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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(214)白狄人 [日本の歴史]

白狄人と言う言葉は、中国の人もあまり、ご存じ無いのではないでしょうか。日本人も知らないと思います。
 何故かと言いますと、日常に使う必要がないからです。しかし、歴史上では、中国の書物には書いてあると思います。思いますと言うのは、私は中国語を知らないから見る機会がないからです。
 知っているのは、「中山王国文物展」の序文に、中国語で、「白狄族」と書いてあったのを私は、先日、「白狄人」と書き変えました。


白狄人特有の地名  田村誠一著 平成古事記38ページより

地名に蛇は不向きなのに蒜山高原に大蛇の地名があり、大は大王のことで伊耶那岐命
が住んでいた所です。この真北に蛇ケ叱があります。更に北に進むと加勢蛇川の源で
ここにも地名に蛇が付きます。河口の西は中山村で中山王国に由来していると思われます。

伊耶那岐命が来た道筋に蛇の地名を付けたのです。後で述べますがタビデの星の国から
来た人物は出雲の神門郡から蒜山高原の真南の円錐形の星ケ山まで切れることなしに神の
文字を地名に付けてしかもカミと発音しなかったのです。

中山王の二匹の猟犬は金と銀の首輪をはめていました。伊耶那岐命は犬を連れて隠岐に
渡来したので犬来の地名と犬町の地名があります。蒜山高原にも大挟峠と犬畑があります。
蒜山高原の最高峰は毛無山でこの山と同じ緯度に近江に犬上郡があり多賀大社がありここ
が近江の都でした。
丹後半島に犬ケ岬があり、同じ東経線上に丹後半島と神戸市ひよどり越の近くに高尾山
があったのも白秋人に重要な目標だったのです。
紀伊半島に虎ケ峰の独立峰が四国の剣山と同じ緯度の線上にあったのは白狄人が命名し
たのです。

このように、田村氏は使っておられましたので、私は普通に使っていました。今、EX-wordで検索しましたら、収録されていません。

ネットではと検索しますと、見つかりました。

テュルク系民族(戎、狄)によって、鉄器製造技術が伝わった。
https://blogs.yahoo.co.jp/hs_anriver/11480824.html
 このブログの筆者は、本文の中で、「白狄人」を使っておられます。

 「白狄族」と「白狄人」は、どちらが正しいと思われますか。

どちらが正しいではなくて、「白狄族」は中国の人が、昔から、そのように呼びたかっただけです。田村氏は、「白狄人」と呼びたかったのでしょう。

 もう少し、調べてみます。
----ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%84

ここには
狄(てき)あるいは北狄(ほくてき)は、四夷の一つ。古代中国において北方の中原的都市文化を共有しない遊牧民族を呼んだ呼称である[1]。北方の民族は度々中原を侵略したことから、北方にいた異民族は総じて狄と呼ばれるようになり、北狄は蔑称としての意味合いが強くなった。
 
 ここの表現は、正しいでしょうか。「北狄は蔑称としての意味合いが強くなった」は、このブログの筆者の思いでしょう。

私は、ここに図示してある右の図をみて、驚きました。南の「族」は、「南蛮」と書いてあります。南蛮貿易の南蛮人かと思って、調べました。

次回は、「狄」という漢字のことを書いてみます。中国人は、北狄族
をあらわす為に、漢字を作ったのではないかと考えました。


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