So-net無料ブログ作成
検索選択

小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(115) 壬申の乱(66) [古墳から探る歴史]

このタイトルより以下の文章は、田村誠一著『壬申の乱は日唐戦争』の54ページの文章です。

中国偏向の日本書紀(2)
 日本書紀では三十巻の中の一巻が全て神功皇后紀で占められ、天皇紀と同じ体裁である。しかも神功皇后は69年まで書かれ、これでは神功皇后が独裁でこの間は天皇が無視された記述である。神功皇后が三韓征伐を行ったと詳説していた。しかし古事記では神功皇后は三韓征伐はしておらない。日本書紀は中臣が行った朝鮮でのゲリラ活動を自己宣伝するためこの一巻を設け、他方で魏志倭人伝で魏が大敗した事実隠しに利用していた。
 この神功皇后紀の39年に「是の年太歳己未。魏志に云はく、明帝の景初の三年六月倭の女王太夫難升米等を遣わし云々」と卑弥呼が魏に使者を派遣した記述がある。日本書紀では即位の年しか太歳は書かれていないのにこの39年に限って太歳を入れたことは作為的と考える外ない。しかも景初三年(239年)の太歳も己未で一致していた。日本書紀に注があれば、要注意である。
 神功皇后は九州におられ、三韓までも精しいのに、倭の女王の詳細が分らない位矛盾した編集方針が許されるだろうか。

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

太郎さん

 
 長期の旅してました。
 「熊野」は ど〜〜考えても 出雲付近を起源してますね。
 神社仏閣は 歴史的に藤原氏による中央統制の拠点だった。
 熊野大社・速玉大社は 熊野の自然崇拝と違う次元。
 政治的クサビの感じがしてます。。。
 
by 太郎さん (2016-08-06 18:02) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。