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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(111)  竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原 [日本の歴史]

伊邪那岐命が、伊邪那美命の追手から、逃れた時に、「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」に於いて、禊をされたと古事記には記されています。

 古事記には、「竺紫の日向」と記されて、日本書紀には、「筑紫日向」と記されているために、筑紫がどこにある地名かが問題になっています。
ウイキペディアを拝借しますと、

筑紫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E7%B4%AB
 九州の全体を指しているとか、筑紫野市の一部などと、いろいろ比定されていますが、これらの事から、古代に九州にあった地名とされているようです。

 若し、これが正しいとしますと、禊をした川が流れていなければなりませんが、川の名前は見当たりません。

宮崎の神話、イザナギの禊(みそぎ)
http://powerspot-kyushu.pome.in/miyazaki/myth/izanagi/
【宮崎】心洗われるみそぎの聖地!江田神社
http://www.9navi.jp/eda-shrine.html

禊をしたのは、川ばかりだと思っていましたが、宮崎県の池だと書いて居られます。確かに、池でも、身体を洗うことは出来ますが、普通は、池は水が溜った状態のものが多いです。唯の水浴びではありません。八雷神の世話になりながら、身体が、腐敗をはじめていたイザナミを見たイザナギは、自分の身、全身が、穢れてしまったと思い、禊をしたくなったと太安万侶は、記しました。
 しかし、其の時のイザナギの思いを、充分には表現出来なかったと思います。

太安万侶は、そのようなことではなくて、底筒男命外の神のことを記しています。このことは、次回に書きます。

伊邪那岐命は、大瀧という所で、禊をしたのですが、なぜ、此処になったかは、古事記に次のように書いてあります。
「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」とのりたまひて、初めて中つ瀬に堕り潜きて滌ぎたまふ時成りませる神の名は、八十禍津日神、次に大禍津日神。

 田村氏は、次のように、書いて居られます。
「上つ瀬は大山三の沢で流れは、急で禊はできません。下つ瀬は白水川で流れが弱くてここでも禊は出来ません。上つ瀬から下つ瀬に変わるところが滝壺で大王の伊邪那岐命が禊わしたので、大瀧の地名です
「白水川の源が大瀧で、大はイザナギを意味します。イザナギが大瀧で禊をしました。ここは林が尽きた場所から竺紫(ツクシ)と書かれ橘の枝をくぐった草が淡い川の滝壺で禊をしました」

 ①古事記では「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」。
 ②日本書紀では「筑紫日向小戸橘之檍原」と表記はほぼ同じ。

日本書紀は、古事記を参考にし作られましたが、古事記の「竺紫」がどこか解らなかったと思われます。「筑紫」は九州にありますから、「筑紫日向」と書き換えたと推察します。
しかし、この時は、「日向」の地名は無かったのではないでしょうか。

 「日向」だけではなくて、「筑紫日向」と書き、日向という地名までつくったのではないでしょうか。

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