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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(223)古事記の神さん [日本の歴史]

少し、話題が戻りますが、神さんのことを書いてみます。

神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(218)白狄人(5)に於いて、太安万侶は、古事記の中で、神と命を使い分けていることを記しました。例えば、伊邪那岐神と伊邪那岐命の場合のようにです。
 この場合は、分かり易いです。

①神世七代のところでは、他の神と同様に、伊邪那岐神と書かれています。

②次の所には、
 ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、「この漂へる国を修め理り固め成せ」と記されています。

天つ神諸が、伊邪那岐と伊邪那美に命令したことになっています。 命令された二人は、伊邪那岐と伊邪那美ではなくて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神と記しています。

まだ、命じられていない、神世七代の所では、伊邪那岐神と記し、太安万侶は、違いを表現したのではと考えました。

と言うことは、伊邪那岐神は、古事記に書いてある神さんの名前と思っていましたが、「神さん」ではなくて、「神」なのですね。

神ではなくて、「神さん」と表現した時は、私は神さんをどのようにとらえるかと言いますと、例えば、大学の受験の合格を願って神社に行くとします。その望みに応えれるように、世間一般では、御利益が期待される神社は、効果が有ることを宣伝して居られます。

このような神さんは、自分の願いごとを聞いてくださる神さんと成ります。

古事記に登場する神は、次のように、一杯あります。
高御産巣日神  神産巣日神  宇摩志阿斯訶備比古遅神 天之常立神 国之常立神
豊雲野神  宇比地邇神  智邇神  角杙神  活杙神  斗能地神  大斗乃弁神  
於母陀流神 
活津日子根命  熊野久須毘命  建比良鳥命  多紀理毘売命
奥津島比売命  市寸島比売命  多岐都比売命

これらの神は、神社において、祭られていますが、古事記のどの神・命も、願いごとをしても、答えてくれません。
 また、お参りする時も、特定の神に名指しをして、お願いをすることは有りません。

私が毎朝参拝する神社は、須佐之男命が祭神です。
略、毎日のように、夫婦で参拝しますが、お賽銭を入れて、鈴を鳴らして、かしわ手を打って、お辞儀をして、朝の挨拶と、本日もよろしくお願いしますと頭の中で言うだけです。

 ここ数年は、病気の連続ですが、治りますようにとお願いはしません。病気は自分で治します。
五年掛った膀胱癌は、去年の去年の八月で、完治しました。
 その代わりと言えば、変ですが、五年間、三ヶ月ごとに、診察を受けていましたら、続けて、前立腺癌が発見されました。16以上ありましたPASは、見事に、0.18に下がりましたが、この数値でも、今までに、亡くなられた患者さんがおられると先生に脅されて、放射線治療を始めました。
 一昨日からスタートしまして、今日で3日目です。  無茶苦茶大変な治療ですが、土日を除いて、39回照射することになっています。

でも、神さんにも、よろしくと毎日、一言はお願いします。

すみません脱線しました。


この古事記に書かれている神や、歴史を間違っているぞと、声を挙げたのは、日本書紀を作った人達だと考えています。

日本書紀には、古事記と同じようなことが書いてあります。宇治谷孟氏による日本書紀の翻訳文をお借りします。

「天地が開けた始めに、国土が浮き漂っていることは、たとえていえば、泳ぐ魚が水の上の方に浮いているようなものであった。そんなとき天地のなかに、ある物が生じた。形は葦の芽のようだったが、間もなくそれが神となった。国常立尊と申上げる」

----大変貴いお方は「尊」といい、それ以外のお方は「命」といい、ともに、ミコトと読む。以下、すべてこれに従う-----

如何ですか。 古事記の「天地の初めて発(ひら)けし」の書き始めの部分と、全く同じです。

太安万侶は、どのように書きましたか。
「国稚く浮きし脂の如くして、海月なす漂へる時、葦牙のの如く萌え騰がる物によりて成れる神の名は・・・」

全く同じ光景を表現していますが、海月(くらげ)が泳いでいる様子は見られた事がありますか。私は有りません。しかし、ゆらゆらと浮いているのでしょうね。 日本書紀の作者は、「泳ぐ魚が水の上の方に浮いている」
と書きましたが、魚が泳いでいる様は、浮いているように見えるでしょうか。 メダカですと、水槽に入れたメダカを下の方から見ますと、泳いでいる様子は、動きは、急に変えたりします。海で泳いでいる魚は、泳げませんので、知りませんが、プールのように水がきれいですと、良く見えるでしょうね。 でも、浮いては見えないでしょう。
 このようなことを考えなくても、翻訳が間違っているのでしょう。
稗田阿礼が、雪解けの頃に、訪れたヒルゼン高原(高天原)の神社で、神と出会ったようなことを太安万侶におしゃべりしたのでしょう。
 沢山ある神社で座っていたら、目の前の、木々につもった雪が、解けて、音もなく落ちます。すると、下の葦に積っていた雪が、落ちましたら、下から、葦の葉が見えました。それは、葦は新しい芽を一杯伸ばしながら、積っていた雪をはねのけて、宇摩志阿斯訶備比古遅神が登場しました。 と考えたのは、太安万侶でしょう。天之常立神も付け加えました。
 これらの五人の神は、別天つ神ですよと、太安万侶は書きました。(中国の雲南省からやってきた人々ですよ)
 古事記を参考にして日本書紀を書いた人は、先に述べたように書きましたが、太安万侶が書きたかったことは、書きませんでした。この前後に書いてある神々は、天皇の先祖ですよと書いたのです。 

 これがばれていたら、日本書紀の書き方は、もっと、違った内容になったと思います。

 宇摩志  阿斯訶備 比古遅 は解りましたか。 比古ですから、男の神でした。

 日本書紀を書いた人だけではなくて、現在の歴史家も全員、太安万侶に騙されました。
 
 そのために、古事記が、写本ではありますが、残った事になります。

さて、ご本人である 現在の天皇陛下は、天皇家の歴史が、古事記に書いてあることをご存じでしょうか。


 古事記の命も、日本書紀の尊も、読み方は、ミコトと同じだが、日本書紀の尊の方が、大変貴いお方であると日本書紀は、記します。
と言うことは、古事記の国常立命よりも、日本書紀の国常立尊の方が、貴いのだと日本書紀は、記します。
 古事記の国常立命の書き方は、間違っていますよ。と日本書紀は、忠告を与えた形になっています。

 どちらにしても、私にとっては、願いことを聞いてくれない神や命は、どうでも良いことになります。
 太安万侶は、名前だけの神ではなくて、天皇家と関係のある神の名前を列挙したと思います。
 それを日本書紀の人達は、間違っていると、国常立命を国常立尊に書き換えたことになります。「命」よりも、「尊」の方が、貴いからという理由をあげて、国常立命という神は、間違っていると、日本書紀では、書き換えました。

 本当は、古事記は、720年頃には、日本中から消えてしまっている筈が、400(800年という人もあります)年程経って、写本が見つかってしまいました。
 このように考えますと、古事記の写本は、一杯あったのでしょうが、全て、処分されたという邪推をしています。
 邪推と書きましたが、古事記を丁寧に読みますと、おかしい所が、見つかります。これは、誰かが、書き換えたのではと思える所があります。

 この話を書き始めますと、私のこのブログは消されることになるのではと心配しています。プログだけてあれば良いですが、私まで消されるのではと心配しています。

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