No727神武東征(176) 神武天皇(119) 奥津鏡・辺津鏡(15) [日本大好き]
このタイトルは奥津鏡・辺津鏡ではなく、「天の詔琴」にしようかと思いましたが、このままにしておきます。
No724神武東征(173) 神武天皇(116) 奥津鏡・辺津鏡(12)において、「天の詔琴」のことを、歴史家の丸山林平氏と中西進氏が、つぎのように捉えておられますと、奥津鏡・辺津鏡が、ボヤけてきますので、こだわっています。
丸山林平氏----天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。
中西進氏------天の詔琴だから、三種神器の一つである。
天の詔琴がりっぱな事だとか、三種神器の一つであるとなりますと、古事記に書いてあることは、無視した解釈になります。古事記にせよ、日本書紀にせよ、この辺りに書かれてあることは、殆どの方は、神話だと考えて居られるのではないでしょうか。古事記よりは、日本書紀の方がは正しいと思っておられる方が多いでしょう。
それでも、世の中が、ひっくり返るわけでもないですから、どうでもいいのかもしれません。
私は、古事記に書いてあることは、正しいと考えています。
又、脱線しましたので、修正です。
〔天〕の字がつく文章は、古事記では少し飛んで、次の部分になります。
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】
倉野憲司氏・岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』に拠りますと、
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
〔天〕の付く単語は、天の浮橋と天の沼矛の二つです。
訳はあくまで、直訳です。訳した人の考えを入れてはいけないのですが、読む時は、書いた人がなにを言いたかったかを読み取らなければいけないと思います。
天つ神諸の命が、「天の沼矛」を渡して、二柱の神を天の浮橋に立たして、「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と言ったとあります。
二柱の神は、命令されるに足る能力があったと考えるのが普通です。
そこで、二柱の神は、沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より塩が垂り落ちた。その塩が積もりて積もって島が出来上がった。島の名前は、淤能碁呂島です。
以上が書いてあることです。本当に命令されたかどうかは判りませんが、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神が、淤能碁呂島を作ったと書かれています。
それにしても、天の浮橋とは、なんのことか理解できません。日本書紀を書いた人は、古事記を参考にして書いたと思われます。
日本書紀では、どのように書いてあるかと云いますと、
〔伊弉諾尊・伊弉冉尊が、天の浮橋の上に立たれて、相談していわれるのに、「この底の一番下に国がないはずはない」とおっしゃって、玉で飾った矛を指し下して、下の方をさぐられた。そこに青海原が見つかり、その矛の先からしたたった海水が、凝り固まって一つの島になった・・・〕
これは、日本書紀の本文です。
ここに、「玉で飾った矛」と書いてありますから、丸山林平氏は「〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。」と説明されたのだと思います。
所が、日本書紀には、本文の外に、「一書」と記して、外の書物に拠れば、このようにもかいてありますと、文章が書いてあります。
この部分は、第十書までありますから、他の資料はどのように書いてあるか確認してください。
「第一書」には、天の詔琴ではなしに、天瓊矛と書いてあります。「第三書」も天瓊矛です。「第三書」には、「玉飾りの矛」と書いてあります。
ついでに、古事記に書かれている島の名前は、「淤能碁呂島」で、日本書紀二書かれている島の名前は、「磤馭慮島」になっています。
古事記と日本書紀を比べた時に、同じ読み方をするように書いてある場合は、読むことが出来ないのは、日本書紀の方です。古事記の方は、どうにか万葉かな式に読みますとよむことは出来ます。「磤馭慮島」は、一つずつの漢字で読むことができるのは、「島」位のものです。
日本書紀を書いた人は、前回書きました「天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。」
この部分も、意味が分らなかったと見え、「地球がどのようにして出来たか」の説明をしています前回、書きましたように、天津族の人達は、新しい自分たちの国を造るために、ヒルゼン高原に、先ず、5人の調査隊を派遣したところから始っています。
次は、ヒルゼン高原に決め、建設隊の7組の者を派遣しました。はじめの二人は独身です。独身者ばかりでは、人間は増えませんから、後の5組は男女のペアです。
そして、最後に到着した伊邪那岐命と伊邪那美命に、国を造るように命じました。
少なくとも、日本書紀を作った人達は、古事記に書いてあることの意味が良く分らないので、本文に書いてある様に書きました。古事記の完成は712年。日本書紀の完成が、720年。 日本書紀を造る時には、古事記があった筈ですが、他の10冊の書物には、古事記に似たものはありません。
古事記と日本書紀がだぶって書かれて有る所では、他の資料は必ず、沢山書かれています。全部読んでいますと、頭が混乱します。日本書紀の作者は、混乱させるためにそのようにしたと理解しています。
と云うことは、古事記に書いてあることは、信用出来ない様に思わ沿うとしたと推察しています。
日本書紀を書いた人達も、古事記を書いた太安万侶に騙されたことになりますが、現在の歴史家は、今度は、日本書紀に騙されたことになります。騙されたのは、現代の歴史家に迦切りません。江戸時代の歴史家も、明治・大正の歴史家も全員騙されていたことになります。騙された年月は、1300年にわたることになります。
No724神武東征(173) 神武天皇(116) 奥津鏡・辺津鏡(12)において、「天の詔琴」のことを、歴史家の丸山林平氏と中西進氏が、つぎのように捉えておられますと、奥津鏡・辺津鏡が、ボヤけてきますので、こだわっています。
丸山林平氏----天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。
中西進氏------天の詔琴だから、三種神器の一つである。
天の詔琴がりっぱな事だとか、三種神器の一つであるとなりますと、古事記に書いてあることは、無視した解釈になります。古事記にせよ、日本書紀にせよ、この辺りに書かれてあることは、殆どの方は、神話だと考えて居られるのではないでしょうか。古事記よりは、日本書紀の方がは正しいと思っておられる方が多いでしょう。
それでも、世の中が、ひっくり返るわけでもないですから、どうでもいいのかもしれません。
私は、古事記に書いてあることは、正しいと考えています。
又、脱線しましたので、修正です。
〔天〕の字がつく文章は、古事記では少し飛んで、次の部分になります。
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】
倉野憲司氏・岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』に拠りますと、
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
〔天〕の付く単語は、天の浮橋と天の沼矛の二つです。
訳はあくまで、直訳です。訳した人の考えを入れてはいけないのですが、読む時は、書いた人がなにを言いたかったかを読み取らなければいけないと思います。
天つ神諸の命が、「天の沼矛」を渡して、二柱の神を天の浮橋に立たして、「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と言ったとあります。
二柱の神は、命令されるに足る能力があったと考えるのが普通です。
そこで、二柱の神は、沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より塩が垂り落ちた。その塩が積もりて積もって島が出来上がった。島の名前は、淤能碁呂島です。
以上が書いてあることです。本当に命令されたかどうかは判りませんが、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神が、淤能碁呂島を作ったと書かれています。
それにしても、天の浮橋とは、なんのことか理解できません。日本書紀を書いた人は、古事記を参考にして書いたと思われます。
日本書紀では、どのように書いてあるかと云いますと、
〔伊弉諾尊・伊弉冉尊が、天の浮橋の上に立たれて、相談していわれるのに、「この底の一番下に国がないはずはない」とおっしゃって、玉で飾った矛を指し下して、下の方をさぐられた。そこに青海原が見つかり、その矛の先からしたたった海水が、凝り固まって一つの島になった・・・〕
これは、日本書紀の本文です。
ここに、「玉で飾った矛」と書いてありますから、丸山林平氏は「〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。」と説明されたのだと思います。
所が、日本書紀には、本文の外に、「一書」と記して、外の書物に拠れば、このようにもかいてありますと、文章が書いてあります。
この部分は、第十書までありますから、他の資料はどのように書いてあるか確認してください。
「第一書」には、天の詔琴ではなしに、天瓊矛と書いてあります。「第三書」も天瓊矛です。「第三書」には、「玉飾りの矛」と書いてあります。
ついでに、古事記に書かれている島の名前は、「淤能碁呂島」で、日本書紀二書かれている島の名前は、「磤馭慮島」になっています。
古事記と日本書紀を比べた時に、同じ読み方をするように書いてある場合は、読むことが出来ないのは、日本書紀の方です。古事記の方は、どうにか万葉かな式に読みますとよむことは出来ます。「磤馭慮島」は、一つずつの漢字で読むことができるのは、「島」位のものです。
日本書紀を書いた人は、前回書きました「天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。」
この部分も、意味が分らなかったと見え、「地球がどのようにして出来たか」の説明をしています前回、書きましたように、天津族の人達は、新しい自分たちの国を造るために、ヒルゼン高原に、先ず、5人の調査隊を派遣したところから始っています。
次は、ヒルゼン高原に決め、建設隊の7組の者を派遣しました。はじめの二人は独身です。独身者ばかりでは、人間は増えませんから、後の5組は男女のペアです。
そして、最後に到着した伊邪那岐命と伊邪那美命に、国を造るように命じました。
少なくとも、日本書紀を作った人達は、古事記に書いてあることの意味が良く分らないので、本文に書いてある様に書きました。古事記の完成は712年。日本書紀の完成が、720年。 日本書紀を造る時には、古事記があった筈ですが、他の10冊の書物には、古事記に似たものはありません。
古事記と日本書紀がだぶって書かれて有る所では、他の資料は必ず、沢山書かれています。全部読んでいますと、頭が混乱します。日本書紀の作者は、混乱させるためにそのようにしたと理解しています。
と云うことは、古事記に書いてあることは、信用出来ない様に思わ沿うとしたと推察しています。
日本書紀を書いた人達も、古事記を書いた太安万侶に騙されたことになりますが、現在の歴史家は、今度は、日本書紀に騙されたことになります。騙されたのは、現代の歴史家に迦切りません。江戸時代の歴史家も、明治・大正の歴史家も全員騙されていたことになります。騙された年月は、1300年にわたることになります。
No726神武東征(175) 神武天皇(118) 奥津鏡・辺津鏡(14) [日本大好き]
話題は益々、神武東征と離れて行きますが、このまま、辛抱して読んでください。
