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歴史番外編 No04 おん祭 [歴史番外編]

12月18日 春日神社の今年最後の行事が終わりました。17日、9時に自宅を出て、奈良到着、11時30分。奈良県庁の前の道路に見物の場所を定め、春日若宮おん祭のパレード(お渡り式)を見物することにしました。敷地は、興福寺の敷地の東側になります。
 どうして、おん祭のことを書くつもりになったかと言いますと、藤原不比等から後には、日本の基礎を築いたのは、藤原氏の人々ではないかと考えています。このような事を書きますと、天皇家を崇拝される方からは、叱られるでしょう。しかし、藤原氏の人々の力を否定することはできないと思います。しかし、藤原氏の人だけかといいますと、まだ調べていませんが、神社の祭神は、あまりにも多すぎると思われるのに、スサノオがあります。
 江上波夫博士が唱えられた「騎馬民族征服説」です。いわゆる騎馬民族が日本列島を支配・征服し現在に至っている有名な説です。では、その騎馬民族とは、スサノオのことかといいますと、どうやら違うようですが、スサノオだとしますと、日本を征服した感じがします。
 ただ、スサノオは日本に上陸してから、どのように日本を形づくって言ったのかといいますと、はっきりしません。奈良に都を作ったのは、藤原氏ですし、京都に都を造ったのも藤原氏です。まだ、なにも調べていませんので、よく判らないのですが、京都の秦氏は、平安時代を築いた人たちではないかとぼんやり思っています。
古事記には、大穴牟遲神が根の国を訪問したときに、スサノオの娘である須世理毘賣に一目ぼれした話が書かれています。続きを書きますと、スサノオは、蛇の部屋に寝させて大穴牟遲神を殺そうとしたり、いろいろの意地悪をします。死ぬほどのひどいことを受けますが、生き延び、大穴牟遲神は最後に、須世理毘賣を背負って逃げ出します。スサノオは黄泉比良坂まで追いかけてきましたが、とうとう諦めて、大穴牟遲神に、「生大刀と生弓矢で以って、汝の庶兄弟を坂の御尾に追い伏せて、亦、河の瀬に追い撥(チ)らせ」と叫びます。 大穴牟遲神の庶兄弟は、80人ほどいました。その庶兄弟を殺せとは言っていません。「其の八十神を追い避けた時に、坂の御尾毎に追い伏せました。河の瀬毎に追い撥らして」とあります。殺したのではありません。「追い避けた」は、戦を避けたのでしょう。
他のグループは、「追い撥らせ」とありますから、やはり殺していません。この人たちは、何処へ行ったかは、後ほど出てきますが、大半は京都に、残りは出雲に逃れました。坂の御尾が京都で、河の瀬が出雲でしょうか。逃走ルートはどこか想像してもらいますと、楽しいです。そのためには、どこに仲間がいたかなどを調べる必要があります。
そして、大穴牟遲神は、スサノオが命令した通りに、「宇迦能山の山本」の大国の主になり、その後、大国主命となります。スサノオは、「是奴也」と云っています。 ここが奴国です。
随分、話がそれてしまいました。 京都に追われた人たちは、八坂神社の近辺に住むことになりました。八坂神社にはスサノオが祀られています。この八坂神社のお祭の一つに祇園祭があります。
祇園祭を言うために、長々と書いてきました。祇園祭を見に行かれたことがありますか? この祭りを見るのは、大変です。鉾の曳航だけを見物しても祇園祭を理解することはできません。祇園祭を行うために、どのように準備をされるのか、終わったあとは、どのように鉾などを格納されるのか、最低、3日は見る必要があります。すると、学問など必要ありません。その文化の高さは、肌で感じることができます。そうしますと、日本の基礎が京都で熟成したことが自然に理解できます。
現在の日本は、神社を宗教と捉えているために、日本全国の神社に対する経済的援助は一切しないことになっています。そのため、1000年以上続いた祇園祭は、京都府の人たちの力で守られています。
春日若宮おん祭も、八坂神社と同様に、政府・県からの援助を得ることは出来ません。この祭は、春日大社のお祭ではありません。春日大社には、60近くの摂社があります。多いほど、過去にいろいろ複雑なことがあったことが判ります。春日若宮おん祭は、春日神社の中にある「春日若宮神社」のお祭です。
春日若宮神社のことは、伝承によりますと、崇徳天皇の長承三年(1134)は、大風、洪水、火災、飢饉、疫病などが頻発する凶年でしたので、時の関白藤原忠通が災禍を払い、五穀豊穣・天下泰平を祈願して、氏神の春日大社の近くに翌四年、若宮を創建したといいます。さらに、その又翌年の保延二年(1136)9月17日に若宮祭が初めておこなわれて、現在まで、続いているという事です。単純に引き算しますと、864回続けられていることになります。
No287に「春日大社」のタイトルで書きました。「春日大社のことはあまり考えたくありません。平城京の東の寺院を見てきましたので、避けて通る訳には行かないように思います」の書き出しで、少し、書きました。
春日大社の祭神は、
第一殿 武甕槌命(タケミカヅチのミコト)------主神。和銅二年?(709)、常陸の国鹿島神宮(現
茨城県鹿島郡)から白い神鹿に乗って飛んでやってきた。称徳天皇の勅命により藤原北家の藤原永手が藤原氏の氏社として創建。神護景雲二年(768)に社殿の造営。
第二殿 経津主命(フツヌシのミコト)-------下総国香取神宮(千葉県佐原市)から迎える。
第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)-、河内国枚岡神社(現大阪府東大阪市)から
第四殿 比売神(ヒメガミ)------------------   少し遅れて、枚岡神社よりこられる。

第三殿の 天児屋根命の子供が、天押雲根命です。春日若宮神社の祭神は、天押雲根命です。
このような事を知っていますと、おん祭は楽しいものになります。その上に、判らなかった藤原氏のことも少し判るようになります。歴史は、文献を調べたり、その調べたことを元に日本史はこれが正しいという歴史を学校で学ぶものではないと思います。
これからの日本は、どのように進んでいくのかを予想するときに、日本の歴史は、大切です。
これからの日本を作っていく人は、諏訪の建御名方神を祭っておられる人たちであり、奈良の春日大社を守っておられる方であり、京都の八坂神社、出雲大社、宇佐八幡大神を祭られておられる方だろうと思います。大きな神社ばかり書きましたが、地方の小さな神社であっても、神をしっかり守っておられる方が、今後の日本を背負っていくと考えています。
長くなりましたので、日を改めて、春日若宮おん祭がどのような祭であるのか、私の目を通してみた祭を書いてみようと思います。そんな馬鹿なと思われる方は、来年は、奈良を訪れてください。そして、自分の目で確かめてください。
そして、奈良の人たちの「心」を読み取っていただければと思います。