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No745神武東征(194)  神武天皇(137) 日本書紀と古事記(12) [日本大好き]

学門的に云いますと、認められているのは、日本書紀が最も古い書物とされています。では、古事記は何だと云いますと、偽書という立場をとられる人が、多い様ですが、調べたわけではありません。
 偽書どころか、私の様に、神話時代は実際にあった事どころか、全くの作り話で、神武天皇の記述も、学問的には、無かったらしいです。

従いまして、これから書こうとすることは、お話しにならないと一蹴されることになろうかと思いますが、敢えて書いてみます。

 日本書紀と古事記が、認められている書物の中では、古いことになっています。これよりも古い書物は、古史古伝と呼ばれ、神代文字とよばれるもので書かれてあったり、何度も書写されていたりで詳しいことは分かっていません。次の所に、有名な書物のタイトルと簡単な内容が書いてあります。

 古史古伝と神代文字
http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/koshikoden.htm

『日本の偽書』藤原明著の本を買って、現在読んでいる最中です。荒唐無稽という言葉が、何度も出てきます。多くの学者が云われた事を、材料に、これらの古史古伝と云うものが、如何に、いい加減なものであるかを色々の方面から論じておられます。

言葉を変えますと、そのようないかがわしい物を利用して、歴史を論じるとはとんでもないと云っておられます。

WEBでも、殆ど、プロの方は、無視されています。そうかと思えば、絶賛されている方の頁ページあります。
ほつま文字
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/ht103.html
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/index.html

ちらっと 見ただけですが、ほつまつたへ も 宮下文書も、偽書のような気がしますが、
 『日本の偽書』のように、藤原明のようなものの考え方をしますと、日本書紀も古事記も偽物になります。
 本当の事が書いてないものを偽書としますと、毎日、読んでいる新聞でも、 半分ぐらいは嘘なのではないかと思います。嘘という言葉が失礼であるなら、信用できないと思います。
 誰でも、書物にあらわしたり、歌った、演劇、映画にしたりする時は、誰かに、自分が思っている事を伝えようとします。
 表現したうち、どれだけの人に共鳴して貰えるでしょう。

表現は、少々オーバーであったりしますが、その中に、少しは真実の部分はあるのではないかと考えます。
 現在、日本書紀と古事記を比べながら、読んでいますが、私は、古事記の方が、真実が多い様に考えています。古事記よりも日本書紀の方が、真実が少ないように考えています。
 次回は、偽書が確定的と思える〔宮下文書〕のことを書いてみます。

No744神武東征(193)  神武天皇(136) 日本書紀と古事記(11) [日本大好き]

日本書紀では、神話の部分では、本文以外に、〔他の一書〕と記して、参考文献が記されています。参考文献を書き加える意図がよく判りません。正確を追求するのであれば、神武天皇の記述以後も存在しても良いですが、天皇の記述では、一切ありません。
 他の一書に当たるものとしては、古事記がありますが、古事記は何故か取り入れていません。
 このように考えを進めますと、おかしなことばかりです。しかし、このような書物は残っていませんが、あったこととして、検討を加えようと思います。
 日本書紀と古事記を比較することは、まだ始めたばかりですから、もう少し、進んだ時点で、又検討を加える積りです。

 その1 〔他の一書〕に書いてある文章は、漢字で書かれています。
 残っていないのですから、漢字で書いてあったかどうか、知ることはできません。しかし、前回、紹介しましたように、713年に元明天皇 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87
は、令制国毎に『風土記』という地誌の編纂を命じたことになっています。
 完成した風土記が、政府に、いつ戻ってきたか不明ですが、風土記の提出を求められてから、各国で、漢字を勉強したとも思えません。713年の時点で、全国的に、漢字は使用されていたと考えるのが自然かと思います。

 出雲風土記の意宇郡http://www3.synapse.ne.jp/kintaro/fudoki0/c402fse.htm
をご覧ください。ついでに、スクロールさせますと、神社の名前が掲載されています。
どの郡も、表示して、全部の神社をコピーしますと、当時の出雲の神社をすべて、見ることが出来ます。
 
従いまして、漢字が使用されていたのは、もうすこし、遡ることは出来るでしょうか。
欽明天皇の御代は
宣化天皇4年(539)~欽明天皇32年(571) 63才 と日本書紀に記載されます。
又、552年に百済の聖明王より日本の朝廷に仏像や教典などが贈られたとあります。

仏教公伝の年次については、『上宮聖徳法王帝説』や『元興寺縁起』では、欽明7年(538年)とされている。

『上宮聖徳法王帝説』や『元興寺縁起』は安閑・宣化を天皇と認めない立場で記されているようで、『日本書紀』とは年代感が異なっている。『上宮聖徳法王帝説』などの欽明7年(538
年)は『日本書紀』では宣化3年にあたる。
 このように見ていきますと、日本書紀と古事記の比較は、こちらの方に飛んでしまいますので、6世紀中ごろには、漢字は使われていただけにします。
 それ以前は、どうでしょうか。

No743神武東征(192)  神武天皇(135) 日本書紀と古事記(10) [日本大好き]

