No724神武東征(173) 神武天皇(116) 奥津鏡・辺津鏡(12) [日本大好き]
もういちど、前回に書きました三方の天の詔琴に対する見解を整理してみます。
丸山林平氏----天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。
中西氏------天の詔琴だから、三種神器の一つである。
倉野憲司氏---託宣に用いる琴。スサノオ命の宗教的支配力を象徴しています。
三人とも、何故そのように結論づけたか、理由は書いておられません。
丸山氏は、「天沼矛」と同趣の語で、〔沼〕は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称という理由を書いて、玉で出来たものが、どうして、〔琴〕なのか理解できません。天の詔琴を持って逃げるときに、大きな音がして、スサノオが目を覚ましたのですから、音楽につかう琴だと思います。
中西氏は、理由がありませんが、〔詔〕は、天皇が、部下に命令したり、思っていることを話す時に、〔詔〕それたという使いかたになっています。〔朕〕と同様に、天皇専用の言葉となっているようですから、天皇用の琴で良いと思います。天皇用の琴をどうして、スサノオの娘が持っていたのか、理解できません。
倉野憲司氏は、託宣に用いる琴と書いておられますが、〔託宣〕の意味が解りません。どうして、託宣するときに、琴を奏でるのか。お経を唱えるときに、音をだすものとしては、木魚はありますが・・・・。
倉野憲司氏は、岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』の解説として書いておられます、その又、最後に、『古事記』を編さんするにいたったことをすこし書いておられます。古事記との関わりは、大正12年に東大に入学して以来、40年間であると書いておられます。
この様な方の論文を前に、私の思いつきを書くことは、失礼なことの様ですが、その思いつきを書いてみます。
古事記の序文 (本文の前に書いてあるところの文章) に建国の経緯がすべて、数年以内に分からなくなる非常事態だったことが書かれています。天武天皇が生きている限り、建国の経緯も天皇家の系図も分からなくなることはあり得ません。ということは、数年以内に天皇が死ぬということを知っておられたことになります。
古事記ではどのように書いてあるかと云いますと、
「於是天皇詔之。朕聞諸家之所賷。帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家經緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉」
翻訳---ここに天皇詔したまひしく「朕聞く『諸家の(賷)もたる帝紀と本辞は正実と違い多くの虚偽を加うといえり』今の時にあたりてその失を改めずば、いまだ幾年を経ずしてその旨滅びなんとす。これすなわち、邦家の経緯王化の鴻基なり。故ここに帝紀を撰録し舊辭を検討して偽を削り実を定め後葉に伝えんと思う」とのりたまひき。
天武天皇を殺そうとしている人も含めて、我こそは、由緒正しい天皇家を継ぐものだと云っているものが多いので、自分たちの先祖がどのような人であったのかを書き残すことにしました。
この部分は、偽物だという人も居られますが、古事記には、ひたすら、系図がどのようになっているかの実を書き続けています。どこで生まれたか。誰と誰の間にうまれたか。どこで死んだか。どこに葬ったか。此ればかりです。
ところどころに、わけの分からない話が挿入されています。
日本書紀の作者は、古事記を参考にして、日本書紀を作りましたが、わけの分からない所は、書くことを止めたり、伯耆の国に居た天皇家の証拠を無くしたり、伯耆の国に在った場所を出雲にあった様に書いています。
大国主神は天津神ではありませんが、天皇家にとっては、重要な神であったので、多くの紙面を使っています。素莵のはなしから始っていますが、日本書紀の作者はなんのことか判りませんので、消そうとはしませんでした。
それだけではなく、日本書紀には書きませんでした。
古代史を考える時に、この部分が、重要な所だと思います。
先に書きましたように、大ベテランのお三方が、全く意見が異なる様な有様です。
「天の詔琴」の解釈は、日本書紀の作者たちも理解できなかった部分だと思います。
丸山氏が目を付けられた「天沼矛」もヒントになる筈です。
