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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(187)   吉野ヶ里(30)  [日本の歴史]

前回の記事は、「華中ルート」も存在するのだという大新聞社の読売新聞社が、報道されましたので、気に入らなくて書きました。
 しかし、自分で読み直してみても良く解らない文書ですね。

絹は中国から日本に伝えられたものであるという流れは、定着しているようです。それらに加えて、「最古絹片には華中ルートもある」という記事が、読売新聞の記事です。

吉野ヶ里遺跡は、日本中の絹の集積地であり、漢人が取りしきていたのではと推理しています。ただ、それだけのことですから、この遺跡から、見つかった絹が、日本製の絹であるという資料は見つけていませんが、立岩遺蹟から見つかった絹を調べた結果が、布目順郎著 「養蚕の紀起源と古代絹」に掲載されていましたので、ここに書かれた資料から判断すると、立岩遺蹟の絹は、中国製ではなくて、日本製だと判断しました。

 両国で見つけられた絹が何時作られたかは判りませんが、日本製であったということは、凡ての絹が中国からもたらされたという考えは、改めなければいけないのではと思い始めています。

 今後、発掘される絹は、必ず、布目順郎氏の手法で、①完全度と②繊維断面積を調べますと、日本製の絹を見つけることが出来るのではと考えました。

このように考えますと、世界で発掘される絹は、中国が発祥地という推理は、変えなくてはいけないのではと思いました。
では、中国の外に、どの国で作られたと考える必要があります。桑の木が生えていた国では、養蚕が行われていた可能性が出てきます。
 調べて見ましたが、紀元前に、桑の木があった国が見つかりません。

インドやインドネシアなども、桑の木があった様です。
だから、絹がつくられていたとの証拠にはなりませんが、ユダヤ人が関係していたと考えますと、紀元前の事になりますから、インドやインドネシアも調べて見る必要があります。
 中国は、絹織物の輸出は行いましたが、生糸の生産方法や技術は、制限していたようですので、この点も調べたく思っています。
 

参考資料
世界の養蚕業の変遷
http://www.silk.or.jp/silk_gijyutu/pdf/1-4setsu.pdf

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