日本書紀よりも、古事記の方が完成していましたから、古事記を参考にして、日本書紀を書いたとしますと、私は、日本書紀は、何故作られたかと云いますと、古事記にかかれてあることは、藤原氏にとっては、困ることばかりだったと思っています。
 日本を代々治めて来たのは、イザナギから始って、天照大神、天忍穂耳命、邇邇芸命、日子穂穂出見命、鵜葺草葺不合命、神武天皇、綏靖天皇、安寧天皇、・・・・崇神天皇・・
と、古事記には、歴代天皇の名前が書いてあります。
 その名前を全部消すことはできませんでした。古事記を全部処分することは簡単なことでしたが、其当時、既に、全国に神社があり、その神社の祭神をすべて、調べることは大変なことでした。
 古事記が、完成した712年の翌年の713年に、元明天皇は、令制国毎に『風土記』という地誌の編纂を命じたことになっています。現在、出雲国、常陸国、播磨国、肥前国、豊後国の物が、一部残存しています。
 提出された風土記には、神社の名前などが書かれていたと思われますが、書かれてある風土記は、処分されたのではないかと推察しています。
 存在していたと思われる風土記は、
各国の風土記 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98#.E5.90.84.E5.9B.BD.E3.81.AE.E9.A2.A8.E5.9C.9F.E8.A8.98
に掲載されています。これらのうち、天皇の勢力が強かった所は、処分したのではないかと推察していますが、まだ、確かめていません。
 どの国が天皇の勢力が強かったかと云いますと、900年代に完成した、延喜式神名帳に掲載されている式内社の少なかった国が、天皇の勢力が強かったのではないかと考えています。
未完成ですが、式内社の名前は、次の所に掲載しています。
【式内社と祭神】http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.html
美濃国風土記、飛騨国風土記、信濃国風土記、志摩国風土記、美作国風土記 などは、代表です。伯耆国風土記は、逸文として、3つの文章が残っていますが、天皇に関する者は、残っていません。
 出雲風土記に掲載されてある神社の多くは、確かめていませんが、延喜式神名帳に掲載されている筈です。式内社は、朝廷から認められた由緒ある神社と云うことになっていますが、間違いで、藤原氏の支配下にあった神社だと思います。
 出雲国は、風土記の提出を命じられた時には、既に、藤原氏の支配下にあり、確か、延喜式神名帳に収められた時には、4社増加しただけだと記憶しています。
このように、地方に残されてある記録をすべて、消しませんと、古事記に書かれてある天皇が存在しなかった様には、出来なかったと思います。
 そこで、各天皇の分かっていることを出来るだけ、消そうとしましたが、不可能ですので、古事記より、詳しい正史なるものを作ることによって、日本書紀が正史であることを読んだ人に、直ぐに分かるようにしたと推察しています。

これまでに、考察してきた範囲では、日本書紀の特徴は、〔本文以外の一書 〔第一・一書〕から一書 〔第六・一書〕までの6冊分の記事〕が書いてあることです。
 ここに書いてあることを見て、古事記を作ったという人が、殆どです。

古事記をみて、日本書紀が作られたと云う人は、田村誠一氏と私ぐらいのものです。

そうではなく、日本書紀をみて、古事記を作ったと思わせれば良いことになります。
そこで考え出されたのが、〔他の一書〕というものでなかったかと考えます。
①これだけ、沢山の資料がありますが、これらを参考にして、正しいと思われる歴史を、本文としてまとめた形式をとっています。
②全く、見時期日本書紀は違うと云うことを見せる為に、ちめいとか、神の名前、人の名前は、すべて、漢字を替えてあります。
③日本書紀では、書かれてある事柄が、行われた年月日まで、正確に書かれています。
④日本書紀に書かれてある神社などが、現存するだけではなく、最高の状態で存在します。
 例えば、ご神体がないために、神殿がない神社があります。例えば、大神神社とか石上神宮等です。上手く説明ができませんが、おかしい点がいくつかあります。

 日本書紀に登場する書物は、素人の私には、不可能ですが、見付けることはできません。見付けたというひとも知りません。
風土記と同様に、一冊も残っていない所が、不自然です。
 しかし、本当に、全部あった可能性は捨てきるわけにはいきません。次回は、その点に、検討を加えます。

No742神武東征(191)  神武天皇(134) 日本書紀と古事記(9) [日本大好き]

古事記と日本書紀を読み比べることを始めて、随分になります。
No734神武東征(183)  神武天皇(126) 日本書紀と古事記 
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-13
から、一から出発して見ようと思っています。

もう一度、両方の原文を記します。
古事記の原文
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。 上件五柱神者。別天神。

日本書紀の原文は 
古天地未剖。陰陽不分。渾沌如鶏子。溟?而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。重濁者淹滯而爲地。精妙之合搏易。重濁之凝場難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰。開闢之初。
洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。〈至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆倣此。〉
次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以成此純男。


一書 〔第一・一書〕一書曰。
天地初判。一物在於虚中。状貌難言。其中自有化生之神。號
國常立尊。亦曰國底立尊。次國狹槌尊。亦曰國狹立尊。次豐國主尊。亦曰豐組野尊。亦曰豐
香節野尊。亦曰浮經野豐買尊。亦曰豐國野尊。亦曰豐囓野尊。亦曰葉木國野尊。亦曰見野尊。』
葉木國。此云播擧矩爾。

一書〔第二・一書〕 一書曰。
古國稚地稚之時。譬猶浮膏而漂蕩。于時國中生物。状如葦牙之抽出也。因此有化生之神。號可美葦牙彦舅尊。次國常立尊。次國狹槌尊。』可美。此云于麻時。彦舅。此云比古尼。

一書 〔第三・一書〕 一書曰。
天地混成之時。始有神人焉。號可美葦牙彦舅尊。次國底立尊。

一書 〔第四・一書〕 一書曰。
天地初判。始有倶生之神。號國常立尊。次國狹槌尊。又曰。高天原所生神名。曰天御中主尊。次高皇産靈尊。次神皇産靈尊。』皇産靈。此云美武須毘。

一書 〔第五・一書〕 一書曰。
天地未生之時。譬猶海上浮雪無所根係。其中生一物。如葦牙之初生泥中也。便化爲人。號國常立尊。

一書 〔第六・一書〕 一書曰。
天地初判。有物若葦牙。生於空中。因此化神號天常立尊。次可美葦牙彦舅尊。又有物若浮膏 生於空中。因此化神號國常立尊。

僅か、これだけの分量ですが、8回も書いています。古事記は、5行です。どうして、8回も書いているかと云いますと、日本書紀は本文以外に、6冊の書物より関連記事が書いてあるからです。どうして、こんなに、日本書紀を作った人は、他の書物を集めたのでしょう。

