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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(209) 隠岐 [日本の歴史]

前回、ヒルゼン高原へは、いろいろ所から、人々がやって来たことを見て頂きました。
隠岐の人達も、やって来ました。
証拠は、有りません。証拠らしきものは、ヒルゼン高原にある神社の祭神と、隠岐の神社に祭られている神さんとが、同じだと言うぐらいです。

このお話は、何度も紹介しています田村誠一氏が主張して居られます。

これは、確かめることが大変です。ヒルゼンも隠岐も、私は行ってきました。できるだけ、全部行くつもりでしたが、多くて、とても全部は行けませんでした。両方とも、一部の神社に行っただけです。
自分の目と頭で、確かめることはできませんでした。

田村誠一氏は、両方とも、きっと、行って来られたと思います。

ですから、書いて居られる記事は、どの著書でも、自信満々です。


倭国ゼロ世紀 第12話 河を忘れた古代史 古事放談 3-5------ これは、田村誠一氏の著書の一部です。

 隠岐が日本国の最初の地点だとすれば、先ず古事記の記述をみることである。古事記では隠岐の三つ児の島を生んだと書かれている。
 隠岐は島前(ドウゼン)、島後(ドウゴ)に分けられ、この間はフェリーでも一時間半位かかる位離れている。
 しかも島前は三つの島からなって居るので、もともと島後を隠岐と古事記は考えていたことが分る。島後を生んだとは書かれてないが、本州は大倭豊秋津島を生んだと書かれている。
 従って古事記では日本の起点は隠岐になっている。さもないと隠岐は四っの島であるから三っ児では矛盾が生じることになる。
 古事記に「子淡道之穂之狭別島」を生んだとあり、解説書はこれを淡路島としているがこれもおかしい。
 これは島根半島のことで、古代には米子から夜見浜が淡道として通じている穂すなはち先にある幅が狭い島のことであ。
 米子の「子」がここに登場する。淡道は狭別島の形容詞と考えるべきではないか。
 島根半島の島を書き忘れてよいだろうか。

田村氏の記事は、如何でしたか。 「子淡道之穂之狭別島」のように、意味は判らない様にして、太安万侶は古事記に書いたことが分かります。
そして、このような僅かな部分を元に、イザナギが、隠岐からやって来たことを導こうとしています。


※ 田村誠一氏は、古事記を元にして、 多くの著書を書かれました。

田村誠一氏の著書
http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html

①②③⑦の表題の部分をクリックしますと、本をすべて、読むことが出来ます。

第十二話は 次ノアドレスに掲載しています。
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/03/post-d7cd.html

 この外に、小冊子は沢山あります。

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