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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(182)   吉野ヶ里(25) [日本の歴史]

 吉野ヶ里の原稿は、最近、吉備の話を書いています。絹を運ぶには、運ぶ人の確保もありますが、生産地と運ぶ道の確保が必要です。
 何故かと言いますと、絹は金と同じぐらいの値段がしたように思えるからです。これまでに、分かって来た所は、京都の籠神社と出雲大社です。こちらは、日本海に面した所ですが、大陸から渡って来た人は、どうしても、日本海側に、到達しますから、太平洋側では、見つかりません。

 所が先日、テレビを見ていましたら、「ブラたもり」という番組があり、秩父の銘仙を放映していました。
 木地の染色をしていましたが、意味が良く解らないのです。
年配の男性の方が、布に刷毛で2回染料を塗りますと、模様が染色されました。(ここが判らなかったので。何故模様が、出るのかです。 ビデオで取って有ったので、家内と一緒に見ました。何故かと言いますと、銘仙の着物を持っているから、見せてあげると言っていました。それと、子供の時に、泉州のタオルを作っている所で、刷毛で染色しているを見たことが有る。お父さんが、そのタオルを売る商売をして居られました) テレビを見ていた家内は、途中で寝てしまいましたから、私が一人で見ていたのですが、訳が判りません。染料が付いていた刷毛で塗ったのであれば、塗った側だけに、染料が付くのに、裏も同じ模様が、ついていました。
 その時のテレビの説明では、画面の布と思っていたのは、布ではなくて、縦糸だけが並んでいましたから、刷毛こすると、裏まで、染料が付きました。これを乾燥させてから、横糸を通して、所謂、織っていくことになります。
 翌日に、家内にもう一度、録画見せてもらいました。
 それでも、まだ、理解出来ません。
 刷毛でぬったのは、昔の謄写版やと言われました。私の年代の者は、謄写版は、、小学生の時に、鉄筆で蝋紙の上に字や絵を書いて、学級新聞を作った記憶があります。
 それでも、まだ、理解出来ませんでした。
 「たもり」さんが、同じ様に、ブラシをはしらせますと、見事に、絵柄がずれました。
そして、職人さんが、もう一度するとピタリと図柄があいました。
 
 解かるように書いたつもりですが、お解りになりましたか。

やはり、判らないので、コンピュータで、「秩父 銘仙」をキーワードにして、検索しましたら、解決です。

どうして、拘ったかと言いますと、番組では、秩父の銘仙は、大正からはじまって、戦争前まで、盛んだったことを放映していましたので、そんなことは無いだろう。日本の絹は、2000年前から行われていたということを知っていましたから、テレビの大正というのは、間違いと思っていました。
「秩父 銘仙」で検索して、三つ目のブログが、次のものです。

秩父の伝統織物『秩父銘仙』で全身コーディネートしてみたい ...
 https://grutto-plus.com/experience/008/  少し、コピーしてみます。

逸見恭子さん「秩父銘仙はね、織る前にたて糸に捺染する“先染め”の製法なの」
編集部「えっ? 織ってから染めるんじゃないんですか!」
他の織物と違って、秩父銘仙は先に染めてから織るようです。約1400本ものたて糸がずれないよう、ところどころによこ糸を通した「仮織り」の状態で染色するのだそう。その後、仮織りしたよこ糸を取りのぞきながら本織りする「ほぐし織り」を経て完成するのです。
逸見恭子さん「先染めだから、普通の織物と違って柄の裏表がないのが特徴なのよ」
なるほど〜。裏表どちらでも着られるということは、汚れても反対側に返せばもう一度着られるということ。もともと秩父銘仙は規格外のくず繭で作られた庶民の普段着だったというから、理にかなっていますね。


「秩父銘仙はね、織る前にたて糸に捺染する“先染め”の製法なの」
編集部「えっ? 織ってから染めるんじゃないんですか!」
他の織物と違って、秩父銘仙は先に染めてから織るようです。約1400本ものたて糸がずれないよう、ところどころによこ糸を通した「仮織り」の状態で染色するのだそう。その後、仮織りしたよこ糸を取りのぞきながら本織りする「ほぐし織り」を経て完成するのです。

お解りですか。
私ははじめは、縦糸許と思っていましたら、所々に、横糸があり、染色してから、この横糸を除いて、横糸をつかって、織ることになります。

以上の事から、絹糸も大正時代から作りだしたのではなくて、いつかは判りませんが、もっと、以前から、作られていた私の考えは、間違っていなかったとやっと、納得出来たのですが、一時は、秩父の住民の7割の人が、この仕事に携わって居られたと書いてありますから、完成した銘仙は、どこに集められて、どこに運ばれてたかを調べる必要があります。

銘仙が盛んになったのは、大正と有りますから、殆どが、東京に運ばれたのではないでしょうか。
どなたか調べてください。

長々と書いてきましたが、「ブラたもり」と家内の小さい頃の泉州の思い出と、銘仙の着物を持っている等、どれが欠けても、「ブラたもり」の放映は、見ただけで終わる所でした。

現在の秩父の様子も、ご覧ください。

アメリカ等の化繊にとってかわられた事が判ります。

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