私が今まで、接して来た日本書紀の読み方は、多くの場合、 WEBで読んだことになりますが、これはなかなか難解ですから、多くの人は、どなたかプロの方の物を参考にして、自分の見解を重ねて書いておられます。
 
 古事記に書いてあることは、私は実際にあったことが書かれているとしていますが、殆どのの方は、神話だとしておられます。
 それも、古事記は、偽書で、日本書紀が正史とされています。
また、記紀ともに天武天皇の詔によって作られたものとしておられます。

古事記は、210年の作です。日本書紀は720年の完成と云うことになっていますが、これは、間違いで、古事記は、日本書紀を参考にして作られたものである。と云うことは、古事記は、710年の作です。日本書紀は720年の完成というのは、間違いで、古事記は、720年後にできたか、日本書紀は、710年よりもずっと、先から出来ていたと云うものです。
 しかし、このようなことを示す、証拠となるものはありません。

私は、前述のことは、すべて、間違いで、やはり、日本書紀は、古事記を参考にして作られたと考えています。
その証拠を、記紀のあらゆるとこを比べることによって、その証拠を見付ける積りになっています。

本文以外の一書 〔第一・一書〕から一書 〔第六・一書〕までの6冊分の記事が、書かれてあるので、日本書紀の方が、信用されると思われています。
確かに、この6冊に書かれてある事柄を、少しずつ寄せ集めますと、古事記の文は作ることが出来ます。
しかし、書かれてある神の名を詳しく調べますと、古事記を完成させることが出来ないことが分かります。

それでは、日本書紀に出て来る神の名前をすべて書き出します。
本文---國常立尊。國狹槌尊。豐斟渟尊。
 〔第一・一書〕 ---國常立尊。國底立尊。國狹槌尊。國狹立尊。豐國主尊。豐組野尊。豐香節野尊。浮經野豐買尊。豐國野尊。豐囓野尊。葉木國野尊。見野尊。
 〔第二・一書〕 ---可美葦牙彦舅尊。國常立尊。國狹槌尊。
 〔第三・一書〕--- 可美葦牙彦舅尊。國底立尊。
 〔第四・一書〕--- 國常立尊。國狹槌尊。天御中主尊。高皇産靈尊。神皇産靈尊。
 〔第五・一書〕-- -國常立尊。
 〔第六・一書〕--- 天常立尊。可美葦牙彦舅尊。國常立尊。

古事記の方は、
天之御中主神。高御産巣日神。神産巣日神。宇摩志阿斯訶備比古遲神。天之常立神。
國之常立神。

日本書紀の〔第一・一書〕 ---國常立尊。國底立尊。國狹槌尊。國狹立尊。
次の部分は、古事記の次の所に出てきますから、考えないこととします。
豐國主尊。豐組野尊。豐香節野尊。浮經野豐買尊。豐國野尊。豐囓野尊。葉木國野尊。見野尊

第3と第6 以外は、最初に生れた神は、國常立尊です。「尊」という字が付いていますから、一番高貴な神であることが分かります。
第4を観れば分かりますが、次の順で、神が生れました。國常立尊。國狹槌尊。天御中主尊。高皇産靈尊。神皇産靈尊。 古事記では、天之常立神。國之常立神は、天之御中主神。高御産巣日神。神産巣日神よりも後に、お成りになっています。
 日本書紀では、天之御中主神。高御産巣日神。神産巣日神が書かれてあるのは、第4だけですし、しかも、 國常立尊。國狹槌尊より後から生れた神として扱われています。

この6冊の書物を見比べますと、いかに、古事記の記載は間違っているかを知ることができますと、日本書紀の作者は書いたのではないでしょうか。

No741神武東征(190)  神武天皇(133) 日本書紀と古事記(8) [日本大好き]

日本書紀の本文だけでも、気になる点がいくつもありますが、古事記と比べますと、重要なことが、3つあります。
①古事記では、はじめに、「天地(テンチ)初發(ショハツ)之時」 と書いてある所が、日本書紀では、
「昔、天と地がまだ分かれず」とあります。古事記では、ただ天地のはじまりと書いてあるのに、天と地がまだ分かれずと書いてあります。天と地が分れると考えた書物は、日本書紀の本文以外に、次の書があります。
 〔第一・一書〕---天地初判。
 〔第四・一書〕--天地初判。
 〔第六・一書〕--天地初判。
 日本書紀以外に、6書あるうち、4つの書が天と地が分れてできたと考えていることになります。日本書紀では、多い所では、12の書物の文が引用掲載されていることになります。それぞれの書物は、その当時の豪族が、自分たちの先祖の歴史を書き残したと思われます。天皇家と藤原氏以外に、どのような豪族がいたと思われますか。