倉野憲司氏の翻訳本『古事記』に書かれている原文を記します。
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。
上件五柱神者。別天神。
此の書き下し文を私が勝手に作りました。次に記します。
天(テン)と地ができて初めのころ、高天原に、平定しながらやってきたのは、
天之御中主神(テンノミナカヌシ)です。その次にやってきたのは、高御産巣日神。そして、神産巣日神て゛した。この三人は、独身者で、そのうちに、身を隠しました。
国はわかくて、(季節は)浮いたあぶらのように、クラゲが漂うに、葦の芽が萌えあがるように見える時です。そのような時、成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神 次にやってきたのは、天之常立神(テンノトコタチ)。この二人もまた、独神でした。そして、ここを去っていきました。
上に書きました五人の神は、天つ神とは、別の神さんです。
太文字は、神の名前です。5人いました。
翻訳した時に、重要視したポイントを次に記します。
訳本を書かれた倉野憲司氏と全然意味が違うようになりました。
① 「天」という字が一杯でてきます。「於高天原成神名」の天だけは、特別に、【訓高下天云阿麻下此】と注釈があります。「阿麻アマ」と読むようにと。ということは、他の「天」は、「アマ」と読まないで、「テン」と読むのでしょう。(と自分で説明しながら、3年ほど前は、「別天神」は、天つ神にしました。天津神の中でも、特別の神と云う意味。しかし、最近は、そのまま読んで、天っ神とは別ですと読んでいます。)
② 「於高天原成神名」のなかに、「成」の漢字があります。倉野憲司氏は、この字を訳さずに、「成れる」と書いておられます。これではなんのことか判りません。
「成」の字は、もともと、「戈ホコ」の意味があり、戈を使って、やっつけながら、成し遂げることだと思われます。(この高天原には、先住民がいました。縄文遺跡があります)
③蒜山高原の麓で育たれました田村誠一氏は、著書の中で、春は、本当にこのような光景ですと書いておられます。高天原を蒜山だと田村氏は説明しておられます。
ここに書かれているとおり、高天原は葦が生えていたことが分かります。その葦が、同じ位置から見れば、萌えあがるようであり、少し上から見れば、ふぁふぁと波打っていたのだと思います。
④ 「天之常立神」に注意書きがあります。【訓常云登許訓立云多知】「常」を「トコ」と読み、「立」は「タチ」と読みなさいと。「天」はなにも書いてありません。書いて無いのであれば、普通に、「テン」と読むのでしょう。
⑤「上件五柱神者。別天神」の読みかたで、古事記は、流れが全く違うものに成ります。
倉野憲司氏は、「別天神」を「別(コト)天つ神」と読んでおられます。なんのことか判らなかったらいけないので、注をつけておられます。
天つ神の中の特別な天つ神、と。
確かに、「別」という漢字は、特別の別ではありますが、刀で分ける意味があります。
天つ神と別なのだという意味になります。
もし、特別な神であれば、どのように特別なのか、記されていても良いですが、記されていません。
ただ、大国主神と一緒に全国を開発して廻った少名毘古那神は神産巣日神の子供だと古事記にあります。
又、『古事記』では高御産巣日神は、葦原中津国平定である天孫降臨の際には高木神という名で登場します。登場するだけではなく、文の前後から判断すると、天照大御神と同じ位重要な神として扱われています。
上の五柱の神は、天つ神ではありません。この後にでてくる神が、天つ神なのですよ。
と、念を押したのだと思います。
と云うことは、天之御中主神と天之常立神には、〔天〕が付いていますが、天津神ではないと判断すべきだと思います。
⑥並獨神成坐而。獨神は、独身の神には違いないと思いますが、「独」という字には、牡という意味が一義にありますので、男の神だと思います。
もう一度、5人の神の名を書きます。
天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日、宇摩志阿斯訶備比古遲神、天之常立神です。
前に書いてある〔天〕〔高〕〔神〕〔宇摩志〕は、出身地の名前ではないかと推理しています。
〔天〕は、中国の雲南省にあった〔滇テン〕ではないか。苗族で、天照大神や神武天皇が、計画的に、日本へ入植させたのではないかと考えています。
〔高〕と〔宇摩志〕は、どこか判りません。〔神〕はユダヤ人ではないかと思います。
そりゃ何だと思われる方が、殆どだと思います。
このブログの左の部分をスクロールしながら見ますと、検索のコーナーがあります。
キーワードを〔苗族〕とか〔雲南省〕とか〔ユダヤ人〕と入れて検索して頂きますと、厖大な文章がヒットすると思います。
馬鹿らしいとおもいながらでも、読んで頂きますと、そうかいなと思えるのではないかと思っています。
倉野憲司氏の翻訳本『古事記』に書かれている原文を記します。
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。
上件五柱神者。別天神。
此の書き下し文を私が勝手に作りました。次に記します。
天(テン)と地ができて初めのころ、高天原に、平定しながらやってきたのは、
天之御中主神(テンノミナカヌシ)です。その次にやってきたのは、高御産巣日神。そして、神産巣日神て゛した。この三人は、独身者で、そのうちに、身を隠しました。
国はわかくて、(季節は)浮いたあぶらのように、クラゲが漂うに、葦の芽が萌えあがるように見える時です。そのような時、成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神 次にやってきたのは、天之常立神(テンノトコタチ)。この二人もまた、独神でした。そして、ここを去っていきました。
上に書きました五人の神は、天つ神とは、別の神さんです。
太文字は、神の名前です。5人いました。
翻訳した時に、重要視したポイントを次に記します。
訳本を書かれた倉野憲司氏と全然意味が違うようになりました。
① 「天」という字が一杯でてきます。「於高天原成神名」の天だけは、特別に、【訓高下天云阿麻下此】と注釈があります。「阿麻アマ」と読むようにと。ということは、他の「天」は、「アマ」と読まないで、「テン」と読むのでしょう。(と自分で説明しながら、3年ほど前は、「別天神」は、天つ神にしました。天津神の中でも、特別の神と云う意味。しかし、最近は、そのまま読んで、天っ神とは別ですと読んでいます。)
② 「於高天原成神名」のなかに、「成」の漢字があります。倉野憲司氏は、この字を訳さずに、「成れる」と書いておられます。これではなんのことか判りません。
「成」の字は、もともと、「戈ホコ」の意味があり、戈を使って、やっつけながら、成し遂げることだと思われます。(この高天原には、先住民がいました。縄文遺跡があります)
③蒜山高原の麓で育たれました田村誠一氏は、著書の中で、春は、本当にこのような光景ですと書いておられます。高天原を蒜山だと田村氏は説明しておられます。
ここに書かれているとおり、高天原は葦が生えていたことが分かります。その葦が、同じ位置から見れば、萌えあがるようであり、少し上から見れば、ふぁふぁと波打っていたのだと思います。
④ 「天之常立神」に注意書きがあります。【訓常云登許訓立云多知】「常」を「トコ」と読み、「立」は「タチ」と読みなさいと。「天」はなにも書いてありません。書いて無いのであれば、普通に、「テン」と読むのでしょう。
⑤「上件五柱神者。別天神」の読みかたで、古事記は、流れが全く違うものに成ります。
倉野憲司氏は、「別天神」を「別(コト)天つ神」と読んでおられます。なんのことか判らなかったらいけないので、注をつけておられます。
天つ神の中の特別な天つ神、と。
確かに、「別」という漢字は、特別の別ではありますが、刀で分ける意味があります。
天つ神と別なのだという意味になります。
もし、特別な神であれば、どのように特別なのか、記されていても良いですが、記されていません。
ただ、大国主神と一緒に全国を開発して廻った少名毘古那神は神産巣日神の子供だと古事記にあります。
又、『古事記』では高御産巣日神は、葦原中津国平定である天孫降臨の際には高木神という名で登場します。登場するだけではなく、文の前後から判断すると、天照大御神と同じ位重要な神として扱われています。
上の五柱の神は、天つ神ではありません。この後にでてくる神が、天つ神なのですよ。
と、念を押したのだと思います。
と云うことは、天之御中主神と天之常立神には、〔天〕が付いていますが、天津神ではないと判断すべきだと思います。
⑥並獨神成坐而。獨神は、独身の神には違いないと思いますが、「独」という字には、牡という意味が一義にありますので、男の神だと思います。
もう一度、5人の神の名を書きます。
天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日、宇摩志阿斯訶備比古遲神、天之常立神です。
前に書いてある〔天〕〔高〕〔神〕〔宇摩志〕は、出身地の名前ではないかと推理しています。
〔天〕は、中国の雲南省にあった〔滇テン〕ではないか。苗族で、天照大神や神武天皇が、計画的に、日本へ入植させたのではないかと考えています。
〔高〕と〔宇摩志〕は、どこか判りません。〔神〕はユダヤ人ではないかと思います。
そりゃ何だと思われる方が、殆どだと思います。
このブログの左の部分をスクロールしながら見ますと、検索のコーナーがあります。
キーワードを〔苗族〕とか〔雲南省〕とか〔ユダヤ人〕と入れて検索して頂きますと、厖大な文章がヒットすると思います。
馬鹿らしいとおもいながらでも、読んで頂きますと、そうかいなと思えるのではないかと思っています。
No725神武東征(174) 神武天皇(117) 奥津鏡・辺津鏡(13) [日本大好き]
古事記のはじめの部分を転記します。
原文、
天地初發之時、於二高天原一成突名、天之御中主突。【訓高下天云阿揺下效此】筱高御籥厥日突。筱突籥厥日突。此三柱突隅、竝獨突成坐而隱レ身也。筱國稚、如二浮脂一而、久羅下那洲多陀用幣琉之時、【琉字以上十字以音】如二葦牙一因二萌騰之物一而成突名、宇揺志阿斯訶備比古遲突。【此突名以音】筱天之常立突。【訓常云登許訓立云多知】此二柱突亦濁突成坐而隱レ身。
上件五柱突隅、別天突。
読み下し文
天地の初めて発けし時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。【高の下の天をアマと云ふ。下、これに效ふ。】次に高御産巣日神。次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神成り坐して身を隠したまひき。次に国稚く、浮かべる脂の如くにして、海月如す漂へる時に、【琉の字より上の十字は、音を以ふ。】葦牙の如萌え騰る物に因りて成りませる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遲神。【此の神の名は、音を以ふ。】次に天之常立神。【常を訓みてトコと云ひ、立を訓みてタチと云ふ。】此の二柱の神も独神成り坐して身を隠したまひき。
上の件の五柱の神は、別天神。
以上は、丸山林平氏による原文と読み下し文です。
http://www.umoregi.com/koten/kojiki/story.html?v=1&n=11
倉野憲司氏の翻訳本『古事記』をお持ちでしたら、お二人の違いがすぐに判ります。
倉野憲司氏は、原文を本の後ろの方にまとめて掲載して居られます。原文にある【訓高下天云阿揺下效此】は、読み下し文では省略して居られます。
倉野憲司氏の原文では、【訓高下天云阿麻下效此】とあり、「揺」と「麻」が異なっています。
注意深く見ますと、この部分に限らず、違う漢字がいっぱい見えます。
倉野憲司氏の翻訳本『古事記』に書かれている原文を記します。
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。
上件五柱神者。別天神。
このように比べますと、丸山林平氏が使っておられる古事記の写本と倉野憲司氏が使っておられる写本が異なることが判ります。
