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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(77) 妹伊邪那美神(8) [日本の歴史]

 日本史の根幹の部分に、突然、ユダヤ人が登場しましたので、馬鹿らしくなって、読むのを止められた方が多いのではないかと思っています。

ユダヤ人どころか、吉野ヶ里遺跡のことも、聞かれたことは無いと思います。
 全国で絹が作られていたことは、ご存じだと思います。秩父の伊勢崎に、建御名方神を祀った神社が、三座あります。建御名方神は古事記には登場しますが、日本書紀には、登場しません。又、倭文神社があります。建御名方神は絹の運び屋でした。
 この倭文神社は、絹の集散地であったと思われます。
その一部を掲載します。
• 伊勢国鈴鹿郡 倭文神社(現 加佐登神社(三重県鈴鹿市)に合祀)
• 駿河国富士郡 倭文神社(静岡県富士宮市)
• 伊豆国田方郡 倭文神社(現 鍬戸神社(静岡県三島市)ほか論社複数)
• 常陸国久慈郡 静神社(茨城県那珂市)
• 甲斐国巨摩郡 倭文神社(山梨県韮崎市)
• 上野郡那波郡倭文郷 倭文神社(群馬県伊勢崎市)
• 丹後国加佐郡 倭文神社(京都府舞鶴市)
• 丹後国与謝郡 倭文神社(京都府与謝郡野田川町)
• 但馬郡朝来郡 倭文神社(兵庫県朝来市)
• 因幡国高草郡 倭文神社(鳥取県鳥取市)
• 伯耆国河村郡 倭文神社(鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内)
• 伯耆国久米郡 倭文神社(鳥取県倉吉市)

この広い範囲に分布する絹の生産地から、吉野ヶ里に絹を運ぶには、それぞれの生産地が、吉野ヶ里とどのような位置関係に在るかを測量出来たのは、ユダヤ人だけだったようです。

吉野ヶ里の時代と倭文神社の時代は、離れていますが、日本では、何処で米が作られていたかを知って頂くために、記しました。

こんな馬鹿げたことを書いて居られる歴史家は見つからないかも知れません。

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