 例えば、日本書紀に因りますと、神武天皇が、東征をしたときの目的が、古事記に書いてありますが、「何地に坐さば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なほ東に行かむ」とのみ書いてあります。
 日本書紀は、塩土の爺が語った言葉として、その目的が書いてあります。「東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟に乗って、とび降ってきた者がある」と。そこで、神武天皇が、諸皇子たちに、自分の考えを語ったように文が作られています。
「思うにその土地は大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心だろう。その飛び降ってきた者は、饒速日いうものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる」と述べました。
 ここに書かれた饒速日は、物部氏の先祖とされています。
『日本書紀』によると、欽明天皇の時代百済から仏像が贈られた。これの扱いを巡り、蘇我稲目(大臣)を中心とする崇仏派と物部尾興、中臣鎌子を中心とする排仏派が争ったこととされています。
 この内容が正しいかどうかは、別にして、豪族が物部氏と蘇我氏がいたことになります。日本書紀が作られたと思われる710年~720年頃には、物部氏と蘇我氏はいませんでしたが、先祖のことを記した記録書は残っていたのかも知れません。
 もし、そうであれば、一書では、このように云っていると書かないで、物部氏の記録によればと書いても良かった筈です。事細かく、年月日までいれて書き残したのですから、豪族の名前はいれても良かった筈です。とくに、古事記の名前を附して、参考文献に加えても良かったのですが、古事記は一切登場しません。
②登場する神は、古事記では、「高天原に成れる神の名は」とのみ書かれています。日本書紀では、色々です。
 本文------天地の中に、ある物が生じた。形は葦の芽のようだが、それが神となった。
 〔第一・一書〕--天地が始めて分れるとき、一つの物が空中にあった。そのありさまは形容しがたい。その中に自然に生れ出た神がおられた。
 〔第二・一書〕国がまだ若く、大地も若かった時には、譬えていえば、水に浮かんだ脂のように漂っていた。そんなとき、国の中にある物が生れた。形は葦の芽がつき出したようであった。
 〔第三・一書〕---天地がぐるぐる回転して、かたちがまだ定まらないときに、はじめて神のような人があった。
〔第四・一書〕---天地がはじめて分れるときに、始めて一緒に生れ出た神があった。国常立尊(くにとこたちのみこと)という。
〔第五・一書〕---天地がまだ固まらないとき、たとえば海上に浮かんだ雲の根がないように、漂っていた中に、一つの物が生れた。葦の芽がはじめて泥の中から生え出したようである。それが人となった。国常立尊という。
〔第六・一書〕---天地がはじめて分れたときに、ある物があり、葦の芽のように、空の中に生れた。これから出られた神を天常立尊という。

もう少し簡略します。
本文は、天地の中に、ある物が生じた。
〔第一〕は、一つの物が空中にあった。その中に自然に生れ出た神がおられた。
〔第二〕---国の中にある物が生れた。
〔第三〕---神のような人があった。
〔第四---天地が生まれたときに、一緒に生れ出た神があった。
〔第五〕---天地がまだ固まらないとき、一つの物が生れた。それが人となった。
〔第六・一書〕---天地がはじめて分れたときに、ある物があり、これから神がうまれた。

全部の書物に共通していることは、天地が出来た時に、ある物が生じた。このあるものは、どのようなものであるかは、脂のように浮かんでいるものであったり、葦の芽に似たようなものであるとしています。そのあるものが、神になったり、人になったりしていることが分かります。

③は、登場する神の名前が違っています。前述したように、古事記に登場してくる天之御中主神と高御産巣日神と神産巣日神は、〔第四書〕のみしか登場しません。

神の名前がどのように違うか、は次回に見ます。

No740神武東征(189)  神武天皇(132) 日本書紀と古事記(7) [日本大好き]

前回は、一書 〔第四・一書〕 を見ましたので、今日は本文を眺めます。
原文は、次の通りですが、漢文で書かれていますから、漢文のルールを知らない私には、読むことができません。並んでいる漢字だけを並べて見れば、ある程度は分るのですが、殆ど、無理です。

 古天地未剖。陰陽不分。渾沌如鶏子。溟涬而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。重濁者淹滯而爲地。精妙之合搏易。重濁之凝場難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰。開闢之初。
洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。〈至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆倣此。〉
次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以成此純男。

例によって、翻訳文(講談社発行・日本書紀・宇治谷孟氏)より、翻訳文を拝借します。

昔、天と地がまだ分かれず、陰陽の別もまだ生じなかったとき、鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に、ほの暗くぼんやりと何かが芽生えを含んでいた。やがてその澄んで明らかなものは、のぼりたなびいて天となり、重く濁ったものは、下を覆い、滞って大地となった。澄んで明らかものは、一つにまとまりやすかったが、重く濁ったものが固まるには時間がかかった。だから天がまずでき上って、大地は其の後できた。そして、後から、その中に神がお生れになった。
 それで次のようにいわれる。天地が開けた始めに、国土が浮き漂っていることは、たとえていえば、泳ぐ魚が水の上の方に浮いているようなものであった。そんなとき天地の中に、ある物が生じた。形は葦の芽のようだが、間もなくそれが神となった。國常立尊と申しあげる。---大変貴いお方は「尊」といい、それ以外のお方は「命」といい、ともにミコトと訓む。以下すべてこれに従う。----次に國狹槌尊。次に豐斟渟尊と、全部で、三柱の神がおいでになる。この三柱の神は、陽気だけをうけて、ひとりで生じられた。だから、純粋な男性神であった、と。

 原文を追いながら、翻訳文を読みますと、どうにか対応して翻訳されている様に思えます。このような翻訳を直訳と云うのでしょうか。意訳と云うのでしょうか。。一応、日本語の形にはなっていますが、なんのことか意味がさっぱり解りません。 

〔古天地未剖。陰陽不分〕の部分は、昔、天と地がまだ分かれず、陰陽の別もまだ生じなかったとき と訳されたことになります。
 〔剖〕は、解剖の熟語で使われる様に、〔わける〕という意味があります。ただ、刀などで、スパット切り分ける意味らしいです。一つだった物体が、自然と二つにわかれる状態ですから、〔分〕〔別〕〔判〕〔離〕当たりの漢字の方が、いいように思うのですが、漢文では使わないと云われれば、それまでです。
 〔天と地が未だ分かれていなくて、陰と陽に分れていない〕では、天と地に分れますと、陰と陽に分れると作者は考えていることになります。天が陽なのでしょうか。解らないのであれば、〔陰陽不分〕の部分は、必要ないことになります。日本語では、同じようなことを二つ書くことによって、強調するということはありますから、中国語でも、そのような使い方をすることがあるのでしょうか。
 もしないとしますと、作者は日本人になり、中国語でもそのような使い方をするのであれば、作者は中国人と日本人の両方の可能性があることになります。

