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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(211)中山国 [日本の歴史]

前回は、ヒルゼン高原に、隠岐島の人達が、移動してきたことを見て頂きました。
 紀元前に、どうして、遠い隠岐から移動しなければならなかったか、理由が欲しい所です。
タイトルに中山国という名前を記しました。この国は、中国の北京の南西にあった小さな国ですが、その歴史は、中国でも、良く分かっていなかったらしいです。

まわりの 国は、戦国七雄(秦、燕、趙、斉、楚、魏、韓)と呼ばれる国で、どの国も一字で表されています。戦国と呼ばれるだけに、想像するだけで、中山国は、何度も侵略されたと思います。
 燕、趙、斉に囲まれた、中山国があったと思もわれた所では、遺蹟は時々、発掘されていた様ですが、その国の歴史までは分かっていませんでした。

 1974年から4年間。大規模な考古学な調査・発掘が行われました時には、中山王サクの王墓が完全な形で発掘されました。その中の器物には、漢字で文章が書かれていましたので、いろいろのことが判りました。

中山王サク----ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E7%8E%8B%E3%82%B5%E3%82%AF
中山王 [1](ちゅうざんおうさく、? - 前313年、在位:前327年 - 前313年)は、中山国の王で第5代君主。北の燕及び趙を攻撃して領土を拡大し、中山国の礎石を築いた。
中山王墓1号墓の墓主であり、副葬された銅器の銘文からその存在を知られるようになった。
発掘された文物は、19000点余り有りましたが、140点程が、日本で公開されました。その時に、見学に行き、手にした解説書の初めのページに次のように書いてありました。
『中山国は元中国の陝西北部にいた白狄人が春秋戦国時代に建てたものである、歴史家は一般に考えている。』と記していますが、この王墓の発見により、この事は確かめられた様な文章になっています。
このことは、確認されたのですが、 1974年に王墓が発掘されたということは、中山国は、遺跡として発見されましたが、国民は、どこへ消えたかは、書いてありません。
あちこちへと逃げたことでしょうが、その一部の人が、日本の隠岐島に到達したことが、今度は、日本の資料 から確からしいということです。
 こんないい加減なことではなくて、もっと、一杯見つけてはずですが、すっかり忘れていました。
イザナギとイザナミは、銅鐸と関連があったと考えて、次の記事を書いています。
No67 イザナギは、どこへ行ったか
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-10-02

No68 イザナギの国作り 
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-10-04


No69 イザナギは、どこからやって来たか 
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-10-06


No70 イザナギは中山王国からやってきた
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-10-08


No74 なぜ イザナギを祭る神社が全国にあるのか
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17
No76 鳥取県の銅鐸に見られる共通点 
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-10-22

参考に
中山神社(サギの宮、伯耆の白兎発祥の地


「中山神社(サギの宮、伯耆の白兎発祥の地」をキーワードにして、グーグルで検索しますと、見る事が出来ると思います。きれいな、素晴らしいブログだと思います。


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