No722神武東征(171) 神武天皇(114) 奥津鏡・辺津鏡(10) [日本大好き]
No721神武東征はえらい脱線をしました。
古事記に戻ります。
岩波文庫の『古事記』訳本より。
ここにその須勢理毘売は、喪具(ほふりつもの)を持ちて、哭きて来、その父の大神は、已に死りぬと思ひてその野に出でたちたまひき。ここに其の矢を持ちて奉りし時、家に率いて入りて、八田間の大室に喚び入れて、その頭の虱を取らしめたまひき。故ここに其の頭を見れば呉公(ムカデ)多なりき。ここにその妻、椋の木の実と赤土とを取りて、その夫に授けつ。故、その木の実を咋ひ破り、赤土を含みて唾を出したまへば、その大神、呉公を咋ひ破りて唾き出すと以為ほして、心に愛しく思ひて寝ましき。ここにその神の髪を握りて、その室の椽毎に結ひ著けて、五百引の石をその室の戸に取り塞へて、その妻須勢理毘売を負ひて、すなはちその大神の生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴を取り持ちて逃げ出出ます時、その天の詔琴樹に拂れて地動み鳴りき。故、その寝ませる大神、聞き驚きて、その室を引き仆したまひき。然れども椽(たるき)に結ひし髪を解かす間に、遠く逃げたまひき。
別の書き下し文を下に書いておきます。(大国主神の根の国訪問)
大国主神の根の国訪問
--- http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/ookuni3.html
野原に射られたカブラ矢をとりに行かされ、取りに行った大国主神は、野に火を放たれますが、鼠に助けられて無事、矢を持って帰ってきます。その時、妻のその須勢理毘売は、葬式の一式を持って鳴いていました。父親のスサノオも、すでに、喪具(ほふりつもの)を持ちて、哭きて来、その父の大神も、大国主神は既に、死んだものと思って野にやって来てました。
カブラ矢を指し出しましたので、家に連れて帰り八田間の大室に大国主神を入れて、虱を取らせました。
誰に取る様にさせたのでしょう。大国主命は自分でもとれないことはありませんが、全部取ることは不可能ですから、妻に取らせたのでしょうか。
〔ここに其の頭を見れば呉公(ムカデ)多なりき。〕と書いてあります。虱を取ったのが妻としますと、呉公を見付けたのも、妻と云うことになります。
大国主神を焼き殺そうとしたスサノオにしては、虱を取られたり、呉公(を取らせたりして優しいのがおかしいですから、妻だと考えます。
なぜ、こだわるかと云いますと、他の人が、大国主神が、兄弟から殺されそうになったり、スサノオに殺されそうになった神話は、スサノオの後継ぎとしての資格があるかどうかを知るテストだと書いておられる方があるからです。
別に読んだ書物・『天つ神の世界』古事記を読む 1 中西進著(角川書店)では、外国の文献を一杯紹介して居られます。
〔巨人の伝説の要素、遁走説話のそれである。葦原色許男が逃げて来る時に、寝ている須佐之男の髪を部屋の椽ごとに結びつけるというのは、死の大神を巨人と考え、そこから逃げてくるという発想であろう。〕
〔また遁走説話と呼べる型の踏襲がある。伊邪那岐・伊邪那美の話も遁走説話の一つであり、遁走説話は世界各地に分布している。中島悦次によると、根の国訪問の話はジェイソンタイプの話だという。ジェイソンタイプの話とは、難題をうけた男が女を奪って逃げる、すると追いかけて来る、そこで男は女を捨てて逃げる、すると捨てられた妻が復讐をするという筋立てである。わが根の国訪問には、妻を捨てて復讐される部分ない。この欠落を、中島悦次はいかにも日本的な穏やかな話に変形していると評している。
この評が当たっているかどうかは置くとしても、掠奪婚の重要な部分として遁走は語られる筈である。これは試練と掠奪婚とが一連となったものであろう。
『更級日記』に記されている竹芝伝説もジェイソンタイプの話の一つであろう。この巨人伝説、遁走説話は出雲の民間で語たられていた時の強い要素だった筈である。・・・〕
なる程、面白いと思われた方は、是非、お読みください。
フロ中のプロの文章を批判しても、私のような素人には、歯が立ちませんが、私は間違っておられると思います。
この方は、太安万侶が、なにを伝えたい為に、古事記を作り、天孫族でもない大国主神に多くの紙面を費やしたかを全く考えておられません。