〔溟涬而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。〕の部分は、〔ほの暗くぼんやりと何かが芽生えを含んでいた。やがてその澄んで明らかなものは、のぼりたなびいて天となり〕と翻訳されていますが、随分違うように思えます。 これは、宇治谷孟氏が使っておられる原文とち異なるのかも知れません。
次の原文も参考にしてください。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/tocda/

意味が解らないのですが、何度も読んでいますと、これは、天と地が、どのようにしてできたかを詳しく説明していることになります。
 天と地が、どうしてできたかを説明することは、不可能でしょう。地は実際に存在するものですが、天は想像上のものですから、天がどのようにしてできたかは、無理でしょう。
 この文章の全体を読みますと、宇宙はどうしてできたかを説明している様に思われます。
地球以外の部分を天と云うことにしますと、天がどうしてできたかを説明することが出来ます。
 誰からも認めて頂けませんが、日本には、紀元前から、ユダヤ人は来ていたと思います。彼らは、ヨウロッパと日本を行き来していましたから、当然、星の動きを使って移動していました。 
 神武東征のときも、ユダヤ人は、天皇を支援していました。従いまして、地球がどのようにできたかは、説明出来なかったかもしれませんが、日本書紀の作者らがかんがえたようなことは考えなかったと思います。

宇宙の始まりは、私も良く知りませんが、、宇宙の細かい物質が、沢山集りますと、次第に重さが生じ、そうしますと、引力が生じ、どんどん、宇宙のほこりを吸い寄せる、そして、地球のような天体が生れる。日本書紀に書いてあることは、間違っていますが、
〔鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に、ほの暗くぼんやりと何かが芽生えを含んでいた〕の辺りの表現は、なかなかいい線を云っているのではないかと思います。

途中ですが、続きは次回にします。   H220319

No739神武東征(188)  神武天皇(131) 日本書紀と古事記(6) [日本大好き]

高天原に最初にやって来た三人(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)は、日本書紀には書かれていませんと書きましたが、正確に云いますと、日本書紀の本文には書いてありません。
又一書(第四)には書いてあります。ここに書いてあることも、本文も一緒にして居られる方が、殆どですが、本文と他の一書は別のものです。
 
 別のものであると云うことは、はじめの部分だけ眺めても気が付きません。これから、日本書紀の他の書をすべて、検討していきますと、自然と分かって頂けると思っています。
 私がどのように眺めたかを読んで頂ければと思います。
 そのためには、もう一度、この部分の原文と読み下し文を見て頂く必要があります。

日本書紀の原文は 
古天地未剖。陰陽不分。渾沌如鶏子。溟?而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。重濁者淹滯而爲地。精妙之合搏易。重濁之凝場難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰。開闢之初。
洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。〈至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆倣此。〉
次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以成此純男。

一書 〔第一・一書〕一書曰。
天地初判。一物在於虚中。状貌難言。其中自有化生之神。號
國常立尊。亦曰國底立尊。次國狹槌尊。亦曰國狹立尊。次豐國主尊。亦曰豐組野尊。亦曰豐
香節野尊。亦曰浮經野豐買尊。亦曰豐國野尊。亦曰豐囓野尊。亦曰葉木國野尊。亦曰見野尊。』
葉木國。此云播擧矩爾。

一書〔第二・一書〕 一書曰。
古國稚地稚之時。譬猶浮膏而漂蕩。于時國中生物。状如葦牙
之抽出也。因此有化生之神。號可美葦牙彦舅尊。次國常立尊。次國狹槌尊。』可美。此云于
麻時。彦舅。此云比古尼。

一書 〔第三・一書〕 一書曰。
天地混成之時。始有神人焉。號可美葦牙彦舅尊。次國底立尊。

一書 〔第四・一書〕 一書曰。
天地初判。始有倶生之神。號國常立尊。次國狹槌尊。又曰。高天原所生神名。曰天御中主尊。次高皇産靈尊。次神皇産靈尊。』皇産靈。此云美武須毘。

一書 〔第五・一書〕 一書曰。
天地未生之時。譬猶海上浮雪無所根係。其中生一物。如葦牙之初生泥中也。便化爲人。號國常立尊。

一書 〔第六・一書〕 一書曰。
天地初判。有物若葦牙。生於空中。因此化神號天常立尊。次可美葦牙彦舅尊。又有物若浮膏 生於空中。因此化神號國常立尊。

 
先ず、一書 〔第四・一書〕 一書曰。の部分だけを先に検討します。
天地初判。始有倶生之神。號國常立尊。次國狹槌尊。又曰。高天原所生神名。曰天御中主尊。次高皇産靈尊。次神皇産靈尊。』皇産靈。此云美武須毘。

翻訳文(講談社発行・日本書紀・宇治谷孟氏)
 また一書(第4)ではこういっている。天地がはじめて分れるときに、始めて一緒に生れ出た神があった。国常立尊(くにとこたちのみこと)という。次に国狭槌尊(くにのさつちのみこと)。また高天原においでになる神の名を天御中主尊という。次に高皇産靈尊。次に神皇産靈尊。皇産靈---此れを美武須毘(ミムスヒ)という。

 日本書紀では、天之御中主神ではなく、天御中主尊となっています。外は全て違いますから、日本書紀(720年完成)が編纂された時には、古事記(712年完成)が出来上がっていましたから、古事記と同じ、神の名前書かれていても、不思議ではありませんが、6書有るうちに、古事記と同じ資料はありません。
 敢えて、似ている物を探しますと、第四書になります。
 日本書紀は、天御中主尊、高皇産靈尊、神皇産靈尊です。
 古事記では、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神です。
 似てはいますが、全く違います。大いに異なる点は、日本書紀では、〔皇産靈〕を美武須毘(ミムスヒ)と読むと断ってあります。
神皇産靈尊と神産巣日神を並べてみますと、〔皇産靈〕と〔産巣日〕は、一致しそうですから、〔産巣日〕も〔ミムスヒ〕と読むように、古事記を読む時には、古事記の翻訳者も、神産巣日神には〔かみむすひのかみ〕と読み仮名をつけておられます。
 
