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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(91)別天つ神五柱(3) [日本の歴史]

古事記を読む時の基本は、訳本を読んでも、読んだことになりません。何故かと云いますと、前回書きましたように、訳本(岩波文庫 倉野憲司校注)には、太安万侶が、一々、注意書きを書いたのに、其の部分が翻訳されていないからです。

古事記は、歴史書ではありません。 日本書紀も歴史書ではありません。だからと言って、これに代る歴史書はありませんから、ここに書いてある事から、この部分は、正しい部分だとか、少し、膨らませて、紀元前、300年頃の歴史を推理するなど、古事記の研究は欠かせないものだと思います。

 前書きが長くなりましたが、古事記の始めの部分では、太安万侶はなにを言いたかったかと云いますと、
一番に、建国を始めた所は、「高天原」であった。
次に、始めた人は、五人の神々であったこと。
次に、その五人の神は、寄り抜かれた「天つ神」であったこと。
次に、国土の建設は、合議制であって、その指導者に選ばれたのは、伊邪那岐命と伊邪那美命であったこと。

 如何ですか、このように考えていく時に、太安万侶は、どうしてこのように注意書きを入れなければならなかったか。その理由を考えない訳にはいきません。

 古事記は、天皇家の歴史を書いたものであると考えています。 日本書紀は、古事記に八年遅れて完成したものですが、誰がつくったとは書いてありません。 書く事は出来なかったのだと思います。
 古事記は、天武天皇の要請によって作られ事になりましたが、遅れて完成しました。一方の日本書紀は、証拠はありませんが、藤原不比等によって、作られたのではないかと考えています。
 このことの証拠らしきものとしては、「壬申の乱」があります。この乱は、皇族同士の争いとされていますが、私は日本と唐(中国)の戦いだったと考えています。

私のブログに、「帯広発~大阪行」が有ります。
http://obitikuoosaka.blog.fc2.com/
このページは、カテゴリ別に、整理しております。 画面をどんどん下へ移動させますと、
 左側に、カテゴリ118と表示した所があります。これをクリックしますと、
壬申の乱(125)  日唐戦争(67) 大海人皇子(24)  最後に と表示されて、数字は違いますが、12回目の記事がヒットします。 ここには、5回分が収められています。

では、一回目を見る時は、下にスクロールして、先ほどの、カテゴリーをクリックします。
ここで、検索の欄に、「壬申の乱(1)を入力しますと、ヒットします。


壬申の乱(1) 日本の歴史の不思議
http://obitikuoosaka.blog.fc2.com/blog-entry-532.html
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