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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(96)別天つ神五柱(8) [日本の歴史]

 攻められにくい所で、生活ができる所の条件を書いてみました。

①誰からも攻められない所—ヒルゼン高原は、標高500mから600m程度の高原地帯であり、周りは山で囲まれています。
②飲み水のある所—古事記の始めに、「葦牙]の文字があり、雪解けの下から、葦が芽吹く様が書かれていますから、此処は、湖だったのでしょう。
③食物の確保---苗族の人達にとっては、稲作ができるかどうか。

ヒルゼン高原は、まわりは山に囲まれていますから、攻めにくいところです。

中蒜山の標高は1123.32mです。この山の五合目の所に、イザナギとイザナミは、日留宮を造り、ここを平らに造成し、オノゴロ島を造ったと太安万侶は、書きましたが、本当の島ではありませんと書き加えました。

 ヒルゼン高原に附いては、何がしの情報が知っている専門家が、派遣された事になります。一番は地元の住民です。

蒜山高原の地図をご覧ください。
https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E8%92%9C%E5%B1%B1%E9%AB%98%E5%8E%9F&rflfq=1&rlha=0&rllag=35293095,133648873,1707&tbm=lcl&tbs=lrf:!2m1!1e2!2m1!1e3!3sEAE,lf:1,lf_ui:2&spf=1902

中国山地の主峰より北側に独立して主に象山(1,085 m)・擬宝珠山(1,110 m)・二俣山(1,083 m)・皆ヶ山(1,159 m)・上蒜山(1,202 m)・中蒜山(1,123 m)・下蒜山(1,100 m)の各主峰で構成されますが、
ヒルゼン高原から、北を眺めますと、上蒜山・中蒜山・下蒜山が並んで、見えます。この真ん中の中蒜山の五合目に、オノコロ島を造りました。

 ここに登ってくるには、北側からは無理の様です。
 南側も、山許ですから、確かめてください。

7世紀頃に、どのような国が合ったかを調べて下さい。鳥取県は、西の方に、伯耆国と因幡国があります。
 古事記では、大国主神の大勢の兄弟たちが、噂に高い八上比売にプロホーズしたくて、大国村倭と言う所から、旅行に出掛けます。途中、因幡国の海岸で、毛が抜けてしまった兎に遭遇して、助けます。「因幡の白兎」の事です。
 という次第で、高天原にやって来た人は、伯耆か因幡国から、やって来たことになります。

 試しに、ヒルゼン高原には、一本道があった筈だと、「伯耆街道」という条件をつかって、グーグルで検索しますと、「伯耆街道」が見つかります。
 さて、紀元前後から、このような街道があったとは思えませんが、古事記より古い歴史書は、ありませんから、後は、頼るのは、地名しかありません。

先に、「大国村倭」と書きましたが、このような嘘のような地名が実際に在ります。
 現在は、西伯郡南部町倭となっています。

この事に関しては、次の所に書きましたので、ごらんください。
古事記と日本書紀を比べます 日本国誕生(4) 倭(3)
http://blog.goo.ne.jp/skeikas/e/fd9b7445b27c2d69df60d0e3edd237d9


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