倉野憲司氏の読み下し文には、殆ど、フリガナを付けておられます。
丸山林平氏の原文には、「天之御中主突」とあるのに、読み下し文には、「天之御中主神」とあり、全く違いますから、丸山林平氏のものは、採用しないで、倉野憲司氏のものを採用します。
ややこしいことを書いた理由は、倉野憲司氏は、読み下し文に原文にある【訓高下天云阿麻下效此】を書いておられないことを云いたかったのです。
出来ましたら、倉野憲司氏の翻訳本『古事記』(岩波文庫)を購入して、原文と読み下し文の両方にある「天」を蛍光ペン(黄)で、囲んでください。
「天」の字が付くものには、神の名前と物の名前と土地の名前の三通りに別れます。
ページによると、神の名前がいっぱいのページがあります。その記事の頃に、「天」から一杯の人がやって来たのではないかと考えています。道具(例・天の沼矛)は、「天」から持ってきたのではないかと。 此処までが、総論になります。
さて、全ての「天」のつくものが、総論に当てはまるかは、これから、各論を一つずつ、確認して、全てが終わった時に、証明されたことになります。
「天」からやって来たのですが、計画的に「天」から連れて来たと思われる場合もあります。連れてきたのが、イザナギであったり、アマテラスであったり、スサノオであったり、ニニギ命であっただろうと推察出来るほど、古事記の中に、「天」の字のつく神が登場します。
古事記は、どのような神が外国からやって来たかを書き残したものだと考えています。
次回は、各論を書きます。
原文、
天地初發之時、於二高天原一成突名、天之御中主突。【訓高下天云阿揺下效此】筱高御籥厥日突。筱突籥厥日突。此三柱突隅、竝獨突成坐而隱レ身也。筱國稚、如二浮脂一而、久羅下那洲多陀用幣琉之時、【琉字以上十字以音】如二葦牙一因二萌騰之物一而成突名、宇揺志阿斯訶備比古遲突。【此突名以音】筱天之常立突。【訓常云登許訓立云多知】此二柱突亦濁突成坐而隱レ身。
上件五柱突隅、別天突。
読み下し文
天地の初めて発けし時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。【高の下の天をアマと云ふ。下、これに效ふ。】次に高御産巣日神。次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神成り坐して身を隠したまひき。次に国稚く、浮かべる脂の如くにして、海月如す漂へる時に、【琉の字より上の十字は、音を以ふ。】葦牙の如萌え騰る物に因りて成りませる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遲神。【此の神の名は、音を以ふ。】次に天之常立神。【常を訓みてトコと云ひ、立を訓みてタチと云ふ。】此の二柱の神も独神成り坐して身を隠したまひき。
上の件の五柱の神は、別天神。
以上は、丸山林平氏による原文と読み下し文です。
http://www.umoregi.com/koten/kojiki/story.html?v=1&n=11
倉野憲司氏の翻訳本『古事記』をお持ちでしたら、お二人の違いがすぐに判ります。
倉野憲司氏は、原文を本の後ろの方にまとめて掲載して居られます。原文にある【訓高下天云阿揺下效此】は、読み下し文では省略して居られます。
倉野憲司氏の原文では、【訓高下天云阿麻下效此】とあり、「揺」と「麻」が異なっています。
注意深く見ますと、この部分に限らず、違う漢字がいっぱい見えます。
倉野憲司氏の翻訳本『古事記』に書かれている原文を記します。
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。
上件五柱神者。別天神。
このように比べますと、丸山林平氏が使っておられる古事記の写本と倉野憲司氏が使っておられる写本が異なることが判ります。
倉野憲司氏の読み下し文には、殆ど、フリガナを付けておられます。
丸山林平氏の原文には、「天之御中主突」とあるのに、読み下し文には、「天之御中主神」とあり、全く違いますから、丸山林平氏のものは、採用しないで、倉野憲司氏のものを採用します。
ややこしいことを書いた理由は、倉野憲司氏は、読み下し文に原文にある【訓高下天云阿麻下效此】を書いておられないことを云いたかったのです。
出来ましたら、倉野憲司氏の翻訳本『古事記』(岩波文庫)を購入して、原文と読み下し文の両方にある「天」を蛍光ペン(黄)で、囲んでください。
「天」の字が付くものには、神の名前と物の名前と土地の名前の三通りに別れます。
ページによると、神の名前がいっぱいのページがあります。その記事の頃に、「天」から一杯の人がやって来たのではないかと考えています。道具(例・天の沼矛)は、「天」から持ってきたのではないかと。 此処までが、総論になります。
さて、全ての「天」のつくものが、総論に当てはまるかは、これから、各論を一つずつ、確認して、全てが終わった時に、証明されたことになります。
「天」からやって来たのですが、計画的に「天」から連れて来たと思われる場合もあります。連れてきたのが、イザナギであったり、アマテラスであったり、スサノオであったり、ニニギ命であっただろうと推察出来るほど、古事記の中に、「天」の字のつく神が登場します。
古事記は、どのような神が外国からやって来たかを書き残したものだと考えています。
次回は、各論を書きます。
No724神武東征(173) 神武天皇(116) 奥津鏡・辺津鏡(12) [日本大好き]
もういちど、前回に書きました三方の天の詔琴に対する見解を整理してみます。
丸山林平氏----天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。
中西氏------天の詔琴だから、三種神器の一つである。
倉野憲司氏---託宣に用いる琴。スサノオ命の宗教的支配力を象徴しています。
三人とも、何故そのように結論づけたか、理由は書いておられません。
丸山氏は、「天沼矛」と同趣の語で、〔沼〕は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称という理由を書いて、玉で出来たものが、どうして、〔琴〕なのか理解できません。天の詔琴を持って逃げるときに、大きな音がして、スサノオが目を覚ましたのですから、音楽につかう琴だと思います。
中西氏は、理由がありませんが、〔詔〕は、天皇が、部下に命令したり、思っていることを話す時に、〔詔〕それたという使いかたになっています。〔朕〕と同様に、天皇専用の言葉となっているようですから、天皇用の琴で良いと思います。天皇用の琴をどうして、スサノオの娘が持っていたのか、理解できません。
倉野憲司氏は、託宣に用いる琴と書いておられますが、〔託宣〕の意味が解りません。どうして、託宣するときに、琴を奏でるのか。お経を唱えるときに、音をだすものとしては、木魚はありますが・・・・。
倉野憲司氏は、岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』の解説として書いておられます、その又、最後に、『古事記』を編さんするにいたったことをすこし書いておられます。古事記との関わりは、大正12年に東大に入学して以来、40年間であると書いておられます。
この様な方の論文を前に、私の思いつきを書くことは、失礼なことの様ですが、その思いつきを書いてみます。
古事記の序文 (本文の前に書いてあるところの文章) に建国の経緯がすべて、数年以内に分からなくなる非常事態だったことが書かれています。天武天皇が生きている限り、建国の経緯も天皇家の系図も分からなくなることはあり得ません。ということは、数年以内に天皇が死ぬということを知っておられたことになります。
古事記ではどのように書いてあるかと云いますと、
「於是天皇詔之。朕聞諸家之所賷。帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家經緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉」
翻訳---ここに天皇詔したまひしく「朕聞く『諸家の(賷)もたる帝紀と本辞は正実と違い多くの虚偽を加うといえり』今の時にあたりてその失を改めずば、いまだ幾年を経ずしてその旨滅びなんとす。これすなわち、邦家の経緯王化の鴻基なり。故ここに帝紀を撰録し舊辭を検討して偽を削り実を定め後葉に伝えんと思う」とのりたまひき。
天武天皇を殺そうとしている人も含めて、我こそは、由緒正しい天皇家を継ぐものだと云っているものが多いので、自分たちの先祖がどのような人であったのかを書き残すことにしました。
この部分は、偽物だという人も居られますが、古事記には、ひたすら、系図がどのようになっているかの実を書き続けています。どこで生まれたか。誰と誰の間にうまれたか。どこで死んだか。どこに葬ったか。此ればかりです。
ところどころに、わけの分からない話が挿入されています。
日本書紀の作者は、古事記を参考にして、日本書紀を作りましたが、わけの分からない所は、書くことを止めたり、伯耆の国に居た天皇家の証拠を無くしたり、伯耆の国に在った場所を出雲にあった様に書いています。
大国主神は天津神ではありませんが、天皇家にとっては、重要な神であったので、多くの紙面を使っています。素莵のはなしから始っていますが、日本書紀の作者はなんのことか判りませんので、消そうとはしませんでした。
それだけではなく、日本書紀には書きませんでした。
古代史を考える時に、この部分が、重要な所だと思います。
先に書きましたように、大ベテランのお三方が、全く意見が異なる様な有様です。
「天の詔琴」の解釈は、日本書紀の作者たちも理解できなかった部分だと思います。
丸山氏が目を付けられた「天沼矛」もヒントになる筈です。
ここに、天照大神やスサノオの働きなどが隠されているのだと思います。長くなりましたので、次回に続きを書きます。
丸山林平氏----天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。
中西氏------天の詔琴だから、三種神器の一つである。
倉野憲司氏---託宣に用いる琴。スサノオ命の宗教的支配力を象徴しています。
三人とも、何故そのように結論づけたか、理由は書いておられません。
丸山氏は、「天沼矛」と同趣の語で、〔沼〕は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称という理由を書いて、玉で出来たものが、どうして、〔琴〕なのか理解できません。天の詔琴を持って逃げるときに、大きな音がして、スサノオが目を覚ましたのですから、音楽につかう琴だと思います。
中西氏は、理由がありませんが、〔詔〕は、天皇が、部下に命令したり、思っていることを話す時に、〔詔〕それたという使いかたになっています。〔朕〕と同様に、天皇専用の言葉となっているようですから、天皇用の琴で良いと思います。天皇用の琴をどうして、スサノオの娘が持っていたのか、理解できません。
倉野憲司氏は、託宣に用いる琴と書いておられますが、〔託宣〕の意味が解りません。どうして、託宣するときに、琴を奏でるのか。お経を唱えるときに、音をだすものとしては、木魚はありますが・・・・。
倉野憲司氏は、岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』の解説として書いておられます、その又、最後に、『古事記』を編さんするにいたったことをすこし書いておられます。古事記との関わりは、大正12年に東大に入学して以来、40年間であると書いておられます。
この様な方の論文を前に、私の思いつきを書くことは、失礼なことの様ですが、その思いつきを書いてみます。
古事記の序文 (本文の前に書いてあるところの文章) に建国の経緯がすべて、数年以内に分からなくなる非常事態だったことが書かれています。天武天皇が生きている限り、建国の経緯も天皇家の系図も分からなくなることはあり得ません。ということは、数年以内に天皇が死ぬということを知っておられたことになります。
古事記ではどのように書いてあるかと云いますと、