書籍の251ページの大部分を転載しました。 一部分ですから、理解しにくいと思いますが、中西進氏は、最後の所に、〔この巨人伝説、遁走説話は出雲の民間で語たられていた時の強い要素だった筈である〕と書いておられます。本当に、出雲民間で語られていたのでしょうか。確かめてはいませんが、この文章から、中西氏は、大国主神が訪問した根の国は、出雲と考えて居られるように思います。
私は、鳥取県に昔あった伯耆国だと考えています。現在で云いますと、鳥取県大山町唐王です。
以前に、根の国がどこにあったかを考えたことがあります。
No157 根の国は唐王の近くにあった
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-08-31
折角、太安万侶が、書き残したのですから、中身を神話だとか、外国に文献があるから、太安万侶は参考にしたのだろうと云わずに、
椋の木の実と赤土で、ムカデは嫌がるのだろうかと実験して欲しいものです。
椋の実-- http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/iwanohim/mukunoki.htm
落ちた椋の実
--- http://yamazakitakenokokai.blog.eonet.jp/default/2006/10/post-d642.html
此のホームペジは、どなたのか判りませんが、椋の実は、食べるところは少ないがおいしいと書いてあります。赤土が分りませんが、読んで字のごとく赤い土なのでしょう。
五百引の石とは、500人程で引っ張りませんと動かない石と云うことでしょうが、そんな大きい石を妻と二人で運んで来て戸を動かない様にしたのでしょうか。
中西氏は、〔生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴〕を三種神器だと書いておられます。
この点を知りたくて、ここ数日、奥津鏡・辺津鏡のタイトルで書いていますが、生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴は、三種神器ではない様に思うのですが・・・・。
〔木の実を咋ひ破り〕と書いてありますが、これは、木の実のなかにある種の部分でしょうか。咋ひ破りとあるからには、相当硬い印象を受けるのですが・・・。
古事記に戻ります。
岩波文庫の『古事記』訳本より。
ここにその須勢理毘売は、喪具(ほふりつもの)を持ちて、哭きて来、その父の大神は、已に死りぬと思ひてその野に出でたちたまひき。ここに其の矢を持ちて奉りし時、家に率いて入りて、八田間の大室に喚び入れて、その頭の虱を取らしめたまひき。故ここに其の頭を見れば呉公(ムカデ)多なりき。ここにその妻、椋の木の実と赤土とを取りて、その夫に授けつ。故、その木の実を咋ひ破り、赤土を含みて唾を出したまへば、その大神、呉公を咋ひ破りて唾き出すと以為ほして、心に愛しく思ひて寝ましき。ここにその神の髪を握りて、その室の椽毎に結ひ著けて、五百引の石をその室の戸に取り塞へて、その妻須勢理毘売を負ひて、すなはちその大神の生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴を取り持ちて逃げ出出ます時、その天の詔琴樹に拂れて地動み鳴りき。故、その寝ませる大神、聞き驚きて、その室を引き仆したまひき。然れども椽(たるき)に結ひし髪を解かす間に、遠く逃げたまひき。
別の書き下し文を下に書いておきます。(大国主神の根の国訪問)
大国主神の根の国訪問
--- http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/ookuni3.html
野原に射られたカブラ矢をとりに行かされ、取りに行った大国主神は、野に火を放たれますが、鼠に助けられて無事、矢を持って帰ってきます。その時、妻のその須勢理毘売は、葬式の一式を持って鳴いていました。父親のスサノオも、すでに、喪具(ほふりつもの)を持ちて、哭きて来、その父の大神も、大国主神は既に、死んだものと思って野にやって来てました。
カブラ矢を指し出しましたので、家に連れて帰り八田間の大室に大国主神を入れて、虱を取らせました。
誰に取る様にさせたのでしょう。大国主命は自分でもとれないことはありませんが、全部取ることは不可能ですから、妻に取らせたのでしょうか。
