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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(109)  別天つ神五柱(21) [日本の歴史]

前回の最後に又、「大」の字の付く「大瀧」が出てきました。 田村誠一氏は、「大」の字の付く地名は、「大王」を表す事が多いと書いて居られます。
そう言われれば、大きな坂があるから「大坂」と云うのもおかしいですね。

前回、大坂神社を眺めていた時に、「大倉」の外に、「大原」もあり、大の字が付いた地名が、気になったのですが、其のままにしていました。後から気になりましたので、もう一度、調べてみようとしましたら、二度と現われることはありませんでした。「大倉」と言うからには、ここには大きな倉庫があったか、「大倉」と言う人が住んでおられたのかも知れません。

https://www.mapion.co.jp/m2/35.33225282,133.49792527,16 
ここに、大倉、大原がみつかりました。

 地名と人名は、大いに関係が有ると思います。

前回、紹介しました大坂神社は、五軒の家があったことが、資料から見つかりました。
伝承ですが、寛文元年と言いますと、1661年です。

 祭神が重要です。祭神は 猿田彦命,大山祇命です。
成立した時の住所は、旧住所 岩美郡小田村大字大阪字宮山です。

大坂神社ができた時の地名が、 「大坂」という大字があり、五つの家族が、住まいを定めて、「宮山」という地名を付けたと考えると、不自然ですね。 五家族が家を建てられた時に、神社を建て、その名を「大坂神社」と名付けたことになります。 そして、その後、この辺り一帯を、「大坂」と余所の集落の人が、大坂と呼ぶようになった。
 如何ですか、私の無理矢理の考え方は?

こうなりますと、この神社の写真、五家族のお名前、この辺りは、本当に坂があるのか知りたいですね。

「大」の字の付く地名は、「大王」を表す事が多い」という田村氏の発想は、誰も認め無いですが、正しいのではないかと思っています。

田村氏の著書  http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html
の最後の「西暦は日本の建国紀元だった」ノ37ページに
伊邪那岐命は白王のサブタイトルに、次の文章が有ります。

「途中大坂でやっと伊邪那美命を追いはらって禊をしました」と書いています。
伊邪那岐命は、黄泉の国から逃げてきましたから、地上に出るまで、坂が続いていたと言うことでしょうか。

このように考えますと、稗田阿礼は、大坂神社も訪問して、太安万侶に報告する時に、
日野川の白水から白水川を遡り、「大坂」まで来て、一服してたことをお話したのではないでしょうか。
 この同じコースを田村誠一氏は、実際に歩かれたのではないでしょうか。

田村氏は、次の大瀧というところでは、裸になって、滝壺で滝に打たれたのかも知れません。

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