「於是天皇詔之。朕聞諸家之所賷。帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家經緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉」
翻訳---ここに天皇詔したまひしく「朕聞く『諸家の(賷)もたる帝紀と本辞は正実と違い多くの虚偽を加うといえり』今の時にあたりてその失を改めずば、いまだ幾年を経ずしてその旨滅びなんとす。これすなわち、邦家の経緯王化の鴻基なり。故ここに帝紀を撰録し舊辭を検討して偽を削り実を定め後葉に伝えんと思う」とのりたまひき。
天武天皇を殺そうとしている人も含めて、我こそは、由緒正しい天皇家を継ぐものだと云っているものが多いので、自分たちの先祖がどのような人であったのかを書き残すことにしました。
この部分は、偽物だという人も居られますが、古事記には、ひたすら、系図がどのようになっているかの実を書き続けています。どこで生まれたか。誰と誰の間にうまれたか。どこで死んだか。どこに葬ったか。此ればかりです。
ところどころに、わけの分からない話が挿入されています。
日本書紀の作者は、古事記を参考にして、日本書紀を作りましたが、わけの分からない所は、書くことを止めたり、伯耆の国に居た天皇家の証拠を無くしたり、伯耆の国に在った場所を出雲にあった様に書いています。
大国主神は天津神ではありませんが、天皇家にとっては、重要な神であったので、多くの紙面を使っています。素莵のはなしから始っていますが、日本書紀の作者はなんのことか判りませんので、消そうとはしませんでした。
それだけではなく、日本書紀には書きませんでした。
古代史を考える時に、この部分が、重要な所だと思います。
先に書きましたように、大ベテランのお三方が、全く意見が異なる様な有様です。
「天の詔琴」の解釈は、日本書紀の作者たちも理解できなかった部分だと思います。
丸山氏が目を付けられた「天沼矛」もヒントになる筈です。
ここに、天照大神やスサノオの働きなどが隠されているのだと思います。長くなりましたので、次回に続きを書きます。
No723神武東征(172) 神武天皇(115) 奥津鏡・辺津鏡(11) [日本大好き]
あまり詳しく見ていますと、切りがありませんが、前回、中西氏は、〔生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴〕を三種神器だと書いておられますと紹介しました。
そして、私は違う様な気がすると、それならお前はといわれても返事のしようがありません。
丸山林平 【定本古事記】<< 大国主神の危難(三) >>
http://www.umoregi.com/koten/kojiki/story.html?v=1&n=39
を見つけました。この方も、どうやら、プロ中のプロらしいです。ここに、原文、読み下し文、解説が書いてあります。
いくら素晴らしい専門家の解説であっても、参考にするだけにして、古事記は、ご自分で解読を挑戦してください。分らない所は、飛ばしておけばいいだけのことですから。
丸山林平氏は 解説の所で、天の詔琴のことを次の様に説明して居られます。
「〔天沼琴〕あめのぬごと。延本・底本等は「詔」に作るが、真本等は「治」に作る。いずれも「沼」の誤写であること明らかである。よって、意をもって改める。底本も欄外に「天沼琴」としるしている「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。記伝の「詔言所と云ふことなり。」などは苦しい限り」
天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いであると書いておられます。
書くだけではなく、〔「沼」の誤写であること明らかである〕と書いてあります。どうして、明らかなのか、理解できません。
中西氏は、天の詔琴だから、三種神器だと書いておられます。岩波文庫の『古事記』の編纂者である倉野憲司氏は、〔天の詔琴あめののりごと〕とそのまま、記し、原文の方も、〔天の詔琴〕を収録されています。意味が分りにくいであろうと云うことで、欄外に説明文を添付してあります。
〔託宣に用いる琴。スサノオ命の宗教的支配力を象徴しています〕
この説明で理解できますか。
失礼かも知れませんが、わたしにとっては、一層解らなくなります。わからない言葉が増えました。
①〔託宣〕が分りません。解ったとします。そのようなときに、琴を弾くのでしょうか。大国主神は、妻の須勢理毘売を背負っていますから、妻が生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴を持っていたことになるのでしょうか。
②スサノオ命の宗教的支配力を象徴していますとは、スサノオは、宗教家だったのでしょうか。宗教家出なくても、宗教らしきことは、どこかに書いてあるのでしょうか。
③〔象徴〕とはどういう意味でしょうか。
古事記の原文を読む時に、この部分を変えませんと、どうしても前に進めないのであれば、仕方がないと思われますが、丸山林平氏のように誤写と決めつけるのは、ずっと、後にすることだと思います。
倉野憲司氏は、古事記の訳本を書くに当って、厖大な本を参考にして居られます。巻末に全て書いてありますが、丸山林平氏の【定本古事記】は掲載されていません。
中西氏が書いておられる文章に、〔宗教的支配力〕という言葉がありますので、抜粋しておきます。
『天つ神の世界』古事記を読む 1 中西進著(角川書店) 251ページ
以上が、根の国の話である。くり返していえば、まず第一に、大穴牟遅の人間像の印章は、平和的で非行動的である。これは先にも述べたように、国土支配の髪としての性格を与えられた結果であろうし、その国土支配の力によるものではなく、宗教的な支配だというげんていもくわえられてに違いない。この点で、前段の話の巫医としての性格の流れを受けている。第二に印象されるのは、〔死〕である。大国主の話が稲羽の素莵の話からはじめられているところからして、一見この話も牧歌的あるいは民話的な話として受けとめられやすいが、これは結果的には死をめぐるきわめて思想的な話になっている。
如何ですか?
これは面白いと思われた方は、中西進著『古事記をよむ』全4冊 角川書店 をお奨めします。 但し、買われるのは、最初の『天つ神の世界』だけを買われてから、順次買われて読まれたらいいと思います。
そして、私は違う様な気がすると、それならお前はといわれても返事のしようがありません。
丸山林平 【定本古事記】<< 大国主神の危難(三) >>
http://www.umoregi.com/koten/kojiki/story.html?v=1&n=39
を見つけました。この方も、どうやら、プロ中のプロらしいです。ここに、原文、読み下し文、解説が書いてあります。
いくら素晴らしい専門家の解説であっても、参考にするだけにして、古事記は、ご自分で解読を挑戦してください。分らない所は、飛ばしておけばいいだけのことですから。
丸山林平氏は 解説の所で、天の詔琴のことを次の様に説明して居られます。
「〔天沼琴〕あめのぬごと。延本・底本等は「詔」に作るが、真本等は「治」に作る。いずれも「沼」の誤写であること明らかである。よって、意をもって改める。底本も欄外に「天沼琴」としるしている「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。記伝の「詔言所と云ふことなり。」などは苦しい限り」
天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いであると書いておられます。
書くだけではなく、〔「沼」の誤写であること明らかである〕と書いてあります。どうして、明らかなのか、理解できません。
中西氏は、天の詔琴だから、三種神器だと書いておられます。岩波文庫の『古事記』の編纂者である倉野憲司氏は、〔天の詔琴あめののりごと〕とそのまま、記し、原文の方も、〔天の詔琴〕を収録されています。意味が分りにくいであろうと云うことで、欄外に説明文を添付してあります。
〔託宣に用いる琴。スサノオ命の宗教的支配力を象徴しています〕
この説明で理解できますか。
失礼かも知れませんが、わたしにとっては、一層解らなくなります。わからない言葉が増えました。
①〔託宣〕が分りません。解ったとします。そのようなときに、琴を弾くのでしょうか。大国主神は、妻の須勢理毘売を背負っていますから、妻が生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴を持っていたことになるのでしょうか。
②スサノオ命の宗教的支配力を象徴していますとは、スサノオは、宗教家だったのでしょうか。宗教家出なくても、宗教らしきことは、どこかに書いてあるのでしょうか。
③〔象徴〕とはどういう意味でしょうか。
古事記の原文を読む時に、この部分を変えませんと、どうしても前に進めないのであれば、仕方がないと思われますが、丸山林平氏のように誤写と決めつけるのは、ずっと、後にすることだと思います。
倉野憲司氏は、古事記の訳本を書くに当って、厖大な本を参考にして居られます。巻末に全て書いてありますが、丸山林平氏の【定本古事記】は掲載されていません。
中西氏が書いておられる文章に、〔宗教的支配力〕という言葉がありますので、抜粋しておきます。
『天つ神の世界』古事記を読む 1 中西進著(角川書店) 251ページ
以上が、根の国の話である。くり返していえば、まず第一に、大穴牟遅の人間像の印章は、平和的で非行動的である。これは先にも述べたように、国土支配の髪としての性格を与えられた結果であろうし、その国土支配の力によるものではなく、宗教的な支配だというげんていもくわえられてに違いない。この点で、前段の話の巫医としての性格の流れを受けている。第二に印象されるのは、〔死〕である。大国主の話が稲羽の素莵の話からはじめられているところからして、一見この話も牧歌的あるいは民話的な話として受けとめられやすいが、これは結果的には死をめぐるきわめて思想的な話になっている。
如何ですか?
これは面白いと思われた方は、中西進著『古事記をよむ』全4冊 角川書店 をお奨めします。 但し、買われるのは、最初の『天つ神の世界』だけを買われてから、順次買われて読まれたらいいと思います。
No722神武東征(171) 神武天皇(114) 奥津鏡・辺津鏡(10) [日本大好き]
No721神武東征はえらい脱線をしました。
古事記に戻ります。
岩波文庫の『古事記』訳本より。
ここにその須勢理毘売は、喪具(ほふりつもの)を持ちて、哭きて来、その父の大神は、已に死りぬと思ひてその野に出でたちたまひき。ここに其の矢を持ちて奉りし時、家に率いて入りて、八田間の大室に喚び入れて、その頭の虱を取らしめたまひき。故ここに其の頭を見れば呉公(ムカデ)多なりき。ここにその妻、椋の木の実と赤土とを取りて、その夫に授けつ。故、その木の実を咋ひ破り、赤土を含みて唾を出したまへば、その大神、呉公を咋ひ破りて唾き出すと以為ほして、心に愛しく思ひて寝ましき。ここにその神の髪を握りて、その室の椽毎に結ひ著けて、五百引の石をその室の戸に取り塞へて、その妻須勢理毘売を負ひて、すなはちその大神の生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴を取り持ちて逃げ出出ます時、その天の詔琴樹に拂れて地動み鳴りき。故、その寝ませる大神、聞き驚きて、その室を引き仆したまひき。然れども椽(たるき)に結ひし髪を解かす間に、遠く逃げたまひき。
別の書き下し文を下に書いておきます。(大国主神の根の国訪問)
大国主神の根の国訪問
--- http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/ookuni3.html
野原に射られたカブラ矢をとりに行かされ、取りに行った大国主神は、野に火を放たれますが、鼠に助けられて無事、矢を持って帰ってきます。その時、妻のその須勢理毘売は、葬式の一式を持って鳴いていました。父親のスサノオも、すでに、喪具(ほふりつもの)を持ちて、哭きて来、その父の大神も、大国主神は既に、死んだものと思って野にやって来てました。
