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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(186)   吉野ヶ里(29)  [日本の歴史]

 最古絹片も華中ルート
http://o-mino.la.coocan.jp/page990.html

上の記事は、以前に掲載していますが、もう一度、書いてみます。
数行だけ記してみます。

タイトルのフレーズは、平成10年1月1日の読売新聞と西日本新聞に掲載されたものを「文化財発掘情報3月号」に収録された記事のタイトルです。
これでは、意味がよく判りませんので、其の一部を転載します。
弥生時代の環濠遺跡としては濃くない最大規模の吉野ヶ里遺跡(佐賀県)から、1994年に出土した絹織物片が中国華中地域の絹糸の特徴と一致することが、繊維学と蚕絹史の権威である布目順郎・京都工芸繊維大名誉教授(83)の鑑定であきらかになった。また、華中地域の人骨と吉野ヶ里をはじめ北部九州の弥生人骨の特徴が一致することが、国立科学博物館や九州大学の研究者が参加した日中共同調査団で確認されており、布目名誉教授は、この二つの研究成果から、日本への渡来人による養蚕と絹織物の伝来は、定説の「華北--朝鮮半島ルート以前に」に、「華中ルート」が存在したとしている。近く、専門誌に発表する予定だ。

上の事から、布目順郎・京都工芸繊維大名誉教授は、繊維学と蚕絹史の権威者で居られる事が判ります。

布目順郎著 「養蚕の紀起源と古代絹」 昭和54年1月20日発行 484ページ
この本の10ページに 第1-3表 
同じ弥生中期に発掘された日本の立岩遺蹟外 春日市と須久岡本遺蹟の6つの資料と中国の陽高縣県漢墓の4つの資料と比較された資料が記されています。

 ここでは、①完全度と②繊維断面積の両者の比較がされています。
残念ながら、完全度の数値の意味が判らないので、中国の平絹の方が、優れているのか、日本の方がすぐれているのか判りません。
 私の素人判断に拠りますと、断面積が大きいということは、絹糸が太いということで、太い糸で、絹を織りますと、ごわごわした絹織物になると思われます。

 中国から、日本に絹が伝えられたのであれば、同じ時代の絹ですから、中国産の方が、全て、面積が小さいはずですが、資料は、中国の方が大きい絹もあり、私にとっては、この厖大な分析資料は役に立ちません。
 
 布目順郎氏は、本文の中で、これこれの資料から、日本の6種の絹と中国の4種の絹は、日本製と中国製と、はっきり分けることができますと書いて居られます。

ということは、立岩遺蹟の平絹は、中国から来たものではなくて、日本製の可能性が強いと書いて居られます。
①完全度と ②繊維断面積を調べますと、日本で発掘された資料と中国で発掘された資料が、別のものであることが判るということです。立岩遺蹟の平絹が中国の中国の陽高縣県漢墓と同じ系統であれば、立岩遺蹟の平絹は、中国から持ってこられた絹になります。

パリーゼ著の「絹の道」の訳本は、雄山閣の出版です。

布目順郎著 「養蚕の紀起源と古代絹」
10ページ 第1-3表
で確認してください。
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