と云うことは、どういうことなのでしょう。〔皇産靈〕も〔産巣日〕も、〔みむすひ〕とも〔むすひ〕とも読むことが出来ないのに、記紀の翻訳者は、お互いに助け合いながら、〔皇産靈〕と〔産巣日〕は、同じものとして、取扱い、無理やりにふりがなを打っておられることになります。
 どうにか、似ていることを証拠にして、神皇産靈尊と神産巣日神は、同じ神であるとしておられます。
この文が、本文にあるのでしたら、同じものとして取り扱っても良いですが、沢山ある書物の中の一冊が似ていることを日本書紀の作者は強調したことになります。
古事記は、こんなに沢山ある書物の中の一冊だと表現したことになります。 7冊目に古事記があったが、日本書紀には、掲載しなかったことになります。

このような調子で、他の書物も検討を加えて行こうと考えています。
第4書をもう一度、書きます。
 また一書(第4)ではこういっている。天地がはじめて分れるときに、始めて一緒に生れ出た神があった。国常立尊(くにとこたちのみこと)という。次に国狭槌尊(くにのさつちのみこと)。また高天原においでになる神の名を天御中主尊という。次に高皇産靈尊。次に神皇産靈尊。皇産靈---此れを美武須毘(ミムスヒ)という。

この書物では、天と地は、はじめは、一つのものでしたが、天と地に分れたと書いてあります。と云うことは、天と地がどのようにできたのかということは書いてありませんが、その時に、同時に、生まれた神があったと書いてあります。
それが、国常立尊と国狭槌尊という神だったと。それが男の神であったとか、女の神であったとは書いてありません。
 天と地に分れましたが、その天と地のどちらにおいでになった神が、天御中主尊と高皇産靈尊と神皇産靈尊であると書かれています。
 この部分が、大切です。
国常立尊と国狭槌尊は、どうして出来たかは書いてありませんが、出来た高天原にやって来た神が、天御中主尊と高皇産靈尊と神皇産靈尊の三人だと。
 この部分は、古事記と一緒です。三人の神が生れたのではなく、どこからかやって来たのです。

No738神武東征(187)  神武天皇(130) 日本書紀と古事記(5) [日本大好き]

古事記の原文〔天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也
此れだけの文章に、「天」の字が、3回出てきます。どのように読むかは、「天地初發之時」のときは、「天地」は、「地」に対しての「天」ですから、「テン」でしょう。だから、作者は何も書いていません。
次の「於高天原成神名。天之御中主神」の部分は、【訓高下天云阿麻下此】のように読むのですよと、注釈を入れました。【訓高下天云阿麻下此】これは、「高」の下にある「天」は、「阿麻アマ」と読んでください。この後もこの調子で読んでくださいと書いてあります。
この後は、一番に「天之御中主神」があります。これも「阿麻」と読むのでしょう。高天原に関係のあるもの滇は、すべて、「阿麻」と読むのでしょう。
 ただ、天之御中主神の〔天〕の部分は、出身地を表すのではないかと疑っています。まだ、高天原が完成したわけではあのませんから、「阿麻」と読むのは間違いかも知れません。

 話題は、少し変ります。中国の雲南省に昔、〔滇〕という国があり、その国から、いろいろの所へ移動した形跡があります。その人たちは、最近まで字を使っていませんでしたから、そのような資料は一切ありません。しかし、どうやら苗族と呼ばれていた人々だったらしく、海南島、台湾、福建省、新羅(朝鮮半島にあった国)などに共通する点が多くあります。例えば、福建省には、〔福〕の字がつく地名が残っています。
 日本では、〔福良〕とか〔福浦〕の付く港が一杯あります。
【福の字のつく地名】http://homepage1.nifty.com/o-mino/page518.html
苗族が、計画的に日本へやって来た跡ではないかと推理しています。この港には、川が流れ込んでいます。この川に沿って、上流に遡りますと、〔福〕とや〔田〕の字がつく地名がいっぱいあるのが分かります。
 苗族の人達が日本へやって来て、そこで、稲作を行い、地名を残したのではないかと推理しています。ですから、稲作は、朝鮮半島から伝わったのではなく、海南島や福建賞を経由して日本の天草の辺りに移住して来たのではないかと考えています。
 天草の場合は、神武天皇が、呼び寄せたのではないかと考えています。
 その証拠として、神武天皇を祀る神社は、天草が一番多いことになっています。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page311.html神社が沢山ある所は、神武天皇が神武東征のおり、立ち寄った所と一致します。

 天草に到着した苗族は、稲作を九州からはじめ、東へ、北へと伝えたことになっていますが、日本海にそって、一気に全国に広がったと考えています。東北で発見された稲作の遺跡を調べて頂きますと、日本全国一斉に稲作が行われた事が分かる筈です。

高天原に最初にやって来た人は、次の三人です。
①天之御中主神---滇からやって来た人達の中心人物です。
②高御産巣日神---〔高〕からやってきた産巣日の一番偉いひとです)
③神産巣日神----ユダヤ人の産巣日の人です。
 
〔高〕からやってきた人。〔高〕とはどこか、それが分かりません。現在探している所です。
高からやって来た人は、はじめに、高い山に登り、自分たちの位置を決めたと思われます。勿論、その山には名前を付けました。〔高〕という字をつけたのではと推理します。
高見山―――全国に6ヶ所あります。
高尾山------全国に、70以上あります。 これは、紀元前の人が、目印にしていた可能性が大きいです。 
地名 「高尾山」 http://homepage1.nifty.com/o-mino/page421.htmlまだ、調査中ですが、高御産巣日神の〔高尾山〕ではなさそうです。 しかし、〔高尾山〕の高出あるとしますと、イザナギとイザナミに関係がありそうです。となりますと、〔高〕は、〔タカ・多賀〕ではなかったかと推理します。
 伊弉諾神・伊弉冉神の代表者として、高御産巣日神が派遣されたと云えるかもしれません。