〔ここに其の頭を見れば呉公(ムカデ)多なりき。〕と書いてあります。虱を取ったのが妻としますと、呉公を見付けたのも、妻と云うことになります。
大国主神を焼き殺そうとしたスサノオにしては、虱を取られたり、呉公(を取らせたりして優しいのがおかしいですから、妻だと考えます。
なぜ、こだわるかと云いますと、他の人が、大国主神が、兄弟から殺されそうになったり、スサノオに殺されそうになった神話は、スサノオの後継ぎとしての資格があるかどうかを知るテストだと書いておられる方があるからです。
別に読んだ書物・『天つ神の世界』古事記を読む 1 中西進著(角川書店)では、外国の文献を一杯紹介して居られます。
〔巨人の伝説の要素、遁走説話のそれである。葦原色許男が逃げて来る時に、寝ている須佐之男の髪を部屋の椽ごとに結びつけるというのは、死の大神を巨人と考え、そこから逃げてくるという発想であろう。〕
〔また遁走説話と呼べる型の踏襲がある。伊邪那岐・伊邪那美の話も遁走説話の一つであり、遁走説話は世界各地に分布している。中島悦次によると、根の国訪問の話はジェイソンタイプの話だという。ジェイソンタイプの話とは、難題をうけた男が女を奪って逃げる、すると追いかけて来る、そこで男は女を捨てて逃げる、すると捨てられた妻が復讐をするという筋立てである。わが根の国訪問には、妻を捨てて復讐される部分ない。この欠落を、中島悦次はいかにも日本的な穏やかな話に変形していると評している。
この評が当たっているかどうかは置くとしても、掠奪婚の重要な部分として遁走は語られる筈である。これは試練と掠奪婚とが一連となったものであろう。
『更級日記』に記されている竹芝伝説もジェイソンタイプの話の一つであろう。この巨人伝説、遁走説話は出雲の民間で語たられていた時の強い要素だった筈である。・・・〕
なる程、面白いと思われた方は、是非、お読みください。
フロ中のプロの文章を批判しても、私のような素人には、歯が立ちませんが、私は間違っておられると思います。
この方は、太安万侶が、なにを伝えたい為に、古事記を作り、天孫族でもない大国主神に多くの紙面を費やしたかを全く考えておられません。
書籍の251ページの大部分を転載しました。 一部分ですから、理解しにくいと思いますが、中西進氏は、最後の所に、〔この巨人伝説、遁走説話は出雲の民間で語たられていた時の強い要素だった筈である〕と書いておられます。本当に、出雲民間で語られていたのでしょうか。確かめてはいませんが、この文章から、中西氏は、大国主神が訪問した根の国は、出雲と考えて居られるように思います。
私は、鳥取県に昔あった伯耆国だと考えています。現在で云いますと、鳥取県大山町唐王です。
以前に、根の国がどこにあったかを考えたことがあります。
No157 根の国は唐王の近くにあった
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-08-31
折角、太安万侶が、書き残したのですから、中身を神話だとか、外国に文献があるから、太安万侶は参考にしたのだろうと云わずに、
椋の木の実と赤土で、ムカデは嫌がるのだろうかと実験して欲しいものです。
椋の実-- http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/iwanohim/mukunoki.htm
落ちた椋の実
--- http://yamazakitakenokokai.blog.eonet.jp/default/2006/10/post-d642.html
此のホームペジは、どなたのか判りませんが、椋の実は、食べるところは少ないがおいしいと書いてあります。赤土が分りませんが、読んで字のごとく赤い土なのでしょう。
五百引の石とは、500人程で引っ張りませんと動かない石と云うことでしょうが、そんな大きい石を妻と二人で運んで来て戸を動かない様にしたのでしょうか。
中西氏は、〔生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴〕を三種神器だと書いておられます。
この点を知りたくて、ここ数日、奥津鏡・辺津鏡のタイトルで書いていますが、生大刀と生弓矢と、またその天の詔琴は、三種神器ではない様に思うのですが・・・・。
〔木の実を咋ひ破り〕と書いてありますが、これは、木の実のなかにある種の部分でしょうか。咋ひ破りとあるからには、相当硬い印象を受けるのですが・・・。






