No728神武東征(177) 神武天皇(120) 奥津鏡・辺津鏡(16) [日本大好き]
国づくりを命じられた伊邪那岐命と伊邪那美命がどのようにして、国造りをしたか、其の後に続けて書いてあります。
前回、その一部の原文の読み下し文を見て頂きました。もう一度、掲載します。
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】
倉野憲司氏・岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』に拠りますと、
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
是までの文章の中で、意味の判らないことは、「修理固成」「天の沼矛」「塩」「淤能碁呂島」です。「修理固成」の固成は、「固せ成せ」と訳されています。なんのことか判りません。
どうして、「天の沼矛」が必要なのか。訳本の注には、「玉でかざった矛」とあります。矛は普通は武器です。天つ神諸の命が武器を渡して、国を平定せよと命じたのでしょうか? 「塩」は訳本注には、「海水」となっています。矛の末より塩が垂たり落ちたという表現がありますから、海水が滴り落ちた可能性があり、淤能碁呂島という島が完成したとあって、辻褄が合います。ただ、最初にできた大切な淤能碁呂島がどこに出来たかは書かれていません。 古事記の作者は書きたくなかったのではないでしょうか?
例えば、 「塩」に注目してください。古事記には、塩は海水とは書いてありません。所が翻訳者の倉野憲司氏は、「海水」と欄外に説明を加えておられます。
日本書紀を持っておられる方は、もう一度、日本書紀をご覧ください。
本文には、「・・青海原が見つかり、その矛の先からしたたった海水が、凝り固まって・・・」
第一書には、「・・青海原をかき回して引きあげるときに、矛の先からしたたり落ちる潮がかたまって・・・」
第二書には、「・・天瓊矛をもって下の方の海を探ったら・・・」
第三書には、「・・玉飾りの矛で磤馭慮島を海をかきまぜてつくった・・・」
第四書には、「・・玉飾の矛で、海中をかきさぐって一つの島をつくった・・・」
如何ですか。全部、海から矛を引きあげたときに、矛から滴り落ちた塩で、島が出来たと書いてあります。
倉野憲司氏は、古事記に書いてあるものは、「塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時」とあり、海の塩とは書いてないので、分り易い様に解説をされました。しかし、どうして、海の塩と分かったかは、日本書紀を参考にされたのだと推察します。
前回、その一部の原文の読み下し文を見て頂きました。もう一度、掲載します。
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】
倉野憲司氏・岩波文庫出版の翻訳本・『古事記』に拠りますと、
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
是までの文章の中で、意味の判らないことは、「修理固成」「天の沼矛」「塩」「淤能碁呂島」です。「修理固成」の固成は、「固せ成せ」と訳されています。なんのことか判りません。
どうして、「天の沼矛」が必要なのか。訳本の注には、「玉でかざった矛」とあります。矛は普通は武器です。天つ神諸の命が武器を渡して、国を平定せよと命じたのでしょうか? 「塩」は訳本注には、「海水」となっています。矛の末より塩が垂たり落ちたという表現がありますから、海水が滴り落ちた可能性があり、淤能碁呂島という島が完成したとあって、辻褄が合います。ただ、最初にできた大切な淤能碁呂島がどこに出来たかは書かれていません。 古事記の作者は書きたくなかったのではないでしょうか?
例えば、 「塩」に注目してください。古事記には、塩は海水とは書いてありません。所が翻訳者の倉野憲司氏は、「海水」と欄外に説明を加えておられます。
日本書紀を持っておられる方は、もう一度、日本書紀をご覧ください。
本文には、「・・青海原が見つかり、その矛の先からしたたった海水が、凝り固まって・・・」
第一書には、「・・青海原をかき回して引きあげるときに、矛の先からしたたり落ちる潮がかたまって・・・」
第二書には、「・・天瓊矛をもって下の方の海を探ったら・・・」
第三書には、「・・玉飾りの矛で磤馭慮島を海をかきまぜてつくった・・・」
第四書には、「・・玉飾の矛で、海中をかきさぐって一つの島をつくった・・・」
如何ですか。全部、海から矛を引きあげたときに、矛から滴り落ちた塩で、島が出来たと書いてあります。
倉野憲司氏は、古事記に書いてあるものは、「塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時」とあり、海の塩とは書いてないので、分り易い様に解説をされました。しかし、どうして、海の塩と分かったかは、日本書紀を参考にされたのだと推察します。






