So-net無料ブログ作成
検索選択

神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(76) 妹伊邪那美神(7) [日本の歴史]

 妹伊邪那美神。 この前にある(妹)がどうして付いているのか。
 ふと思っただけで、書き始めましたら、後が続きませんでした。

太安万侶は、何が何でも、水蛭子のことは書きたかったのですが、蛭子のことは、知らなかったようです。どうして、水蛭子がうまれたかの原因を書いています。

この部分では、古事記には、イザナギ命とイザナミ命の間に、「水蛭子」が産まれた話を入れました。
 「水蛭子」のことは、コンピューターで調べただけですが、古事記以前には、記録は無かった様に思います。しかし、古事記の直ぐ後に、書かれた日本書紀には、古事記より詳しく書いています。しかし、こちらは、「水蛭子」ではなくて、「蛭子」です。

日本書紀を書いた人は、太安万侶よりも、知っていることを見せる為に詳しく調べて、書いたのではないか。

 太安万侶は、古事記に書いた高天原は、どこにあるかヒントを書こうとしたのでは無いかと推理しました。
 日留神社の日留は、「ヒル」です。ひるぜん高原の「ヒル」を知らせる為に、日留神社を書いたのではないでしょうか。

 僅か、言葉のごろ合わせで、日留宮とひるぜん高原が、「ヒル」が共通するからだけで、「日留神社は、高天原の中心だった」と考えたのではありません。

高天原の中心である高天原は、日本にやって来た天ツ神が、住処に定めた所だと推定出来ます。
神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(70)に於いて、イザナギ命とイザナミ命が住んでいた年代を無理矢理に、推定し、紀元前300年ころかと記しました。

 この人たちよりも、早くから日本にやって来た人達がいました。漢人です。この人達は、すべて、日本海の沿岸に辿りついたと思われますが、多くの人は、九州を制覇するようになったと考えています。
 古い文献では、遺蹟が発掘されますと、鏡や刀などが出土しました。銅鐸なども見つかりました。これらは、全て、日本人の遺跡のように考えられていましたから、歴史が無茶苦茶に考えられていたと思われます。

ところが、「吉野ヶ里遺跡」が見つかった時は、大騒ぎでした。 「邪馬台国ではないか」と。
吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1#.E7.B8.84.E6.96.87.E6.99.82.E4.BB.A3
 現在は、ここに書いてあることが、これまでの研究から、判ったことになっています。
 
 環濠集落の環濠が見つかった時に、どのようなものかを見たくて、行ってきました。その時は、まだ、建造物等の復元は見られず、ただ、広い草原が有るだけでした。 そこで、寝転んでいるだけで、ここは、邪馬台国では無いなと思いました。

ところが、環濠の濠に降りましたら、私の背の倍ほどの深さがあると思いました。ということは、外部からの敵の侵入を防ぐための構築物だと思いました。

 帰途、佐賀県と長崎県にある遺蹟に立ち寄り、楽しみました。

以前に紹介しました田村誠一氏は、この吉野ヶ里は、日本全国から集めた絹の最終集積所であったと記して居られます。
 その集積を指導していたのは、ユダヤ人だったと。
このユダヤ人は、紀元前、4世紀に日本に来ていましたし、その絹を印度、中近東わ経由して、ローマ等に運んでいたのが、ユダヤ人であったと書物に書いて居られます。

 こんな日本の歴史は、初めて聞かれると思います。 この壮大な歴史の一部が、ひるぜん高原になります。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0