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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(192)   吉野ヶ里(35)  [日本の歴史]

吉野ヶ里は、日本中で生産された絹を最終的に集められたところだと考えています。
 どうして、ここに集めなければならなかったかです。
 
 ここに集められた絹は、凡て中国に運ばれたと考えています。そして、世界中に運ばれたと考えています。
 どうして、そのようなスケールの大きいことを考えるのかと言いますと、一番に、絹は金銀と同じぐらいの値打ちが有ったらしいからです。
 ただ、運ぶ時には、同じ金額であれば、嵩が多い点は、欠点です。絹を日本から、中国へ運び、イタリアフランスまで運ぶには、船を使わないと、道中、危険と労力が多すぎます。

 現在、船の経路を探っていますが、船の航路が、100%見つかりません。

吉野ヶ里が世界に絹を輸出する拠点であると仮定した場合の有利な点は、次のようになるでしょうか。
 ①港まで、1kmも無かった。
 ②吉野ヶ里の周りにあった集落は、すべて、漢人の集落だったと思えること。
 ③吉野ヶ里が環濠集落であることです。
 ④全国の環濠集落は、漢人によって、支配されていた。

 上に挙げましたことは、どれ一つとして、日本の歴史学界で取上げていないのが、最大の欠点です。

 欠点の最大の理由は、時代が古すぎるからです。2000年前から、吉野ヶ里が誕生したとしますと、絹の歴史は、紀元前からあったようです。しかし、現在の歴史に対する考え方では、記録されたものは、古事記と日本書紀しか残っていません。

世界では、歴史は、6000年前に遡れます。

その話を次回、書いてみます。

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