イザナギは、高天原をアマテラス・スサノオ、月読むに任せて、古事記によりますと、多賀に引退したことになっています。
〔高〕という地名は、つぎのものだけ見つけました。それ以上のことは調べていません。
 京都府綴喜郡井手町大字多賀小字内垣内
広島県庄原市高町市場
福島県南相馬市原町区高字金井神
群馬県多野郡吉井町高
宮城県本吉郡本吉町高
多賀は沢山ありますが、伊弉諾神が引退したのは、滋賀県です。現在、多賀神社のある所ではなく、近江八幡市の多賀ではなかったかと思っています。

私の推理は、天之御中主神はあちこちで、調査を行いましたが、その痕跡が、現在祀られている神社と関係があるのではないかと。。 滋賀県近江八幡市中之庄は、すぐ、東に白王という地名があります。白王は、イザナギと関係があると考えています。(白山も関係があると考えています。これから調べるところです)  白王から水路を隔てた本土側に、多賀があります。
滋賀県に雪野山があり、頂上に前方後円墳があ、三角縁神獣鏡が出土したとありましたので行きました。
http://www.bcap.co.jp/yokaichi-kanko/kankospot/yukinoyama.html
雪野山は別名、龍王山と言いますから、麓には、中国人が住んでいたと目星をつけて行きました。山の南の麓には、龍王寺というお寺がありました。こちらは、調べていません。その隣に「天神社」がありました。建替え中で、社はありませんでしたが、祭神が、天御中主神と書いてありました。天皇家を崇拝する人達がこの神社の辺りに住んでおられましたが、其地には、龍王寺が出来、その中心人物は、山の頂上に葬られ、その山は、龍王山と名付けられたと思われます。龍王山は、中国人の人達が、崇拝した山に名づけられました。
参考 【No350 岡山県の龍王山】
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2006-11-18

 この二つの事から、伊弉諾神と「高」は関係があったのではないかと考えているのですが、この辺りの方は、高天原は、天之御中主神社の裏山にあったと思われているそうです。

鹿児島県鹿児島市宇宿町915番地に天之御中主神社があります。この神社の由緒によりますと、800年前にできたように書いてありますが、神武天皇を祀る神社は、鹿児島には、15社ありますから、天草にやって来た人達は、鹿児島。宮崎、山口を通って、全国に移動した経路を想像することが出来ます。

③の神産巣日神は、説明をしますと、長くなりますので、省略します。
参考に 【頭に「神」がつく、神と人】
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-07-19

この三人は、日本書紀には書かれていません。
何故か、考えて頂ければと思います。
次回、私の考えをかいてみます。

No737神武東征(186)  神武天皇(129) 日本書紀と古事記(4) [日本大好き]

天地(テンチ)初發(ショハツ)之時。於高天原成神名(タカアマハラにおいて成る神の名は)。天之御中主神(テンノミナカヌシノ神)【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神(次はタカミサンソウノ神)。次神産巣日神(次はカミサンソウノ神)。この三柱の神は、並獨神成坐而(並びて獨り神で成りいます)。隱身也(身を隠されました)。
次國稚如浮脂而(次は、国が若くて脂が浮いているように、)。久羅下那洲多陀用幣琉之時(クラゲが成し漂える頃に)【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。(葦の芽が牙のように見え、燃え上がる時に、)成神名(お成りになった神は)。宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシアスカビヒコジの神)【此神名以音】次天之常立神(次はテンノトコタチの神)【訓常云登許訓立云多知】二柱神亦獨神成坐而。隱身也。(この二柱の神も又独り神でお成りいます) 上件五柱神者。別天神。(上件五柱の神、別天神です)

 こんな読み方はおかしいと思われる方は、ご自分で変えて頂いて結構です。その方が、いろいろ思いが拡がって良いかと思います。

 読み下し文を書いてみます。
天と地が始った時のままと思える高天原(タカマガハラ)にやって来た神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神でした。この三柱の神は、並びて獨り神でおられました。そして、身を隠されました。
 次は、国が若くて脂が浮いているように、(見え、(クラゲが成し漂っている(ように見える)頃に、又、葦の芽が牙のように見え(ぐんぐん成長して)、燃え上がる時に、お成りになった神は、宇摩志阿斯訶備比古遲神、次は天之常立神(テンノトコタチの神)です。(この二柱の神も又独り神でお成りでした。
上件五柱の神、別天神です。

この五人の神がやって来た高天原には、地名がありませんでした。これから後、地名の無かった所では、太安万侶は、必ず、その近辺の見た景色を書いています。では、太安万侶が高天原に行ったのかと云いますと、行かないで、奈良にいたと思われます。誰かから聞いたことになりますが、それは、序文に登場する稗田阿礼ではなかったかと推理しています。その根拠は、いつか書くことになると思っています。
 稗田阿礼は、どのような人物かと云いますと、太安万侶は、次の様に書き残しています。

時有舎人。姓稗田ヽ名阿礼ヽ年是二十八。為人聡明ヽ度目誦口ヽ払耳勒心。即ヽ勅語阿礼ヽ令誦習帝皇日継及先代旧辞。(『古事記』序)
訳:そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。すぐさま(天武)天皇は阿礼に「『帝皇日継』(ていおうのひつぎ。帝紀)と『先代旧辞』(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」と命じた。

重要な点は、〔聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない〕とあります。
 稗田阿礼は、古事記を作る資料を集めるために、あちこち旅をしたのではないかと想像しています。稗田阿礼は、その土地で見たものは、文章にしました。
 稗田阿礼が高天原にやって来た時は、次のような季節の時でした。
 国が若くて脂が浮いているように、(見え、(クラゲが成し漂っている(ように見える)頃に、又、葦の芽が牙のように見え(ぐんぐん成長して)、燃え上がる時に、
 
