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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(189)   吉野ヶ里(32)  [日本の歴史]

前回のページを読まれたら、がっかりされたと思います。
こんな歴史なら、もう要らないと思われた方が多くて、きっと、読者は激減と思います。
(激減を書いたのは、2日前です。 750人の方に読んで頂いていましたが、一日に、100人減り。2日で、200人減り、読者は550人になりました)

昨日、岡山県の件(岡山県は、戦後、漢人の勢力地か、天皇の支配する所か)は、解決しました。
 どうして分かったかと言いますと、次のブログを眺めていて、判りました。

次のブログは、私が作ったものです。未完成のものですが、時々、私の頭を刺激してくれます。

式内社と祭神
http://o-mino.la.coocan.jp/page257.html
どうして解決したかと言いますと、神武東征では、広島と岡山においても戦をしたと考えていました。一覧表を見て頂きますと、岡山の文字は無くて、備前と備中と備後しかありません。
 これまでに書いてきました記事には、岡山と吉備と混ぜて使っていますが、頭の中では、岡山で、戦をしたと考えていたようです。

この表は、一目で、何処の国に、延喜式内社が何社在るかを纏めただけのものです。

式内社が制定されたのは、927年です。

 『式内社』をネットで検索しますと、次のように書かれています。
「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。本来「神名帳」とは、古代律令制における神祇官が作成した官社の一覧表を指し、官社帳ともいう。国・郡別に神社が羅列され、官幣・国幣の別、大社・小社の別と座数、幣帛を受ける祭祀の別を明記するのみで、各式内社の祭神名や由緒などの記載はない。延喜式神名帳とは、延喜式の成立当時の神名帳を掲載したものである。延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社で、そこに鎮座する神の数は3132座である。 では、延喜式とはどの様なものかと言いますと、延喜式の内の「延喜」は、平成と同じ様な、時代を表していますから、「式」が何かということになります。

虎尾俊哉著「延喜式」で見ますと、
一般的な用法においての法律や法制という意味を示すばかりでなく、もう少し限定的な意味を持っている。すなわち、「律」「令」「格」というような他の法典とは区別され、しかもこれらの法典とともに一連の体系的な法典を群を形作っている特定の法典を指す言葉なのである。(残念なことに、私には、理解出来ない事柄です) そして、こういう特定の法典 としての「式」、これは実は中国大陸に発達した漢民族の法律文化から学んだものに外ならない。前に引用した七世紀はじめの留学生の帰朝報告に見える意見具申は、そのまま政府に採用されて、その後わが国は唐の法制をとして暫時法典の編纂を行って行ったのである。 と記しています。
 
では、具体的には誰が、いつ頃から、法典の編纂を作り始めたかは、書かれていません。 漢文を読むことが出来る人が、「七世紀はじめ」以降ということになります。

「七世紀はじめ」は留学生が帰国した時です。 その後に、歴史上重要なことが、起こっています。
 645年の「大化改新」です。

「大化改新」の大化は、日本ではじめてつけられた元号の名前です。
こちらも、中国のシステムを取り入れましたから、中国語の理解出来る人しか、出来ない仕事でした。
 
 長くなりましたかので、すべて省略しますが、すべて、藤原氏が行ったことではないかと考えています。 この藤原の名前は、天皇から拝命された事になっています。

又もや、書きはじめの、「式内社と祭神」から離れてしまいました。
 次回にします。


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