So-net無料ブログ作成

神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(207) 古事記の初めの部分 [日本の歴史]

古事記の初めの部分を二回見て頂きました。
一つは、イザナギとイザナミが、天つ神の皆さんの要望から、どんどん国を生んだことが書いてあったことです。その結果として、現在では、全国の殆どの府県にイザナギとイザナミを祀る神社がある所を見て頂きました。

もう一つは、太安万侶は、知っていることを全部書きますと、古事記を処分される恐れが有りますので、天武天皇の希望に沿う様に、隠せる部分は、最大に判らないように書きました。しかし、天皇が望まれている『諸家の賷る帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多くの虚偽を加ふ。』部分は、すべて、正しくなるように書きました。

古事記の前半の部分に書かれていた記事に、「水蛭子」があります。太安万侶はどうして知っていたのでしょう。
 現在の日本人で、「水蛭子」を知っている人は、殆どおられないと思います。 実際に見た人は、お医者さんでも、少ないと思います。

 太安万侶は、どうして、水蛭子が生まれたかを説明しています。

このようなことは、天皇の歴史を書く場合に必要ありません。
どうして、書いたのでしょう。

古事記の初めの部分をもう一度書きます。
『天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣。次に神産巣日神。この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隠したまひき』
ということは、イザナギとイザナミが、隠岐にはじめてやって来たどころではありません。
 その後、ずっと、後になってから、あちこちから、多くの人が、「高天原」にやって来たと太安万侶は、書きました。

「天」という漢字は、普通は、「テン」と読むのですが、「アマ」と読むのだと、太安万侶は記しています。
 
 倉野憲司氏の翻訳本には、削られていますが、古事記の原本には、次のように書かれています。
「天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、」

一番最初の「天」はテンと読みます。「天地」で、テンチです。
訓高下天、云阿麻。下效此----高より下の天は、阿麻(アマ)訓ずる。 
下效此----以下に出てくる「天」も此れに従う。
 別天神、天の沼矛、天浮橋、天の御柱、天一根 このように、沢山、書かれていますが、全部、テンとは読まないで、アマと読んで下さいと書いてあります。
しかし、翻訳者の倉野憲司氏は「アメ」とフリガナを打っておられます。

 私は全くの素人です。倉野憲司氏は、古事記のプロの中のプロですから、倉野氏が間違っていると、書くのは、私の間違いになるでしょう。

はなしは、変わりますが、「高天原」というところへ、ぞくぞくと、神が集って来たと太安万侶は書きましたが、「高天原」は何処だということが、判りませんでした。
そこで、高天原は、此処だと名乗りを上げるところが一杯出てきました。

高天原とは?
http://takama.sakura.ne.jp/takama
 
 名乗って居られる所には、行ってきました。( 地元の皆さんは、一所懸命に、宣伝に努めておられますから、どこの町だとは書きません) ヒントは、古事記に書いてあるだけですから、貴方の所は、間違っていますとは、誰にも言えません。歩いていますと、高原にやって来ました。そこには、杭があり、そこに、「ここが高天原」という表示がしてありました。 本当の高原でしたが、2000年前に、人が住んでいた証拠の遺蹟は有りませんでした。

しかし、太安万侶は、そのようなことにならない様に、高天原の天は、「阿麻」と読むのだと書きましたから、
高天原の読み方は、  ----タカアマハラ、タカアマガハラ タカマのはハラ 位でしょうか。
しかし、現在では、「タカマガハラ」と読むようです。

読み方はどれでも良いとして、何処にあると書きますと、古事記は、処分されてしまいますから、「高天原」と書きました。
高原ですよ。 天つ神の聖地ですよ。 
と命名したのでしょう。 しかし、何処にあるかわからないと困りますから、「水蛭子」のはなしを挿入しました。

 二人が出会った時に、「女先に言へるにより良からず」と書いてあります。 女性であるイザナミの方から、挨拶の言葉を発したのが良く無かった。だから水蛭子が生まれたのだと長々と書いてあります。

 私は、高天原は「ヒルゼン高原」のことだと考えました。

正しいかどうか行ってきました。いや、正しいだろうと確かめる為に、行ってきました。

 もし、古事記ができて、直ぐに、ヒルゼン高原と分かって居れば、ヒルゼン高原にあった御所の跡などは、根こそぎ壊されていたと思われます。

 太安万侶は、どうして、「阿麻」と読むのだと書いたと思われますか。 高天原という地名は、初めからあったのではありません。 高天原は、勿論、高原でしたが、漢字の間に、「天」を入れたのは、太安万侶です。

 太安万侶は、ヒルゼン高原のことを、稗田阿礼から聞いたと思います。 
 なにを聞いたかと云いますと、

①阿礼がヒルゼン高原を訪れたのは、春のまだ、少し雪が残っていた頃だったと思います。 それは、如何して判るかと云いますと、 太安万侶は、古事記に次のように書きました。
 
「国稚く浮きし脂の如くして、、海月(くらげ)」なす漂へる時、葦牙の如く萌え騰がる物によりて成れ神の名は」

この文章の意味を書いた人は、田村誠一氏より他に見た事がありません。
 
木々の枝に残っている雪が、太陽に当たって、キラキラと輝いている様子を、「脂の如くして、、海月(くらげ)」と表現されました。海月は勿論、海にいるくらげ(水母)のことです。 奈良育ちの太安万侶は、海で泳いでいるクラケなど、見たことがないでしょう。 これは、稗田阿礼が話したことをそのまま、書いたのでしょう。

② 葦牙は、太安万侶の造語でしょう。 ヒルゼン高原は、はじめは、湖だったと思います。湖岸は、葦が一杯生えていましたが、その後、水は流れ出しましたが、古事記の後の方に、「水蛭子」を葦船に乗せて流したと書いてありますから、こんな話も、阿礼から聞いたのでしょう。

 雪が、枝から落ちると、 葦を覆っていた雪も落ちて、雪の重みで、垂れていた葦が、跳ね返ります。 ぐんぐん、伸びてくる様子を表現しています。

③この様子は、ヒルゼン高原に住んでいる者にしか判らないと田村誠一氏は、著書に書いておられます。 ということは、田村氏は、ヒルゼン高原に住んでおられたのです。(正確に表現しますと、別荘?を持っておられました)

④古事記のこの部分は、翻訳に苦労されています。 みなさんはどのように書いておられるか、古事記の解説書を読んでください。特に、葦牙に苦労されています。

如何でしたか。 このように解釈しますと、古事記のこの部分は、太安万侶の最大の「名文」と思われませんか。

この文章を読んで、ここは、ヒルゼン高原だと、すぐに分かっておれば、今頃のヒルゼンにある神社は、壊されて、半分も残らなかったと思います。

 そうしますと、隠岐の人が、ヒルゼン高原にやって来た事も判らなかったことになります。





nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。