カブラ矢を指し出しましたので、家に連れて帰り八田間の大室に大国主神を入れて、虱を取らせました。
誰に取る様にさせたのでしょう。大国主命は自分でもとれないことはありませんが、全部取ることは不可能ですから、妻に取らせたのでしょうか。
〔ここに其の頭を見れば呉公(ムカデ)多なりき。〕と書いてあります。虱を取ったのが妻としますと、呉公を見付けたのも、妻と云うことになります。
大国主神を焼き殺そうとしたスサノオにしては、虱を取られたり、呉公(を取らせたりして優しいのがおかしいですから、妻だと考えます。
なぜ、こだわるかと云いますと、他の人が、大国主神が、兄弟から殺されそうになったり、スサノオに殺されそうになった神話は、スサノオの後継ぎとしての資格があるかどうかを知るテストだと書いておられる方があるからです。
別に読んだ書物・『天つ神の世界』古事記を読む 1 中西進著(角川書店)では、外国の文献を一杯紹介して居られます。
〔巨人の伝説の要素、遁走説話のそれである。葦原色許男が逃げて来る時に、寝ている須佐之男の髪を部屋の椽ごとに結びつけるというのは、死の大神を巨人と考え、そこから逃げてくるという発想であろう。〕
〔また遁走説話と呼べる型の踏襲がある。伊邪那岐・伊邪那美の話も遁走説話の一つであり、遁走説話は世界各地に分布している。中島悦次によると、根の国訪問の話はジェイソンタイプの話だという。ジェイソンタイプの話とは、難題をうけた男が女を奪って逃げる、すると追いかけて来る、そこで男は女を捨てて逃げる、すると捨てられた妻が復讐をするという筋立てである。わが根の国訪問には、妻を捨てて復讐される部分ない。この欠落を、中島悦次はいかにも日本的な穏やかな話に変形していると評している。
この評が当たっているかどうかは置くとしても、掠奪婚の重要な部分として遁走は語られる筈である。これは試練と掠奪婚とが一連となったものであろう。
『更級日記』に記されている竹芝伝説もジェイソンタイプの話の一つであろう。この巨人伝説、遁走説話は出雲の民間で語たられていた時の強い要素だった筈である。・・・〕
なる程、面白いと思われた方は、是非、お読みください。
フロ中のプロの文章を批判しても、私のような素人には、歯が立ちませんが、私は間違っておられると思います。
この方は、太安万侶が、なにを伝えたい為に、古事記を作り、天孫族でもない大国主神に多くの紙面を費やしたかを全く考えておられません。
書籍の251ページの大部分を転載しました。 一部分ですから、理解しにくいと思いますが、中西進氏は、最後の所に、〔この巨人伝説、遁走説話は出雲の民間で語たられていた時の強い要素だった筈である〕と書いておられます。本当に、出雲民間で語られていたのでしょうか。確かめてはいませんが、この文章から、中西氏は、大国主神が訪問した根の国は、出雲と考えて居られるように思います。
私は、鳥取県に昔あった伯耆国だと考えています。現在で云いますと、鳥取県大山町唐王です。
以前に、根の国がどこにあったかを考えたことがあります。
No157 根の国は唐王の近くにあった
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-08-31
折角、太安万侶が、書き残したのですから、中身を神話だとか、外国に文献があるから、太安万侶は参考にしたのだろうと云わずに、
椋の木の実と赤土で、ムカデは嫌がるのだろうかと実験して欲しいものです。
椋の実-- http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/iwanohim/mukunoki.htm
落ちた椋の実
--- http://yamazakitakenokokai.blog.eonet.jp/default/2006/10/post-d642.html
此のホームペジは、どなたのか判りませんが、椋の実は、食べるところは少ないがおいしいと書いてあります。赤土が分りませんが、読んで字のごとく赤い土なのでしょう。
五百引の石とは、500人程で引っ張りませんと動かない石と云うことでしょうが、そんな大きい石を妻と二人で運んで来て戸を動かない様にしたのでしょうか。
中西氏は、〔生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴〕を三種神器だと書いておられます。
この点を知りたくて、ここ数日、奥津鏡・辺津鏡のタイトルで書いていますが、生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴は、三種神器ではない様に思うのですが・・・・。
〔木の実を咋ひ破り〕と書いてありますが、これは、木の実のなかにある種の部分でしょうか。咋ひ破りとあるからには、相当硬い印象を受けるのですが・・・。
古事記に戻ります。
岩波文庫の『古事記』訳本より。
ここにその須勢理毘売は、喪具(ほふりつもの)を持ちて、哭きて来、その父の大神は、已に死りぬと思ひてその野に出でたちたまひき。ここに其の矢を持ちて奉りし時、家に率いて入りて、八田間の大室に喚び入れて、その頭の虱を取らしめたまひき。故ここに其の頭を見れば呉公(ムカデ)多なりき。ここにその妻、椋の木の実と赤土とを取りて、その夫に授けつ。故、その木の実を咋ひ破り、赤土を含みて唾を出したまへば、その大神、呉公を咋ひ破りて唾き出すと以為ほして、心に愛しく思ひて寝ましき。ここにその神の髪を握りて、その室の椽毎に結ひ著けて、五百引の石をその室の戸に取り塞へて、その妻須勢理毘売を負ひて、すなはちその大神の生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴を取り持ちて逃げ出出ます時、その天の詔琴樹に拂れて地動み鳴りき。故、その寝ませる大神、聞き驚きて、その室を引き仆したまひき。然れども椽(たるき)に結ひし髪を解かす間に、遠く逃げたまひき。
別の書き下し文を下に書いておきます。(大国主神の根の国訪問)
大国主神の根の国訪問
--- http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/ookuni3.html
野原に射られたカブラ矢をとりに行かされ、取りに行った大国主神は、野に火を放たれますが、鼠に助けられて無事、矢を持って帰ってきます。その時、妻のその須勢理毘売は、葬式の一式を持って鳴いていました。父親のスサノオも、すでに、喪具(ほふりつもの)を持ちて、哭きて来、その父の大神も、大国主神は既に、死んだものと思って野にやって来てました。
カブラ矢を指し出しましたので、家に連れて帰り八田間の大室に大国主神を入れて、虱を取らせました。
誰に取る様にさせたのでしょう。大国主命は自分でもとれないことはありませんが、全部取ることは不可能ですから、妻に取らせたのでしょうか。
〔ここに其の頭を見れば呉公(ムカデ)多なりき。〕と書いてあります。虱を取ったのが妻としますと、呉公を見付けたのも、妻と云うことになります。
大国主神を焼き殺そうとしたスサノオにしては、虱を取られたり、呉公(を取らせたりして優しいのがおかしいですから、妻だと考えます。
なぜ、こだわるかと云いますと、他の人が、大国主神が、兄弟から殺されそうになったり、スサノオに殺されそうになった神話は、スサノオの後継ぎとしての資格があるかどうかを知るテストだと書いておられる方があるからです。
別に読んだ書物・『天つ神の世界』古事記を読む 1 中西進著(角川書店)では、外国の文献を一杯紹介して居られます。
〔巨人の伝説の要素、遁走説話のそれである。葦原色許男が逃げて来る時に、寝ている須佐之男の髪を部屋の椽ごとに結びつけるというのは、死の大神を巨人と考え、そこから逃げてくるという発想であろう。〕
〔また遁走説話と呼べる型の踏襲がある。伊邪那岐・伊邪那美の話も遁走説話の一つであり、遁走説話は世界各地に分布している。中島悦次によると、根の国訪問の話はジェイソンタイプの話だという。ジェイソンタイプの話とは、難題をうけた男が女を奪って逃げる、すると追いかけて来る、そこで男は女を捨てて逃げる、すると捨てられた妻が復讐をするという筋立てである。わが根の国訪問には、妻を捨てて復讐される部分ない。この欠落を、中島悦次はいかにも日本的な穏やかな話に変形していると評している。
この評が当たっているかどうかは置くとしても、掠奪婚の重要な部分として遁走は語られる筈である。これは試練と掠奪婚とが一連となったものであろう。
『更級日記』に記されている竹芝伝説もジェイソンタイプの話の一つであろう。この巨人伝説、遁走説話は出雲の民間で語たられていた時の強い要素だった筈である。・・・〕
なる程、面白いと思われた方は、是非、お読みください。
フロ中のプロの文章を批判しても、私のような素人には、歯が立ちませんが、私は間違っておられると思います。
この方は、太安万侶が、なにを伝えたい為に、古事記を作り、天孫族でもない大国主神に多くの紙面を費やしたかを全く考えておられません。
書籍の251ページの大部分を転載しました。 一部分ですから、理解しにくいと思いますが、中西進氏は、最後の所に、〔この巨人伝説、遁走説話は出雲の民間で語たられていた時の強い要素だった筈である〕と書いておられます。本当に、出雲民間で語られていたのでしょうか。確かめてはいませんが、この文章から、中西氏は、大国主神が訪問した根の国は、出雲と考えて居られるように思います。
私は、鳥取県に昔あった伯耆国だと考えています。現在で云いますと、鳥取県大山町唐王です。
以前に、根の国がどこにあったかを考えたことがあります。
No157 根の国は唐王の近くにあった
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-08-31
折角、太安万侶が、書き残したのですから、中身を神話だとか、外国に文献があるから、太安万侶は参考にしたのだろうと云わずに、
椋の木の実と赤土で、ムカデは嫌がるのだろうかと実験して欲しいものです。
椋の実-- http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/iwanohim/mukunoki.htm
落ちた椋の実
--- http://yamazakitakenokokai.blog.eonet.jp/default/2006/10/post-d642.html
此のホームペジは、どなたのか判りませんが、椋の実は、食べるところは少ないがおいしいと書いてあります。赤土が分りませんが、読んで字のごとく赤い土なのでしょう。
五百引の石とは、500人程で引っ張りませんと動かない石と云うことでしょうが、そんな大きい石を妻と二人で運んで来て戸を動かない様にしたのでしょうか。
中西氏は、〔生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴〕を三種神器だと書いておられます。
この点を知りたくて、ここ数日、奥津鏡・辺津鏡のタイトルで書いていますが、生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴は、三種神器ではない様に思うのですが・・・・。
〔木の実を咋ひ破り〕と書いてありますが、これは、木の実のなかにある種の部分でしょうか。咋ひ破りとあるからには、相当硬い印象を受けるのですが・・・。
No721神武東征(170) 神武天皇(113) 奥津鏡・辺津鏡(9) [日本大好き]
タイトルに奥津鏡・辺津鏡(9)と書いています。此れのことを探る為に、9回も書いて来たのですが、一向に奥津鏡・辺津鏡が出てきません。
この鏡は、後の世に本当の天皇である証拠の品である三種の神器の元になるものではないかと考えています。
どうして、鏡が証拠になるのか判りません。
鏡は、八咫鏡(やたのかがみ)と云うらしいですが、『ウィキペディア(Wikipedia)』では、次のように書いています。
記紀神話では、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。そして再び世は明るくなった。のち鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。現在は伊勢神宮の皇大神宮に奉斎されている。
