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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(7)と大津京 [古墳から探る歴史]

 大津京は、天智天皇によって遷都されたことが分っています。
その証拠は、大津歴史博物館のホームページに書いてあります。

天智2年(663)、日本は百済(くだら)を救援するため朝鮮半島へ出兵した。しかし、日本軍は白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に大敗し、日本はいつ唐軍に攻められるかという緊迫した状況を迎える。こうした東アジアの情勢の下、天智6年(667)、天智天皇によって飛鳥から近江への遷都が行なわれる。大津京の誕生である。

 此処では、「天智6年(667)、天智天皇によって飛鳥から近江への遷都が行なわれる」と書いてあります。
 この文章の根拠になるものを探します。

天智天皇~一大決心の近江大津京・遷都
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2009/03/post-ef18.html

♪三輪山を しかも隠すか 雲だにも   情(こころ)あらなも 隠さふべしや ♪「なんで、雲は三輪山を隠すのしょう・・・雲にも心があるなら、こんな日に隠さないでよ」
これは、住みなれた大和(奈良県)の地を離れる峠の道で、かの額田王(ぬかたのおおきみ)が詠んだ、♪味酒(うまざけ) 三輪山・・・♪から始まる長歌への返歌として詠まれた歌・・・。

 とありますが、近江大津京の言葉は、出てきません。

② 0029: 玉たすき畝傍の山の橿原の.......(長歌) 
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/one/m0029.html
 これは柿本人麻呂の長歌です。柿本人麻呂は近江朝に仕えた宮女の死を悼む挽歌[3]を詠んでいることから、近江朝にも出仕していたとされています。 従いまして、この歌は、大津京が、跡形もない様子を嘆き、詠った可能性は有りますが、近江京の言葉有りません。

天智天皇と大津京  http://www.shiga-u.ac.jp/keyword/keyword_emperor/
 これは 「 天智6年(667)、天智天皇は飛鳥から近江に遷都。歌人の柿本人麻呂や額田王が活躍した、万葉ロマン漂う時代の舞台・大津京の誕生です」の文章で始まりますが、大津京の事は出てきません。 滋賀大学のブログですから、大学は、大津京が存在したと考えて居られることになります。 

日本書紀---遷都の記事あり
六年春二月壬辰朔戊午、合葬天豐財重日足姬天皇與間人皇女於小市岡上陵、是日以皇孫大田皇女葬於陵前之墓。高麗・百濟・新羅、皆奉哀於御路。皇太子謂群臣曰、我奉皇太后天皇之所勅、憂恤萬民之故、不起石槨之役。所冀、永代以爲鏡誡焉。
三月辛酉朔己卯、遷都于近江。是時、天下百姓不願遷都、諷諫者多、童謠亦衆、日々夜々失火處多。六月、葛野郡獻白䴏。
秋七月己未朔己巳、耽羅遣佐平椽磨等貢獻。八月、皇太子幸倭京。冬十月。高麗大兄男生、出城巡國。於是、城內二弟、聞側助士大夫之惡言、拒而勿入。由是、男生、奔入大唐、謀滅其國。

三月の項に、ハッキリと 「遷都于近江」と有ります。その次の文章が、おかしいですね。
「是時、天下百姓不願遷都、諷諫者多、童謠亦衆、日々夜々失火處多。」

[ 遷都に不満を持った民衆が、夜になると放火をすることが多かった]

この文章は、現在で云えば、新聞の報道記事です。 この記事から、「近江への遷都」があった証拠になるかも知れません。
 しかし、是は新聞ではありません。この当時の朝廷のことを書いた日本の正式な歴史書である日本書紀です。

 天智天皇が遷都された事に対する抗議行動を書き残したことになります。
 そのようなことが、許されたのでしょうか。

この記事一つだけでも、日本書紀は、正式の歴史書で無かった重要な文章だと思われます。

後の時代になって、遷都があったことを書き残す為に、誰かが、書き加えたと考えるのが普通だと思います。

 日本書紀に、「遷都于近江」と書いてあるからと云って、近江に遷都したことにはなりません。

壬申の乱(69)  日唐戦争(11) 天智天皇(7) 大津へ遷都(4)
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page920.html

第19話 壬申の乱は日唐戦争   大宰府に進駐軍政府誕生http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/10/19-4bea.html

 この記事は、田村誠一氏の記事です。 その後ろに私がこの記事に対するコメント書いています。

日本史総合年表 
http://www.asuka-tobira.com/BUTAI/nenpyo1.html

大津京 天智天皇 びわ湖花街道
http://www.hanakaido.co.jp/ec64587c/

続・志賀の都探訪-幻の都「大津京」を掘る-http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2014/04/post-d417.html
 
 このブログは、歴史のプロの方のものと思われます。
 幻の都「大津京」を掘る とタイトルに書かれたと云うことは、「大津京」は無かったと云うことだと思いますが、それでも、「大津京」があったような雰囲気が一杯の記事になっています。

 天皇が住んで居られた大津宮はあったかも知れませんが、そこに幽閉された天智天皇と大友皇子が住み、近くに大海人皇子が住んでいたと考えています。

大海人皇子はどのような人であったかは、
ウィキペディア  
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E5.A4.A9.E6.99.BA.E5.A4.A9.E7.9A.87.E3.81.AE.E5.A4.A7.E7.9A.87.E5.BC.9F

に書いてありますから、読んで下さい。 日本書紀には、大海人皇子をどのように書いてあるかを記しています。 複雑で、私の頭はついて行けません。

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