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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(65) 高天原は何処にあったか(10) [日本の歴史]

 前回は、突然、稲作のことを書きましたので、なんのことかと思われたでしょう。

タイトルに 「高天原は何処にあったか」と書いて、書き始めて 10回目になりますが、古事記を読んでいても、一向に判りません。

 7回目の所で、
私が始めて知ったのは、田村誠一氏です。この方の本を読んでいましたら、佐竹淳如氏の研究成果であると書いてありました。
と書きました。
 その証拠と成る物は、「 神代遺蹟考 」でしたが、復刻版として、現在は販売されていることを記しました。
 田村氏は、この本を元にして、高天原は蒜山高原にあったことを立証されました。

とは云うものの、その証拠と成る田村氏が出版された書籍は一冊も残っていません。

現在の蒜山高原に行っても、高天原が存在した証拠は、なに一つ残っていません。

古事記に残っているものとしては、天照大御神が造った営田の畔を速須佐之男命が壊したと太安万侶は、書き残しています。
 これが事実かどうかを、蒜山高原以外の所では、いつ頃から、稲作が行われていたかを調べるつもりになりました。

全国の稲作を調べる訳に行きませんから、先ずは、東北から調べようと思いました。

何故、そう思ったかと云いますと、田村誠一氏は、
東北に住んでいた人達が、住んで居れなくなって、全員が、中国へ逃げて行った。北京から50キロ程、南東に位置する所に住みつき、中山王国をつくりました。(中山という国名) と著書に書かれました。

地図 http://o-mino.la.coocan.jp/page384.html
 
 この辺りは、元は、狩猟を主として生活をしていた白狄人という人達が住んでいた所で、日本から避難した人達が、住んでいましたが、ここでも、住んで居れなくなり、沖縄や日本に移動したと田村氏は分析して居られます。
 
 分析の手段として、銅鐸の研究をして居られます。
 銅鐸は、いろいろの所から、発掘されていますが、その場所から、2~4km以内の所に、必ず神社があることを調べておられます。

神話ではなかった古事記・伊邪那岐命・伊邪那美命
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2016-12-26

 このように書いていますと、厖大なものと成りますので、古事記に書いてあった
「天照大御神が造った営田の畔を速須佐之男命が壊した」の証拠と、実際に蒜山高原に行きますと、稲作は無理だったはずなのに、「田」の字と付く地名が残っているのは、稲作がいつのことか判りませんが、蒜山高原でも、おこなわれていた事を説明する気になりました。
 田村氏は、中山王国から逃げてきたのは、イザナギとイザナミだとの結論に達しられました。
 このようなことを書いて居られる人は、一人も居られません。

多くの歴史家は、日本人は、すべて、大陸から移動して来たことになっています。そればかりか、文化は、中国と朝鮮から、教えてもらったものばかりという歴史になっています。

しかし、漆は日本から、朝鮮半島を経由して、中国に伝えられたのではないでしょうか。私の持っていた辞書で、英語の小文字のjapanを辞書で引きますと、確か、「漆」がみつかったように思いますが、辞書が無くなってしまって確認出来ません。

話題が外れました。
 
古事記の始めの部分を見ますと、イザナギとイザナミが、どんどん、島を生んだ事になっています。
 そして、ずっと、後から、天照大御神が登場してきます。

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