おかしな文章ですね。記紀神話に書いてあると書きながら、現在は伊勢神宮の皇大神宮に奉斎されているとまとめて居られます。神話とは、作り話、又は伝承であって、正しい、事実であると云う保証はありません。そのような物が、現在は伊勢神宮の皇大神宮にあると云うこと自体がおかしいです。
でも、なんらかの繋がりはあったのではないかと探っている所です。
これまでのところ、私の所には、由緒正しい人が、存在していたのだという証拠として、鏡や玉やヒレが残っているという出石神社、籠神社、石上神宮があります。特に、籠神社は、ニニギ命の兄である天火明命を祀っていますと云っていますから、此れが正しいとなりますと、こちらが天皇家の本筋だと言えます。となりますと、現在の天皇は、偽物ではありませんが、二番目の皇位継承だったと云うことになります。
籠神社では、その証拠の品が、息津鏡と辺津鏡で残っていると主張して居られることになります。そりーの様なものは、証拠の品ではなく、それは、三種の神器であって、その中の一つは、八咫鏡だと主張していることになります。
急に現代の話になりますが、現在の政府のトップは、鳩山首相ですが、世界の人は、小沢氏だと思っています。私もそうだと考え、
日本の道(399) 政治(147) 小沢政権
http://skeikas.iza.ne.jp/blog/entry/1379435/
と云うタイトルで書き始めました。今では、小沢政権のタイトルで39回書いています。
簡単に、その内容を書きますと、小沢氏は、先日、160名の国会議員を含む大部隊を編成して、中国に朝貢しました。今後、アメリカとの付き合いは止めますから、日本を中国の傘下に入れてくださいといったかどうか分りませんが、その後、普天間基地のことは、ノラリクラリと5月まで、返事をしない(5月に解答するとは鳩山首相はいっていますが、岡田外務大臣は、アメリカとの約束通りになるかもしれません。などと、のらりくらり。)ことにしています。この様な日本の態度を見て、判断しました。一時、中国とは蜜月の関係にありましたが、台湾に武器を売って、中国を怒らせました。トヨタのリコールを材料にして、日本に揺さぶりをかけてきました。鳩山首相に渡米を要請しないで、小沢氏に要請してきました。
オバマ氏と小沢氏の対決になりますが、オバマ氏をはねつけますと、小沢氏は、中国の傀儡政権のトップとなります。
其のあとは、どうなるでしょう。沖縄や九州は元々、中国が支配していた所と云うでしょう。
このシリーズ〔新しい日本の歴史〕をはじめから読んで頂きますと、其の事がお解りになると思います。
その次は、天皇の後退です。本来の正しい天皇にです。籠神社や石上神宮と関係あるひとを探っていきますと、別に天皇が居られることになります。
その前触れとして、小沢氏は、強行に天皇陛下が、中国の次期要人と会うのは、当然だと、宮内庁の侍従を叱りつけました。
民主党が政権を続けますと、日本は、50年位は、アメリカの傘下にあるより、経済は中国と同じ様に、盛んになると言えます。
このようなことを考えていますと、益々、八咫鏡とはなんだ。息津鏡と辺津鏡は何だということが、頭から離れなくて、本日が、9回目となりました。
私の予想では、50年後には、今上天皇を支持する人と、民主党の人達との間で内乱がおこる筈です。今上天皇派は負けます。
どちの世の中が良いかは、なってみないと分らないと思います。
この鏡は、後の世に本当の天皇である証拠の品である三種の神器の元になるものではないかと考えています。
どうして、鏡が証拠になるのか判りません。
鏡は、八咫鏡(やたのかがみ)と云うらしいですが、『ウィキペディア(Wikipedia)』では、次のように書いています。
記紀神話では、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。そして再び世は明るくなった。のち鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。現在は伊勢神宮の皇大神宮に奉斎されている。
おかしな文章ですね。記紀神話に書いてあると書きながら、現在は伊勢神宮の皇大神宮に奉斎されているとまとめて居られます。神話とは、作り話、又は伝承であって、正しい、事実であると云う保証はありません。そのような物が、現在は伊勢神宮の皇大神宮にあると云うこと自体がおかしいです。
でも、なんらかの繋がりはあったのではないかと探っている所です。
これまでのところ、私の所には、由緒正しい人が、存在していたのだという証拠として、鏡や玉やヒレが残っているという出石神社、籠神社、石上神宮があります。特に、籠神社は、ニニギ命の兄である天火明命を祀っていますと云っていますから、此れが正しいとなりますと、こちらが天皇家の本筋だと言えます。となりますと、現在の天皇は、偽物ではありませんが、二番目の皇位継承だったと云うことになります。
籠神社では、その証拠の品が、息津鏡と辺津鏡で残っていると主張して居られることになります。そりーの様なものは、証拠の品ではなく、それは、三種の神器であって、その中の一つは、八咫鏡だと主張していることになります。
急に現代の話になりますが、現在の政府のトップは、鳩山首相ですが、世界の人は、小沢氏だと思っています。私もそうだと考え、
日本の道(399) 政治(147) 小沢政権
http://skeikas.iza.ne.jp/blog/entry/1379435/
と云うタイトルで書き始めました。今では、小沢政権のタイトルで39回書いています。
簡単に、その内容を書きますと、小沢氏は、先日、160名の国会議員を含む大部隊を編成して、中国に朝貢しました。今後、アメリカとの付き合いは止めますから、日本を中国の傘下に入れてくださいといったかどうか分りませんが、その後、普天間基地のことは、ノラリクラリと5月まで、返事をしない(5月に解答するとは鳩山首相はいっていますが、岡田外務大臣は、アメリカとの約束通りになるかもしれません。などと、のらりくらり。)ことにしています。この様な日本の態度を見て、判断しました。一時、中国とは蜜月の関係にありましたが、台湾に武器を売って、中国を怒らせました。トヨタのリコールを材料にして、日本に揺さぶりをかけてきました。鳩山首相に渡米を要請しないで、小沢氏に要請してきました。
オバマ氏と小沢氏の対決になりますが、オバマ氏をはねつけますと、小沢氏は、中国の傀儡政権のトップとなります。
其のあとは、どうなるでしょう。沖縄や九州は元々、中国が支配していた所と云うでしょう。
このシリーズ〔新しい日本の歴史〕をはじめから読んで頂きますと、其の事がお解りになると思います。
その次は、天皇の後退です。本来の正しい天皇にです。籠神社や石上神宮と関係あるひとを探っていきますと、別に天皇が居られることになります。
その前触れとして、小沢氏は、強行に天皇陛下が、中国の次期要人と会うのは、当然だと、宮内庁の侍従を叱りつけました。
民主党が政権を続けますと、日本は、50年位は、アメリカの傘下にあるより、経済は中国と同じ様に、盛んになると言えます。
このようなことを考えていますと、益々、八咫鏡とはなんだ。息津鏡と辺津鏡は何だということが、頭から離れなくて、本日が、9回目となりました。
私の予想では、50年後には、今上天皇を支持する人と、民主党の人達との間で内乱がおこる筈です。今上天皇派は負けます。
どちの世の中が良いかは、なってみないと分らないと思います。
No720神武東征(169) 神武天皇(112) 奥津鏡・辺津鏡(8) [日本大好き]
その後、古事記原文には、次の様に書いてあります。
亦鳴鏑射入大野之中。令採其矢。故人其野時。即以火迴燒其野。於是不知所出之間。鼠來云。内者富良富良【此四字以音】外者須夫須夫【此四字以音巳】如此言故。蹈其處者。落隱入之間。火者燒過。爾其鼠咋持其鳴鏑。出來而奉也。其矢羽者。其鼠子等皆喫也。
「亦」 と書いてありますから、呉公の領布や蜂の領布の事件と別のことになります。
スサノオは、鳴鏑を大野の中へ射入れました。 鳴鏑は見たことがありませんが、説明されているものでは、矢に鏑と称するものが付いていて、矢を射りますと、大きな音がするらしいです。普通の矢は、相手を射殺すためのものですが、これは、大きな音をさせて、相手に不安を与え、戦力を無くさせるために使う矢の様です。
その鳴鏑を取って来るように命令したようです。その後の文章から考えますと、普通の矢でなくて、鳴鏑を使った意図は良く分りません。 敢えて、理由を付けるとしますと、鳴鏑の飛んで行った場所が分り易いことでしょうか。
大国主神は、野に入りますと、直ぐに、周りから火をつけられてしまいました。大国主は、脱出する所が分りませんでした。その時に、鼠が出てきて、「内者富良富良」、「外者須夫須夫」と云いました。
この語句の後ろに、【此四字以音】と書かれていますから、書かれた漢字は、音だけを表して、意味はないことなります。
書き直しますと、「内はほらほら」 「外はすぶすぶ」となります。
鼠がこの様に言いますので、大国主神はその場所に踏み込みますと、(穴になっていて)落ちてしまい、そこに隠れていますと、火のついた草は焼けてしまいました。 そこで、鼠は鳴鏑をくわえて持って来て、大国主神にさし出しました。
その鳴鏑の羽は、その鼠の子供らがみな食べてしまっていました。
鳴鏑の羽を鼠の子供らが食べたことが、文章全体において、どのような役割があるのか、意味が分りません。
スサノオは、大国主神を殺そうとして、鳴鏑を野原に打ち込んで、取って来るように命じて、その後、火をつけて焼き殺そうとした事は確かです。
しかし、今度は動物である鼠に助けられたことになります。
鼠の言った「内はほらほら」 「外はすぶすぶ」は、どのような意味を持つのかが解りません。 古事記の翻訳者は、「内部はうつろで、外部はすぼんでいる」 なんだか、呪文のようにも思えるのですが、語句の前後から考えますと、翻訳者が、欄外に書いたヒントの「内部はうつろで、外部はすぼんでいる」 が良いのかも知れません。
亦鳴鏑射入大野之中。令採其矢。故人其野時。即以火迴燒其野。於是不知所出之間。鼠來云。内者富良富良【此四字以音】外者須夫須夫【此四字以音巳】如此言故。蹈其處者。落隱入之間。火者燒過。爾其鼠咋持其鳴鏑。出來而奉也。其矢羽者。其鼠子等皆喫也。
「亦」 と書いてありますから、呉公の領布や蜂の領布の事件と別のことになります。
スサノオは、鳴鏑を大野の中へ射入れました。 鳴鏑は見たことがありませんが、説明されているものでは、矢に鏑と称するものが付いていて、矢を射りますと、大きな音がするらしいです。普通の矢は、相手を射殺すためのものですが、これは、大きな音をさせて、相手に不安を与え、戦力を無くさせるために使う矢の様です。
その鳴鏑を取って来るように命令したようです。その後の文章から考えますと、普通の矢でなくて、鳴鏑を使った意図は良く分りません。 敢えて、理由を付けるとしますと、鳴鏑の飛んで行った場所が分り易いことでしょうか。
大国主神は、野に入りますと、直ぐに、周りから火をつけられてしまいました。大国主は、脱出する所が分りませんでした。その時に、鼠が出てきて、「内者富良富良」、「外者須夫須夫」と云いました。
この語句の後ろに、【此四字以音】と書かれていますから、書かれた漢字は、音だけを表して、意味はないことなります。
書き直しますと、「内はほらほら」 「外はすぶすぶ」となります。
鼠がこの様に言いますので、大国主神はその場所に踏み込みますと、(穴になっていて)落ちてしまい、そこに隠れていますと、火のついた草は焼けてしまいました。 そこで、鼠は鳴鏑をくわえて持って来て、大国主神にさし出しました。
その鳴鏑の羽は、その鼠の子供らがみな食べてしまっていました。
鳴鏑の羽を鼠の子供らが食べたことが、文章全体において、どのような役割があるのか、意味が分りません。
スサノオは、大国主神を殺そうとして、鳴鏑を野原に打ち込んで、取って来るように命じて、その後、火をつけて焼き殺そうとした事は確かです。
しかし、今度は動物である鼠に助けられたことになります。
