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神話ではなかった古事記・伊邪那岐命・伊邪那美命 [日本の歴史]

 前回も、もやもやしていたことを書いてしまいました。 申し訳ありません。

歴史に戻ります。(3回前です)

田村誠一氏の著書に「鳥取県出土の銅鐸」
http://o-mino.la.coocan.jp/page670.html

 これは、鳥取県で、銅鐸が埋められている場所の一覧表です。
 ここには、銅鐸が見つかった所には、2~4km の所に神社が存在するという発見をされた事が書いてありました。
 それ以上のことには発展しませんでしたが、

田村誠一氏の著書
http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html
ここの、23番目に、「平成古事記」が有ります。37ページに、銅鐸が見つかった近くにある神社には、すべて、伊邪那岐命と伊邪那美命がまつられていますと書いてあります。

 これは、凄いことを発見されたのですが、田村氏は、長い事気が付かなかったためでしょうか、大発見とは書かずに、37ページに「銅鐸と白狄人」というサブタイトルで、文章があり、
次の文章で始まっています。

「鳥取県で銅鐸が出土した所が柏書書房の【歴史地図事典】で11ヶ所あります。【鳥取県神社誌】には鳥取県の全ての神社が紹介してあります」
 引き続き、「これによると銅鐸が出土した所にもっとも近い所に必ず伊邪那岐命と伊邪那美命一族を祭った神社が見つかります」と書いてあります。

田村誠一氏の著書に「鳥取県出土の銅鐸」
http://o-mino.la.coocan.jp/page670.html
の記事は、田村氏が発見された事だと思っていましたが、ここでは、ハッキリと【歴史地図事典】に掲載されていると書いて居られます。 ここに11ヶ所の神社名まで書いてあるかどうか、確かめていませんが、次の文章は、次のように書いてあります。

 銅鐸が三九ヶ出土した出雲の加茂岩倉遺跡に一番近い所にも島根県の神社誌【神国島根】で探すと一番近い所に熊野神社がありました。

と書いて居られます。
 これまでの文章から判断すると、田村氏は、あれ、変だなと思われて、神社の祭神を調べようとされて、「熊野神社がありました」と書かれたということは、調べなくても、熊野神社には、伊邪那岐命と伊邪那美命が祭られていることをご存じだったのでしょう。

続けて、次の文章が書いてあります。
 「中山王国展が東京名古屋神戸で開催されるまでは白狄人に関する知識は、皆無でした。この展覧会の図録で白狄人が中山王国を建国したと知らされ、伊邪那岐命が白狄人の王だったと初めて分かったのです」と告白して居られます。

 この後、中山王国文物展での感動が、僅か、六行の文で記されています。

本当は、下手な私の紹介ではなくて、「平成古事記」を直接読んで頂だければ良いのですが、田村誠一氏の著書 http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html

は、市販されたのですが、一冊も古書店では、見つかりません。

 出版された時は、定価も記されて、書店に出た筈ですが、現在は、勿論売られていません。
 どこかに、出版された時は、全国の大学に送付したと書かれていましたので、全国の図書館で調べますと、書物によってはあるかも知れません。

この様子は、太安万侶が古事記を作った時に、消去されると考えて、文を書くときに、最大に注意したのではないかと推理する所です。

最近は、全国に大学はいくつあるのでしょう。1000件あるとして、少し位、「平成古事記」も古書店に出てもいいと思いますが、有りません。 (すべての本が、悪書でなければ、このようなことにはならんいと思います)


その時の決意が感じられるところは、序文だと思いますが、あの序文は、太安万侶が書いたのではなくて、別人の作だといわれる歴史家が居られます。

(この方の書かれた論文は、正しく無いと思います。正しいと自信があれば、ご自分の本は、どんどん売れて、古書店に出るどころか、自然に世の中から、無くなってしまうと思います)

また、話題が、歴史から逸れそうです。

白狄人とか、中山王国は、知って居られましたか。
出来れば、調べて頂きますと、これから、紹介する白狄人と中山王国と、違うことが分ると思います。
 
 次回は、白狄人と中山王国の事に附いて書いてみます。

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