ここに、天照大神やスサノオの働きなどが隠されているのだと思います。長くなりましたので、次回に続きを書きます。
丸山林平氏----天の詔琴に書かれてある〔詔〕は、〔沼〕の間違いである。「天沼矛」と同趣の語で、「あめの」は美称。「ぬ」は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称。りっぱな琴。
中西氏------天の詔琴だから、三種神器の一つである。
倉野憲司氏---託宣に用いる琴。スサノオ命の宗教的支配力を象徴しています。
三人とも、何故そのように結論づけたか、理由は書いておられません。
丸山氏は、「天沼矛」と同趣の語で、〔沼〕は「瓊」とひとしく「玉」の意の美称という理由を書いて、玉で出来たものが、どうして、〔琴〕なのか理解できません。天の詔琴を持って逃げるときに、大きな音がして、スサノオが目を覚ましたのですから、音楽につかう琴だと思います。
中西氏は、理由がありませんが、〔詔〕は、天皇が、部下に命令したり、思っていることを話す時に、〔詔〕それたという使いかたになっています。〔朕〕と同様に、天皇専用の言葉となっているようですから、天皇用の琴で良いと思います。天皇用の琴をどうして、スサノオの娘が持っていたのか、理解できません。
倉野憲司氏は、託宣に用いる琴と書いておられますが、〔託宣〕の意味が解りません。どうして、託宣するときに、琴を奏でるのか。お経を唱えるときに、音をだすものとしては、木魚はありますが・・・・。
倉野憲司氏は、岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』の解説として書いておられます、その又、最後に、『古事記』を編さんするにいたったことをすこし書いておられます。古事記との関わりは、大正12年に東大に入学して以来、40年間であると書いておられます。
この様な方の論文を前に、私の思いつきを書くことは、失礼なことの様ですが、その思いつきを書いてみます。
古事記の序文 (本文の前に書いてあるところの文章) に建国の経緯がすべて、数年以内に分からなくなる非常事態だったことが書かれています。天武天皇が生きている限り、建国の経緯も天皇家の系図も分からなくなることはあり得ません。ということは、数年以内に天皇が死ぬということを知っておられたことになります。
古事記ではどのように書いてあるかと云いますと、
「於是天皇詔之。朕聞諸家之所賷。帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家經緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉」
翻訳---ここに天皇詔したまひしく「朕聞く『諸家の(賷)もたる帝紀と本辞は正実と違い多くの虚偽を加うといえり』今の時にあたりてその失を改めずば、いまだ幾年を経ずしてその旨滅びなんとす。これすなわち、邦家の経緯王化の鴻基なり。故ここに帝紀を撰録し舊辭を検討して偽を削り実を定め後葉に伝えんと思う」とのりたまひき。
天武天皇を殺そうとしている人も含めて、我こそは、由緒正しい天皇家を継ぐものだと云っているものが多いので、自分たちの先祖がどのような人であったのかを書き残すことにしました。
この部分は、偽物だという人も居られますが、古事記には、ひたすら、系図がどのようになっているかの実を書き続けています。どこで生まれたか。誰と誰の間にうまれたか。どこで死んだか。どこに葬ったか。此ればかりです。
ところどころに、わけの分からない話が挿入されています。
日本書紀の作者は、古事記を参考にして、日本書紀を作りましたが、わけの分からない所は、書くことを止めたり、伯耆の国に居た天皇家の証拠を無くしたり、伯耆の国に在った場所を出雲にあった様に書いています。
大国主神は天津神ではありませんが、天皇家にとっては、重要な神であったので、多くの紙面を使っています。素莵のはなしから始っていますが、日本書紀の作者はなんのことか判りませんので、消そうとはしませんでした。
それだけではなく、日本書紀には書きませんでした。
古代史を考える時に、この部分が、重要な所だと思います。
先に書きましたように、大ベテランのお三方が、全く意見が異なる様な有様です。
「天の詔琴」の解釈は、日本書紀の作者たちも理解できなかった部分だと思います。
丸山氏が目を付けられた「天沼矛」もヒントになる筈です。
ここに、天照大神やスサノオの働きなどが隠されているのだと思います。長くなりましたので、次回に続きを書きます。