鼠の言った「内はほらほら」 「外はすぶすぶ」は、どのような意味を持つのかが解りません。 古事記の翻訳者は、「内部はうつろで、外部はすぼんでいる」 なんだか、呪文のようにも思えるのですが、語句の前後から考えますと、翻訳者が、欄外に書いたヒントの「内部はうつろで、外部はすぼんでいる」 が良いのかも知れません。
No719神武東征(168) 神武天皇(111) 奥津鏡・辺津鏡(7) [日本大好き]
前回の精神文明の存在はいかがでしたか。この件は、ただ、見に行った映画「アバター」から連想しただけです。
前回、石上神宮の十種の神宝を挙げましたので、もう一度、眺めて見たいと思います。
古事記に書かれていた蛇の領布、呉公の領布、蜂の領布のうち、蛇の領布、蜂の領布は、は石上神宮にもありました。しかし、出石神社にあった浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼は、古事記にも、石上神宮にもありません。
これは、どのように考えたらいいのでしょう。
古事記と、出石神社、石上神宮が、出来た順を調べれば分ると思います。
古事記は、712年完成、出石神社は、社伝によると垂仁天皇の時、天日槍命が来朝し、当地を開拓したので、その徳を敬慕し、命が奉持していた八種の神宝を八前大神として祀ったと書いてありますから、天日槍命は、出石神社が出来るより前にやって来た事になります。
垂仁天皇はいつ頃の人か判りませんが、崇神天皇5年の時に、国の民の半分以上が死んだことは、古事記も日本書紀にも書かれていますから、この事件は、中国と朝鮮と日本の記録を元に、考えますと、190~192年頃の伝染病の事件だと思われます。
此の頃が、崇神天皇5年ですから、仮に、20歳で天皇になられたのであれば、25歳位の頃になります。其の頃に、垂仁天皇が生まれる流れとなり、垂仁天皇が、20歳で天皇になったと仮定しますと、190~192年から、20年後、即ち、紀元後、210年に天日槍命がやって来た事になります。
所が、古事記に書いてある須勢理毘売が、大国主神に蛇の領布を渡したのは、天照大神の子供とされているスサノオの孫の大国主神の時代ですから、天日槍命より、ずっと、昔の話になります。
出石神社が出来たのは、仮に、250年としますと、こちらの方が、古くて信用おけめように思われそうですが、残されている由緒が、正しい補償は何処にもありません。
このように見てきますと、どちらが古いかは、あまり調べても意味がありません。
ただ、云えることは、古事記に書かれている蛇の領布、呉公の領布、蜂の領布の〔領布〕を〔ひれ〕とふりがなをうってあるのは、浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼に見られる〔比礼〕はだれが読んでも、〔ひれ〕と読めそうです。
古事記の翻訳者は、〔領布〕と〔比礼〕は、同じ様なものであろうと考えておられるようです。
そのような発想が許されるのであれば、現在、神社で使われている神事の道具である〔御幣〕は、何度振られるのか、知りませんが、払い淸める事によって、願い事が叶うのでしょう。
蛇の領布、呉公の領布、蜂の領布を振り回した位で、蛇、呉公、蜂が隊三摺るのであれば、まだ、納得できますが、石上神宮に伝わる、生玉(いくたま) 死返玉(まかるかへしのたま) 足玉(たるたま) 道返玉(ちかへしのたま)は、領布より高級な者の様に尾根も割れます。
しらべても駄目だと思いますが、石上神宮の由緒は、作られたものだと考えています。
その理由の一つに、石上神宮自体が、無理やりに作られたものではないかと考えています。此の理由は、皆さんに納得していただけるのは、ずっと、先の事になると思っています。
石上神宮の事は、http://asilka.blog61.fc2.com/?q=%C0%D0%BE%E5%BF%C0%B5%DC
に書いていますが、そのうちの(1)を掲載しておきます。
主祭神
布都御魂大神
布留御魂大神
布都斯魂大神
配祀神
宇摩志麻治命
五十瓊敷命
白河天皇
市川臣命
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E5%AE%AE#.E6.AD.B4.E5.8F.B2 ざっと読んでおいてください。
上の祭神は、石上神宮が平成11年3月に発行した冊子に書かれてある祭神です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に書かれてあるのは、主祭神は、 布都御魂大神とし、後は、配祀すると書いてあります。ここに書かれていることは、やはりプロの方が書かれたと思いますが、神社で伝承されていることを無視して書いておられます。
それは根拠がある事だろうと思います。
神社の冊子の編集上、主祭神は
布都御魂大神
布留御魂大神
布都斯魂大神
とはじめに書いてありますが、4ページの各祭神の説明では、布都御魂大神
のみに主祭神と記し、布留御魂大神、布都斯魂大神には、主祭神の文字は見えません。
石上神宮の説明を記しておきます。
布都御魂大神 当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊 フツノミタマ」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神と申し上げます。 韴霊は、神代の昔、天孫降臨に際して経津主神・武甕雷神が出雲国稲佐浜に天降って大国主命に国譲りを命ぜられた折りに、建甕槌命が携行された剣です。 その後、神武天皇が御東征になる途次、熊野にて邪神の毒気により遭難された折り、天照大神の詔により再び天降られ、邪神を平定されました。天皇は御即位の後その御功績を称えられ、物部氏の遠祖宇摩志麻治命に命じて宮中に奉齋せしめられました。第十代崇神天皇の七年に至り、勅命によって、物部氏の祖伊香色雄命が石上布留高庭にお遷しして奉祀したのが当神社の創めです。
太文字で表記したところは、石上神宮の冊子に書かれてあった資料です。
神宮の方に悪いですが、いくら想像力を逞しくしても、
当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊 フツノミタマ」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神と申し上げます
と書いてある意味が解りません。
建甕槌命は、日本書紀では、武甕槌命と書いてあります。本文と第一書と第二書の三ヶ所に書かれていますが、全部、武甕槌命です。
出雲国稲佐浜とありますが、これは、古事記に書かれています。
日本書紀では、本文では、出雲の国の五十田狭の小浜とあります。
第一書では、出雲にお降りになってとのみ書いてあります。
第二書では、出雲の五十田狭の小汀です。
大国主命に国譲りを命ぜられたと書いてあります。古事記では大国主神です。
日本書紀では、大己貴神です。 両方とも、大国主命はありません。
本当は、石上神宮は、式内社ですから、特別なことがない限り、昔から、神宮に伝えられている由緒であれば、日本書紀に書かれてある祭神の表記になる筈です。
神宮の発行された由緒の「布都御魂大神」の部分だけを考察した所では、記紀にも書かれていない、「大国主命」が使われていたり、経津主神・武甕雷神と書かれたのであれば、日本書紀の書き方です。古事記には、経津主神は登場しません。古事記ですと、天鳥船神と建御雷神です。
ここに書かれてある由緒は、主に、日本書紀にかかれてあることを基にしておられますが、古事記と日本書紀をごっちゃにしておられます。
この神社は、「第十代崇神天皇の七年に至り、勅命によって、物部氏の祖伊香色雄命が石上布留高庭にお遷しして奉祀した」と書いてありますから、物部氏の歴史なのかもしれません。
そうしますと、『先代旧事本紀』に書かれているのかも知れません。
ただ、この前のページの「略史」の中に、この文章とよく似たことが書かれていますが、「記紀によれば」という文章で始まっていますから、記紀を参考にして、書かれた資料だと思います。
先代旧事本紀にせよ、古事記にせよ、日本書紀にせよ 石上神宮に伝わって来た由緒ではなく、最近、書かれたものではないかと思われます。
この点は、踏まえて、続きは、石上神宮(2)をご覧ください。
如何でしたか。私は、古事記に書かれている〔蛇の領布、呉公の領布、蜂の領布〕は、太安万侶が、古事記を作ろうとした時に、どこかは分りませんが、伝えられていたものだろうと考えています。
次回は、古事記に戻って、須勢理毘売と大国主神の二人が、父のスサノオの意地悪から、どのように逃げ出したかを書いてみます。
前回、石上神宮の十種の神宝を挙げましたので、もう一度、眺めて見たいと思います。
古事記に書かれていた蛇の領布、呉公の領布、蜂の領布のうち、蛇の領布、蜂の領布は、は石上神宮にもありました。しかし、出石神社にあった浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼は、古事記にも、石上神宮にもありません。
これは、どのように考えたらいいのでしょう。
古事記と、出石神社、石上神宮が、出来た順を調べれば分ると思います。
古事記は、712年完成、出石神社は、社伝によると垂仁天皇の時、天日槍命が来朝し、当地を開拓したので、その徳を敬慕し、命が奉持していた八種の神宝を八前大神として祀ったと書いてありますから、天日槍命は、出石神社が出来るより前にやって来た事になります。
垂仁天皇はいつ頃の人か判りませんが、崇神天皇5年の時に、国の民の半分以上が死んだことは、古事記も日本書紀にも書かれていますから、この事件は、中国と朝鮮と日本の記録を元に、考えますと、190~192年頃の伝染病の事件だと思われます。
此の頃が、崇神天皇5年ですから、仮に、20歳で天皇になられたのであれば、25歳位の頃になります。其の頃に、垂仁天皇が生まれる流れとなり、垂仁天皇が、20歳で天皇になったと仮定しますと、190~192年から、20年後、即ち、紀元後、210年に天日槍命がやって来た事になります。
所が、古事記に書いてある須勢理毘売が、大国主神に蛇の領布を渡したのは、天照大神の子供とされているスサノオの孫の大国主神の時代ですから、天日槍命より、ずっと、昔の話になります。
出石神社が出来たのは、仮に、250年としますと、こちらの方が、古くて信用おけめように思われそうですが、残されている由緒が、正しい補償は何処にもありません。
このように見てきますと、どちらが古いかは、あまり調べても意味がありません。
ただ、云えることは、古事記に書かれている蛇の領布、呉公の領布、蜂の領布の〔領布〕を〔ひれ〕とふりがなをうってあるのは、浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼に見られる〔比礼〕はだれが読んでも、〔ひれ〕と読めそうです。
古事記の翻訳者は、〔領布〕と〔比礼〕は、同じ様なものであろうと考えておられるようです。
そのような発想が許されるのであれば、現在、神社で使われている神事の道具である〔御幣〕は、何度振られるのか、知りませんが、払い淸める事によって、願い事が叶うのでしょう。
蛇の領布、呉公の領布、蜂の領布を振り回した位で、蛇、呉公、蜂が隊三摺るのであれば、まだ、納得できますが、石上神宮に伝わる、生玉(いくたま) 死返玉(まかるかへしのたま) 足玉(たるたま) 道返玉(ちかへしのたま)は、領布より高級な者の様に尾根も割れます。
しらべても駄目だと思いますが、石上神宮の由緒は、作られたものだと考えています。
その理由の一つに、石上神宮自体が、無理やりに作られたものではないかと考えています。此の理由は、皆さんに納得していただけるのは、ずっと、先の事になると思っています。
石上神宮の事は、http://asilka.blog61.fc2.com/?q=%C0%D0%BE%E5%BF%C0%B5%DC
に書いていますが、そのうちの(1)を掲載しておきます。
主祭神
布都御魂大神
布留御魂大神
布都斯魂大神
配祀神
宇摩志麻治命
五十瓊敷命
白河天皇
市川臣命
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E5%AE%AE#.E6.AD.B4.E5.8F.B2 ざっと読んでおいてください。
