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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(66) 高天原は何処にあったか(11) [日本の歴史]

 青森県に三内丸山遺跡があります。
 ブログは沢山ありますが、遺蹟の全体が判る記事は、少ないです。
 次のブログの記事から、書かれている事を箇条書きにしてみます。
http://jomon-japan.jp/jomon-sites/sannai-maruyama/

① 青森市南西部の八甲田山系からのびる緩やかな丘陵の先端部、沖館川左岸の標高約20mの海岸段丘上に立地する。
  奈良や諏訪や蒜山高原のように、盆地にできた集落ではありません。海岸に近いですが、20mの所にあります。

②縄文時代前期中頃から中期末(紀元前3,000年~紀元前2,200年頃)の、我が国を代表する大規模な集落遺跡です。

③広さは24haに及び、竪穴建物跡、掘立柱建物跡、列状に並んだ土坑墓、埋設土器、盛土、貯蔵穴、道路、大型建物跡などが計画的に配置されています。
 
土坑墓は、村の中にあった様に記憶します。その一番端に犬のお墓もあったのが気になりました。
 村の中にお墓を作るのは、現在、寺の境内にお墓を作るのと同じで、日本の特徴ではないでしょうか。犬も一緒に並べて作るのは、死後の命の捉え方を犬と同一にしたことになります。

膨大な量の土器や石器などが出土した割には、それから判る事が、何故か、書かれていません。
日本で最多となる土偶約2,000点の出土に加え、低地からの食生活や環境を示す動植物遺存体、木製品、骨角器、編籠、漆製品などの有機質遺物、さらに、ヒスイや遠隔地産の黒曜石、アスファルトなどの交易品も多数出土しています。
これらの遺構や出土品は、安定した定住の実態を示していますが、食料残滓(ざんし)や当時の生活環境の分析から、明確な農耕・牧畜を示すものはありません。

稲作も行われていなかったようです。

④竪穴建物をはじめとするさまざまな施設は、長期にわたり同一の場所に造られており、計画的な土地利用の形態を示しています。花粉のDNA分析などからは、ブナ林を中心とする落葉広葉樹が広がる自然環境に、資源の維持・管理を目的とした積極的な関与が行われ、クリ林やクルミ林、漆などの有用な樹種で構成された「縄文里山」と呼びうる人為的な生態系を成立させ、生業を維持していたことが明らかとなっています。
自然資源の巧みな利用により持続可能な定住を実現した土地利用形態は、自然と共生した人類と環境の交渉を示す顕著な見本といえます。

ここには書かれていませんが、この遺跡は、住む人が忽然と居なくなった事が書いてあったように記憶するのですが、私は発掘されて、直ぐに行きましたので、写真に見られる様な、大きな6本の柱が復元されていました。

青森県は、緯度が高いですから、稲作は無理だったのでしょうか。

厖大な出土品があったのですが、人骨の事は書いてありません。出土して居れば、DNAの測定が出来たり、脛が長かったか 短かったかで日本人だったのか、大陸からやって来たなどの区別が出来た様に思われます。
漆が見つかったことは、この漆は、日本から、中国へ運ばれた可能性も考える事が出来ます。

三内丸山遺跡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1

三内丸山遺跡----写真豊富
http://inoues.net/ruins/3naitrip.html二ツ森遺蹟----犬の埋葬
http://jomon-japan.jp/wp-content/uploads/2013/07/leaflet_15futatsumori.pdf

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