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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(107)  別天つ神五柱(19) [日本の歴史]

溝口あたりから、北の方へ、「大」の字の付く地名を探して下さい。
大江、大平原、大殿、大寺、大原があります。この内、大殿にある廃寺に行ってきました。

石製鴟尾
http://www.houki-town.jp/new2/5/3/4/  
地名に、「大」の字が付く地名は、大王を表す事が多いということは、田村誠一氏が、力説して居られることです。
「大江」は、福知山の大江が有りますから、大殿、大寺に行こうと思いましたが、意味が良く解らないままに、大寺廃寺に行きましたが、ネット荷書かれている心礎・仏堂・回廊跡は、見ることが出来なくて、写真にある「石製鴟尾」だけを見ることになりました。
 少々、がっかりしましたが、ここは重要な所だなと思う様になっています。
 特に、鳥取県の「大」の字が付く地名は、気になります。

国土酉院 1:50000 の地図には、白水という地名は載っていません。 この地名は、大山のほうから流れてくる「白水川」が日野川に合流する所の地名です。別段、大きい集落でも無いので、国土地理院では、掲載しなかったようですが、ネットで 「鳥取県 白水川」を入力して検索しますと、地図が表示されます。
 この地図の右上に、「大坂」の地名が見えます。
 
 田村誠一氏は、イザナミのお見舞いに行ったイザナギは、八雷神に囲まれているイザナミを見てしまいます。そのイザナミの身体には、蛆虫が湧いていました。
 自分の姿を見られたイザナミは、伊弉諾神を捕まえるべく、追いかけることになります。

イザナミの追跡に対して、イザナギは、いろいろのものを投げて、防衛を試みます。それらの一つとして、イザナギは黄泉比良坂に「千引の岩」(ちびきのいわ。千人の力でようやく動かせるという巨岩)を敷きイザナミの追手を防ごうとしました。

 「千引の岩」を置いたと言うことは、それ以上の人数で、追いかけたことになります。そうしませんと「千引の岩」動かせないことになります。
 イザナミの世話をしていたのは、僅か 八人の雷神ですから、1500人の黄泉軍を副えて、追わせた。
前回、記しました溝口町の近くある鬼住山に住んでいた漢人も、一緒に追い掛けました。

この辺りの古事記の原文を次に、書きます。
」是以、一日必千人死・一日必千五百人生也。故、號其伊邪那美神命、謂黃泉津大神。亦云、以其追斯伎斯此三字以音而、號道敷大神。亦所塞其黃泉坂之石者、號道反大神、亦謂塞坐黃泉戸大神。故、其所謂黃泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。

「一日必千人死・一日必千五百人生也」とあり、話題は異なりますが、1000と1500人です。
「千引の岩」を動かす為には、1000人では足りません。 1500人の漢人が、出動したと思われます。
「一日必千人死・一日必千五百人生也」の部分は、鬼住山から出動した漢人の人数を言うための伏線ではないでしょうか。
このように考えませんと、鬼住山の事が浮いてきます。

太安万侶は、溝口を挟んで、西と東に、天皇家の人と漢人が、対峙しながら、住んでいたことを書き残したかったのではないでしょうか。

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