 稗田阿礼は、少し高い所から、神々がやって来たヒルゼン高原を眺めていたのだと思います。
 昔は湿地帯出あれば、どこでも葦原があったと思います。私の近くですと、大阪府高槻市にあります。淀川の中州にあります。ここでは、春になると葦焼きが行われます。結構楽しいものですから、一度訪れられますと、葦を見ることが出来ます。

鵜殿の葦焼き
http://brosp1.hp.infoseek.co.jp/udono.html

 春になりますと、多くの植物は天に向かって、伸びます。今、目にするのは、木蓮です。蕾の時は、先が尖っています。芽を吹き出した葦が、どのような様子なのかみたことはありませんが、稗田阿礼は、牙のように見え(ぐんぐん成長して)、燃え上がる様に見えたと表現しました。
 稗田阿礼は、見ただけではありません。あちこちで、古老から話を聞いたり、神社では、伝えられている話も、耳にしました。 そして、それらのものは、出来るだけ、書きとめないで、暗礁する様にして、太安万侶に伝えたと推察します。
 その記憶力の良さを、時有舎人。姓稗田ヽ名阿礼ヽ年是二十八。為人聡明ヽ度目誦口ヽ払耳勒心。即ヽ勅語阿礼ヽ令誦習帝皇日継及先代旧辞。(『古事記』序)
書いたと理解します。

〔國稚如浮脂而〕の部分の意味は、前後の文章から見ますと、〔国というには、まだ若いヒルゼン高原の様子は〕という位の意味でしょうか。


No736神武東征(185)  神武天皇(128) 日本書紀と古事記(3) [日本大好き]

もう一度、それぞれの原文を記します。

 古事記の原文
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。 上件五柱神者。別天神。

日本書紀の原文は 
古天地未剖。陰陽不分。渾沌如鶏子。溟?而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。重濁者淹滯而爲地。精妙之合搏易。重濁之凝場難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰。開闢之初。
洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。〈至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆倣此。〉
次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以成此純男。

一書 〔第一・一書〕一書曰。
天地初判。一物在於虚中。状貌難言。其中自有化生之神。號
國常立尊。亦曰國底立尊。次國狹槌尊。亦曰國狹立尊。次豐國主尊。亦曰豐組野尊。亦曰豐
香節野尊。亦曰浮經野豐買尊。亦曰豐國野尊。亦曰豐囓野尊。亦曰葉木國野尊。亦曰見野尊。』
葉木國。此云播擧矩爾。

一書〔第二・一書〕 一書曰。
古國稚地稚之時。譬猶浮膏而漂蕩。于時國中生物。状如葦牙
之抽出也。因此有化生之神。號可美葦牙彦舅尊。次國常立尊。次國狹槌尊。』可美。此云于
麻時。彦舅。此云比古尼。

一書 〔第三・一書〕 一書曰。
天地混成之時。始有神人焉。號可美葦牙彦舅尊。次國底立尊。

一書 〔第四・一書〕 一書曰。
天地初判。始有倶生之神。號國常立尊。次國狹槌尊。又曰。高天原所生神名。曰天御中主尊。次高皇産靈尊。次神皇産靈尊。』皇産靈。此云美武須毘。

一書 〔第五・一書〕 一書曰。
天地未生之時。譬猶海上浮雪無所根係。其中生一物。如葦牙之初生泥中也。便化爲人。號國常立尊。

一書 〔第六・一書〕 一書曰。
天地初判。有物若葦牙。生於空中。因此化神號天常立尊。次可美葦牙彦舅尊。又有物若浮膏 生於空中。因此化神號國常立尊。

本文の記事数は、記紀共に、略同数です。
その後ろに書いてある部分は、古事記ではゼロで、日本書紀では、第六書まであります。私は日本書紀の編集者が、あちこちから存在する記録書を求めて来たと考えられていますが、私は、日本書紀の編集者が、これだけの事を書いて、後の世の人に理解して頂こうとしたと考えます。
 なにを理解して貰うのかと云いますと、日本書紀に書いてあることがどれほど正しいかと云うことです。
 それは、古事記を書いた太安万侶も考えたことになります。では、一書から六書までは、本文を補強するためにあったとしますと、では、本文も自信満ちたものである筈です。

本文を並べて、もう一度書いてみます。
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。 上件五柱神者。別天神。

日本書紀の原文は 
古天地未剖。陰陽不分。渾沌如鶏子。溟?而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。重濁者淹滯而爲地。精妙之合搏易。重濁之凝場難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰。開闢之初。
洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。〈至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆倣此。〉
次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以成此純男。

私が読む前に、一度ご自分で読んでください。
 古事記の方は、意味は、解らなくても、どなたでも、読むことが出来ると思います。
読んでみます。

天地(テンチ)初發(ショハツ)之時。於高天原成神名(タカアマハラにおいて成る神の名は)。天之御中主神(テンノミナカヌシノ神)【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神(次はタカミサンスノ神)。次神産巣日神(次はカミサンソウノ神)。此三柱神者この三柱の神は。並獨神成坐而(並びて獨り神で成りいます)。隱身也(身を隠されました)。
次國稚如浮脂而(次は、国が若くて脂が浮いているように、)。久羅下那洲多陀用幣琉之時(クラゲが成し漂える頃に)【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。(葦の芽が牙のように見え、燃え上がる時に、)成神名(お成りになった神は)。宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシアスカビヒコジの神)【此神名以音】次天之常立神(次はテンノトコタチの神)【訓常云登許訓立云多知】二柱神亦獨神成坐而。隱身也。(この二柱の神も又独り神でお成りいます) 上件五柱神者。別天神。(上件五柱の神、別天神です)