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小さな発見・新しい発見  7つの銅鐸発見(5) [神社からさぐる歴史]

 白狄人とは、ウィキペディアに依りますと、
①狄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%84
狄(てき)あるいは北狄(ほくてき)は、四夷の一つ。古代中国において北方の中原的都市文化を共有しない遊牧民族を呼んだ呼称である[1]。北方の民族は度々中原を侵略したことから、北方にいた異民族は総じて狄と呼ばれるようになり、北狄は蔑称としての意味合いが強くなった。

http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E7%8B%84
狄(てき)あるいは北狄(ほくてき)は、四夷の一つ。古代中国において北方の中原的都市文化を共有しない遊牧民族を呼んだ呼称である[1]。北方の民族は度々中原を侵略したことから、北方にいた異民族は総じて狄と呼ばれるようになり、北狄は蔑称としての意味合いが強くなった。

この二つの簡単な説明からも判る様に、中国でも、北狄人に関しては、よく分っていなかったことが判ります。
 
中山王国は北京の南にあって四国位の大きさの、史書にだけ名前が出ていて、何所にあったかも謎の国であった。この王墓が全く偶然に1971年に発見され、1万9千点の出土品があった。現代人の感覚では想像を絶する高度の技術品、芸術品が数多く展示された。伝説はあてにならないと否定する学者が外国にも日本にも居るが、トロヤの伝説も中山王国の伝説も2千年以上経って真実だったことが明らかになりました。

昭和56年に日本各地で中山王国の文物展が開かれました。中山王国の文物展の時に発行された冊子に書いてある事が、私が調べた限りでは、北狄人に関することは、総てです。
 中国語が判れば、もう少し判るも知れませんが・・・。

この冊子に書いてあったことを、次の所に書いて収めています。

中山王国
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page383.html


   銅鐸出土地 遺跡と神社との距離
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page670.html
これは、田村誠一氏が、調べられたものです。
1. 伯耆 東伯郡東伯町八橋龍宇王   方見神社   2キロ   八橋遺跡
2. 伯耆 東伯郡北条町米里字ゾウガラ 宮崎神社   4キロ   米里遺跡
3. 伯耆 東伯郡泊村小浜池ノ谷     松尾神社   4キロ   泊遺跡
4. 伯耆 東伯郡羽合町長瀬高浜     長瀬神社   隣接   長瀬高浜遺跡
5. 伯耆 東伯郡東郷町北福        国主神社    近接   東郷遺跡
6. 因幡 八頭郡船岡町破岩        久多美神社  3キロ   破岩遺跡
7. 因幡 八頭郡郡家町東梶平      貴布弥神社  3キロ   東梶平遺跡
8. 因幡 鳥取市越路            愛宕神社   4キロ   高住遺跡
9.  因幡 岩美郡岩美町新井        熊野神社   近接   上屋敷遺
10. 因幡 気高郡青谷町青谷                 青谷上寺地遺跡
11. 伯耆 倉吉市小田字樋ノ口       新宮神社   2キロ   軍人墓地
外に、出土地不明が3面あり。  合計15面

銅鐸が出土した所から近いところに神社がある。即ち、住んでいたところから、それほど遠くないところに銅鐸を埋めたことになる。 伊耶那岐命、伊耶那美命、カグツチが祀られている神社の近くに、銅鐸が発見されているということは、銅鐸を埋めたのは、白狄人だったと見てもよいように思われます。
銅鐸は、500個ほど見つかっていますから、全国的に、このように調べると一層確かになります。

次のブログは、私が書いたものです。
鳥取県の白狄人を祀った神社と銅鐸出土数
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page693.html

銅鐸の全国分布
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page385.html

鳥取県の古墳・銅剣・銅鐸分布図
http://asilka.blog61.fc2.com/blog-date-20090121.html

鳥取県出土の銅鐸
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page670.html

静岡県銅鐸出土地
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page659.html

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