上の祭神は、石上神宮が平成11年3月に発行した冊子に書かれてある祭神です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に書かれてあるのは、主祭神は、 布都御魂大神とし、後は、配祀すると書いてあります。ここに書かれていることは、やはりプロの方が書かれたと思いますが、神社で伝承されていることを無視して書いておられます。
それは根拠がある事だろうと思います。
神社の冊子の編集上、主祭神は
布都御魂大神
布留御魂大神
布都斯魂大神
とはじめに書いてありますが、4ページの各祭神の説明では、布都御魂大神
のみに主祭神と記し、布留御魂大神、布都斯魂大神には、主祭神の文字は見えません。
石上神宮の説明を記しておきます。
布都御魂大神 当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊 フツノミタマ」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神と申し上げます。 韴霊は、神代の昔、天孫降臨に際して経津主神・武甕雷神が出雲国稲佐浜に天降って大国主命に国譲りを命ぜられた折りに、建甕槌命が携行された剣です。 その後、神武天皇が御東征になる途次、熊野にて邪神の毒気により遭難された折り、天照大神の詔により再び天降られ、邪神を平定されました。天皇は御即位の後その御功績を称えられ、物部氏の遠祖宇摩志麻治命に命じて宮中に奉齋せしめられました。第十代崇神天皇の七年に至り、勅命によって、物部氏の祖伊香色雄命が石上布留高庭にお遷しして奉祀したのが当神社の創めです。
太文字で表記したところは、石上神宮の冊子に書かれてあった資料です。
神宮の方に悪いですが、いくら想像力を逞しくしても、
当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊 フツノミタマ」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神と申し上げます
と書いてある意味が解りません。
建甕槌命は、日本書紀では、武甕槌命と書いてあります。本文と第一書と第二書の三ヶ所に書かれていますが、全部、武甕槌命です。
出雲国稲佐浜とありますが、これは、古事記に書かれています。
日本書紀では、本文では、出雲の国の五十田狭の小浜とあります。
第一書では、出雲にお降りになってとのみ書いてあります。
第二書では、出雲の五十田狭の小汀です。
大国主命に国譲りを命ぜられたと書いてあります。古事記では大国主神です。
日本書紀では、大己貴神です。 両方とも、大国主命はありません。
本当は、石上神宮は、式内社ですから、特別なことがない限り、昔から、神宮に伝えられている由緒であれば、日本書紀に書かれてある祭神の表記になる筈です。
神宮の発行された由緒の「布都御魂大神」の部分だけを考察した所では、記紀にも書かれていない、「大国主命」が使われていたり、経津主神・武甕雷神と書かれたのであれば、日本書紀の書き方です。古事記には、経津主神は登場しません。古事記ですと、天鳥船神と建御雷神です。
ここに書かれてある由緒は、主に、日本書紀にかかれてあることを基にしておられますが、古事記と日本書紀をごっちゃにしておられます。
この神社は、「第十代崇神天皇の七年に至り、勅命によって、物部氏の祖伊香色雄命が石上布留高庭にお遷しして奉祀した」と書いてありますから、物部氏の歴史なのかもしれません。
そうしますと、『先代旧事本紀』に書かれているのかも知れません。
ただ、この前のページの「略史」の中に、この文章とよく似たことが書かれていますが、「記紀によれば」という文章で始まっていますから、記紀を参考にして、書かれた資料だと思います。
先代旧事本紀にせよ、古事記にせよ、日本書紀にせよ 石上神宮に伝わって来た由緒ではなく、最近、書かれたものではないかと思われます。
この点は、踏まえて、続きは、石上神宮(2)をご覧ください。
如何でしたか。私は、古事記に書かれている〔蛇の領布、呉公の領布、蜂の領布〕は、太安万侶が、古事記を作ろうとした時に、どこかは分りませんが、伝えられていたものだろうと考えています。
次回は、古事記に戻って、須勢理毘売と大国主神の二人が、父のスサノオの意地悪から、どのように逃げ出したかを書いてみます。
No718神武東征(167) 神武天皇(110) 奥津鏡・辺津鏡(6) [日本大好き]
前回、「比礼」を振ることに拠って、願い事がかなう話は、奈良県の石上神宮に伝えられています。
と書きましたが、
No712神武東征(161) 神武天皇(104) 石上神宮のこと(5)
に書いたのを忘れていました。
こちらの神社に伝わっているのは、十種の神宝です。
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)
蜂比礼(はちのひれ)
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
古事記では、蛇の領布で助かった後日、呉公(むかで)と蜂がいる部屋に閉じ込められたことが書かれています。
此の時も、須勢理毘売は大国主神に、呉公蜂の領布を渡し、蛇の領布のときと同様な使い方をするように云いました。
古事記に書かれています、蛇の領布と呉公蜂の領布は、呉公の部分は、異なりますが、一致します。
古事記のこの部分は、スサノオの苛めになります。スサノオは、高句麗の人だと思うのですが、スサノオの娘の須勢理毘売が知っていましたので、高句麗に伝わる伝承だと思われます。
出石神社の方は、新羅から伝わったものと思えます。石上神宮は、天照大神の孫のニギハヤヒが祭られていますから、中国からの伝承でしょうか。
アメノヒボコであれ、ニギハヤヒであれ、自分たちは、先祖から由緒正しい言い伝えをもっているものだとの証として、宝物をもっていたことを主張していることになります。
それは、沖津鏡、辺津鏡であり、剣となります。其の他は、病気になったり、死んだ時に生き返る為の道具になります。
そのような道具はあるわけがありませんが、昔なりに医学は存在したのでしょう。その時に、治療をした後には、その道具を用いて祈るしかなかったのではないかと想像します。
現在でも同じことですが、祈ったり、治ろうと思う気持ちは病気をいい方向に導きます。現在の医学で、処理が困難になっているものがあります。例えば、胃、肝臓、腎臓、心臓が悪いとしますと、死んだ人から臓器を取り出して、同時に、臓器移植するような技術が完成しています。所が、いろいろの事が原因でなるうつ病の様な病気は、患者は増える一方で、治療が困難です。
人間が、最後に直面するもろもろの事は、精神面を解決することによってしか解決できないのではないでしょうか。
紀元前の指導者も、精神面をコントロール出来る人が、指導者だったのではないでしょうか。
だから、そのような人は、巫女なのだ。代表者は卑弥呼が挙げられますが、そうではなく、蛇、ムカデ、蜂などを自由にあやつることのできる人が、尊敬されたのだと思います。
全く、話は変りますが、先日、「アバター」というアメリカの映画を見てきました。
3次元立体の映像と音響には驚かされました。これを見ていますと、どの国も、映画はアメリカに勝ち目が有りません。
ストーリーは、全くの架空の話ですが、精神面で完成された世界と、技術と物質面で最高の世界との戦いを描くことによって、アメリカの社会に警鐘を与える映画になっています。
何でもかんでも、一番にならないと気が済まないアメリカの社会に反省を求めています。
この映画は、世界で大ヒットしているそうです。お隣の中国でもヒットしていたそうですが、中国は、この映画の上映を禁止したそうです。
現在の中国は、アメリカの文化をめざして、大進撃です。日本を抜いて、世界で二番目になりました。 まだまだ、世界に向けて発展している中国を批判しているようで、まずいと上映を禁止になったと勝手に判断しています。(面白いです。お奨めです)
変な話が、飛び込みましたが、籠神社、出石神社、石上神宮に祭られている人たちは、天皇家の人達と競争しながら、生活をしていましたが、自分たちが一番である証拠が、蛇の領布と呉公蜂の領布であり、沖津鏡、辺津鏡となったのではないかと推理しています。
所が、タイトルには、早々と 奥津鏡・辺津鏡は現れません。
次回も、古事記の続きを書こうと思います。
と書きましたが、
No712神武東征(161) 神武天皇(104) 石上神宮のこと(5)
に書いたのを忘れていました。
こちらの神社に伝わっているのは、十種の神宝です。
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)
蜂比礼(はちのひれ)
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
古事記では、蛇の領布で助かった後日、呉公(むかで)と蜂がいる部屋に閉じ込められたことが書かれています。
此の時も、須勢理毘売は大国主神に、呉公蜂の領布を渡し、蛇の領布のときと同様な使い方をするように云いました。
古事記に書かれています、蛇の領布と呉公蜂の領布は、呉公の部分は、異なりますが、一致します。
古事記のこの部分は、スサノオの苛めになります。スサノオは、高句麗の人だと思うのですが、スサノオの娘の須勢理毘売が知っていましたので、高句麗に伝わる伝承だと思われます。
出石神社の方は、新羅から伝わったものと思えます。石上神宮は、天照大神の孫のニギハヤヒが祭られていますから、中国からの伝承でしょうか。
アメノヒボコであれ、ニギハヤヒであれ、自分たちは、先祖から由緒正しい言い伝えをもっているものだとの証として、宝物をもっていたことを主張していることになります。
それは、沖津鏡、辺津鏡であり、剣となります。其の他は、病気になったり、死んだ時に生き返る為の道具になります。
そのような道具はあるわけがありませんが、昔なりに医学は存在したのでしょう。その時に、治療をした後には、その道具を用いて祈るしかなかったのではないかと想像します。
現在でも同じことですが、祈ったり、治ろうと思う気持ちは病気をいい方向に導きます。現在の医学で、処理が困難になっているものがあります。例えば、胃、肝臓、腎臓、心臓が悪いとしますと、死んだ人から臓器を取り出して、同時に、臓器移植するような技術が完成しています。所が、いろいろの事が原因でなるうつ病の様な病気は、患者は増える一方で、治療が困難です。
人間が、最後に直面するもろもろの事は、精神面を解決することによってしか解決できないのではないでしょうか。
紀元前の指導者も、精神面をコントロール出来る人が、指導者だったのではないでしょうか。
だから、そのような人は、巫女なのだ。代表者は卑弥呼が挙げられますが、そうではなく、蛇、ムカデ、蜂などを自由にあやつることのできる人が、尊敬されたのだと思います。
全く、話は変りますが、先日、「アバター」というアメリカの映画を見てきました。
3次元立体の映像と音響には驚かされました。これを見ていますと、どの国も、映画はアメリカに勝ち目が有りません。
ストーリーは、全くの架空の話ですが、精神面で完成された世界と、技術と物質面で最高の世界との戦いを描くことによって、アメリカの社会に警鐘を与える映画になっています。
何でもかんでも、一番にならないと気が済まないアメリカの社会に反省を求めています。
この映画は、世界で大ヒットしているそうです。お隣の中国でもヒットしていたそうですが、中国は、この映画の上映を禁止したそうです。
現在の中国は、アメリカの文化をめざして、大進撃です。日本を抜いて、世界で二番目になりました。 まだまだ、世界に向けて発展している中国を批判しているようで、まずいと上映を禁止になったと勝手に判断しています。(面白いです。お奨めです)
変な話が、飛び込みましたが、籠神社、出石神社、石上神宮に祭られている人たちは、天皇家の人達と競争しながら、生活をしていましたが、自分たちが一番である証拠が、蛇の領布と呉公蜂の領布であり、沖津鏡、辺津鏡となったのではないかと推理しています。
所が、タイトルには、早々と 奥津鏡・辺津鏡は現れません。
次回も、古事記の続きを書こうと思います。






