No717神武東征(166) 神武天皇(109) 奥津鏡・辺津鏡(5) [日本大好き]
スサノオは、大国主神が 恐ろしいことを知っていたのでしょうか。それとも、娘の須勢理毘売が、大国主神と結婚するのが、反対だったのでしょうか。
蛇の小屋に入れられた時の、その後は、古事記では次のように書いてあります。
ここにその妻須勢理毘売、蛇の領布をその夫に授けて云りたまひしく、「その蛇咋はむとせば、この領布を三たび擧りて打ち撥ひたまへ。」とのりたまひき。故、教えの如くしかば、蛇自ら静まりき。故、平く寝て出でたまひき。
今度は、須勢理毘売を妻と書いてあり、大国主神を夫と書いてありますから、スサノオがいくら結婚を反対しても、結婚した後の祭りです。それで、スサノオは、大国主を蛇で殺そうとしたようです。どこにも、毒蛇とは書いてありませんが。
こん度は、須勢理毘売に助けてもらったことになります。
須勢理毘売が渡した者は、「領布」と書いてあります。翻訳者は、欄外に「蛇を自由にする呪力をもった領布。領布は上古女子が首にかけたマフラーのようなもの」と書いておられます。本当でしょうか。このようなことは何所に書いてあるのでしょう。読み方は、「ひれ」と読ませて居られます。
「その蛇咋はむとせば、この領布を三たび擧りて打ち撥ひたまへ。」と書いてありますから、蛇が噛もうとしたら、この領布を三回振って、蛇を追い払えと書いてあります。
便利な道具ですね。翻訳者は、首にマクマフラーの様なものと書いておられますが、そのようなものであれば、宝物ですから、他の所には、在ります。
アメノヒボコと云う人が、新羅から来た時に、持ってきた八つの宝物に、珠が2つ、浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼、奥津鏡、辺津鏡があります。ここに、「比礼」が4つあります。
しかし、それぞれは、蛇を操るのではなく、比礼を振ると、浪と風を自由に操ることが出来たようです。日本へ渡って来る時に、大いに役だったのではないかと思います。
アメノヒボコは、兵庫県の出石町にある出石神社の祭神とされています。
由緒に拠りますと、この比礼が残っている様な残っていないような書き方になっています。
由緒
旧国幣中社(現、別表神社)。社伝によると垂仁天皇の時、天日槍命が来朝し、当地を開拓したので、その徳を敬慕し、命が奉持していた八種の神宝を八前大神として祀った。八種神宝とは、玉津宝・珠二貫・振浪比礼・印浪比礼・振風比礼・切風化礼・奥津鏡・辺津鏡であり、このことは既に『延喜式神名帳』にも八座の神として明記され、名神大社となっている。更にこれより先、天平九年(七三七)神戸租調稲およそ一六八〇束を充て、承和一二年(八四五)七月に従五位下となり、貞観一六年(八七四)三月には正五位上に叙せられている、但馬国一宮として崇敬されて来た当社であるが、戦国時代に入ると、天正年間(一五七三-九二)豊臣氏のために社領を没収された。江戸時代には出石城主歴代の尊崇をうけ、小出、仙石両氏が社殿を造営した。本殿三間社流造、檜皮葺、本殿の前面に切妻造の幣殿が連なり、更にその前に舞殿形式の拝殿(入母屋造平入)が連なっている。社宝としては、重文指定の脇差一振(南北朝時代、銘但州住国光)がある。例祭一〇月二〇日、その他御年花祭(おはなびらまつり)が一月二二、二三日に行われる。≪神社辞典≫
この様に、「比礼」と云う言葉は使って在りませんが、この「比礼」を振ることに拠って、願い事がかなう話は、奈良県の石上神宮に伝えられています。
次回に、記します。
蛇の小屋に入れられた時の、その後は、古事記では次のように書いてあります。
ここにその妻須勢理毘売、蛇の領布をその夫に授けて云りたまひしく、「その蛇咋はむとせば、この領布を三たび擧りて打ち撥ひたまへ。」とのりたまひき。故、教えの如くしかば、蛇自ら静まりき。故、平く寝て出でたまひき。
今度は、須勢理毘売を妻と書いてあり、大国主神を夫と書いてありますから、スサノオがいくら結婚を反対しても、結婚した後の祭りです。それで、スサノオは、大国主を蛇で殺そうとしたようです。どこにも、毒蛇とは書いてありませんが。
こん度は、須勢理毘売に助けてもらったことになります。
須勢理毘売が渡した者は、「領布」と書いてあります。翻訳者は、欄外に「蛇を自由にする呪力をもった領布。領布は上古女子が首にかけたマフラーのようなもの」と書いておられます。本当でしょうか。このようなことは何所に書いてあるのでしょう。読み方は、「ひれ」と読ませて居られます。
「その蛇咋はむとせば、この領布を三たび擧りて打ち撥ひたまへ。」と書いてありますから、蛇が噛もうとしたら、この領布を三回振って、蛇を追い払えと書いてあります。
便利な道具ですね。翻訳者は、首にマクマフラーの様なものと書いておられますが、そのようなものであれば、宝物ですから、他の所には、在ります。
アメノヒボコと云う人が、新羅から来た時に、持ってきた八つの宝物に、珠が2つ、浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼、奥津鏡、辺津鏡があります。ここに、「比礼」が4つあります。
しかし、それぞれは、蛇を操るのではなく、比礼を振ると、浪と風を自由に操ることが出来たようです。日本へ渡って来る時に、大いに役だったのではないかと思います。
アメノヒボコは、兵庫県の出石町にある出石神社の祭神とされています。
由緒に拠りますと、この比礼が残っている様な残っていないような書き方になっています。
由緒
旧国幣中社(現、別表神社)。社伝によると垂仁天皇の時、天日槍命が来朝し、当地を開拓したので、その徳を敬慕し、命が奉持していた八種の神宝を八前大神として祀った。八種神宝とは、玉津宝・珠二貫・振浪比礼・印浪比礼・振風比礼・切風化礼・奥津鏡・辺津鏡であり、このことは既に『延喜式神名帳』にも八座の神として明記され、名神大社となっている。更にこれより先、天平九年(七三七)神戸租調稲およそ一六八〇束を充て、承和一二年(八四五)七月に従五位下となり、貞観一六年(八七四)三月には正五位上に叙せられている、但馬国一宮として崇敬されて来た当社であるが、戦国時代に入ると、天正年間(一五七三-九二)豊臣氏のために社領を没収された。江戸時代には出石城主歴代の尊崇をうけ、小出、仙石両氏が社殿を造営した。本殿三間社流造、檜皮葺、本殿の前面に切妻造の幣殿が連なり、更にその前に舞殿形式の拝殿(入母屋造平入)が連なっている。社宝としては、重文指定の脇差一振(南北朝時代、銘但州住国光)がある。例祭一〇月二〇日、その他御年花祭(おはなびらまつり)が一月二二、二三日に行われる。≪神社辞典≫
この様に、「比礼」と云う言葉は使って在りませんが、この「比礼」を振ることに拠って、願い事がかなう話は、奈良県の石上神宮に伝えられています。
次回に、記します。






