倭人伝は、方角を書き間違えたとか、中国人は、数字はオーバーに書くとか、珍案続出です。
帯方郡から狗邪韓国までは、本当にどれぐらいの距離があるのか知りたくなりました。
次回につづく。
かし、宇宙から見た対馬と壱岐し唐津を見たら、3つのところが、等間隔でないことは、直ぐに分ります。
疑問が生じますと、原点に帰れです。
●原文
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。
漢時有朝見者。今使訳所通三十国。
従郡至倭、循海岸水行歴韓国、乍南乍東到其北岸狗邪韓国。七千余里。
始度一海、千余里至対海国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百余里。土地山険多深林、道路如禽鹿径。有千余戸。無良田食海物自活、乗船南北巿糴。
又南渡一海千余里、名曰瀚海。至一大国。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林、有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北巿糴。
又渡一海千余里、至末盧国。有四千餘戸。濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深浅皆沈没取之。
東南陸行五百里、到伊都国。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千余戸。世有王皆統属女王国。郡使往来常所駐。
東南至奴国、百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二万余戸。
東行至不弥国、百里。官曰多模、副曰卑奴母離、有千余家。
南至投馬国、水行二十日。官曰弥弥、副曰弥弥那利、可五万余戸。
南至邪馬壹国、女王之所都。水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳鞮、可七万余戸。
自女王国以北、其戸数道里可得略載、其余旁国遠絕不可得詳。次有斯馬国、次有已百支国、次有伊邪国、次有都支国、次有弥奴国、次有好古都国、次有不呼国、次有姐奴国、次有対蘇国、次有蘇奴国、次有呼邑国、次有華奴蘇奴国、次有鬼国、次有為吾国、次有鬼奴国、次有邪馬国、次有躬臣国、次有巴利国、次有支惟国、次有烏奴国、次有奴国、此女王境界所盡。
其南有狗奴国、男子為王。其官有狗古智卑狗、不属女王。
自郡至女王国万二千余里。
一番最後の行に、「自郡至女王国万二千余里」と書いてあります。
面倒な、間の国は、省略して、帯方郡から邪馬台国までの距離が書いてあります。
こう書いてありますと、ありがたいですね。12000余里です。仮に、1里が70米としますと、12000×70=840000米です。と云うことは、840キロです。少なくとも、帯方郡を中心にして、840キロの範囲の中に、邪馬台国はあることになります。
邪馬台国がどこか分らないのに、840キロの範囲の内というのは、乱暴です。
みなさん、早速、魏志倭人伝に書いてある距離を足し算されました。 どう計算しても、
12000余里になりません。そこで、あるところでは、分岐するのだと、いろいろの案を出されましたが、後は、魏志倭人伝は、方角を書き間違えたとか、中国人は、数字はオーバーに書くとか、珍案続出です。
帯方郡から狗邪韓国までは、本当にどれぐらいの距離があるのか知りたくなりました。
次回につづく。
2012-01-29 07:05
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