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No734神武東征(183)  神武天皇(126) 日本書紀と古事記 [日本大好き]

ずっと、No733神武東征(182)  神武天皇(125) 奥津鏡・辺津鏡(21)
のタイトルで書いてきました。神武東征の事を書こうと、はじめて、733回になります。日本の歴史に対する考え方は、どのような考え方をしても自由です。
 しかし、これが政治に使われますと、問題が生じます。
2009年12月に小沢民主党幹事長が、143人の国会議員とその他の方を連れ160人の人が中国を訪問しました。
 このような外交事例は、世界でも初めてだと思います。どのような様子出あったのかは、ご自分で調べてください。帰国途中だと思いますが、韓国に立ち寄り、日本は歴史を間違ってとらえており、そのために迷惑をかけたと日本国を代表して謝罪を述べました。

 魏志倭人伝が書き残した内容によりますと、着ているものでも、布に穴を開けた様なものを着て、裸足で歩き、刺青をしており、魚は海に潜って捕っていたなど、中国人の目から見るとあまりにも、未開人であるから、もの珍しく書き残したことになります。240年頃の事です。そうかと思いますと、桑を植えカイコを飼い糸をつむいでいました。これも、珍しいから書き残したのでしょう。
 中国の方が、絹の生産が、盛んであれば、このようなことは当たり前のことですから、書き残さなかった筈です。
 魏志倭人伝は、魏の国の歴史書です。中国は、日本だけではなく、朝鮮も書きました。漢字で書いてありますから、ちらっと覗いてください。
三国志高句麗伝 
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-kokuri-1sangokusi.htm
三国志辰韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-sinkan.htm
 ここには、『後漢書』辰韓伝も少し書いてあります。こちらには、〔養蚕を知っており、縑布を作る。〕
辰韓(しんかん)は、紀元前2世紀末から4世紀にかけて、朝鮮半島南部にあった三韓の一つ。帯方郡の南、日本海に接し、後の新羅と重なる場所にあった地域です。
 新羅は、朝鮮半島では、高句麗や百済よりも日本人に近かかったのではないかと思います。福建省、海南島、台湾などは、苗族の人の血が流れている筈です。
 チベットより川を降って来た苗族は、こうした地域に根を下ろしました。海を北流したことになります。南下した人達は、ポリネシアを通って、ニュージランドなどに、痕跡を残しています。
 小沢氏は、朝鮮半島から、やって来た人たちによって、未開の土地であった日本は、朝鮮人によって文化が開けたと云っておられますが、朝鮮半島からでは、対馬海流は乗り切れなかったと思います。
 稲作は、朝鮮半島から伝えられたと、小沢氏をはじめ多くの人が信じておられますが、稲作はもっと南の雲南省のあたりからもたらされた事が分かっています。苗族の人達が、漢字を使うようになったのは、最近ですから、詳しい歴史は分りません。所が、日本は早くから漢字が入っていましたから、日本書紀と古事記だけからで、いろいろの事が分ります。
240年頃は、裸足で歩いている位ですのに、その未開の日本へドンドン、大陸から人がやってきました。なにか素晴らしいことがあったからやって来たと考えるのが普通です。
 それは鉄であったり、銅であっても不思議ではありません。
古事記では、スサノオが製鉄所を襲った話が書いてあります。又、スサノオは、ヒルゼン高原の高天原を襲撃して、田の畔を壊したことも書き残しています。

 所が、このような話は、歴史界では完全に無視されています。それは、日本書紀にかいてあることは、正しくて古事記に書いてあることは、作り話しであるとされているからです。
 このように考えますと、邪馬台国は、どうしても、九州に有ることになります。
九州で発掘された古墳は、その多くは、中国人のものでしょう。考古学を無視して、物事を考えますと、今の日本は中国と朝鮮の人の知識があったから、存在するという結論に達します。
 それは、中国と韓国の人の望む歴史観ですから、それでも良いのですが、日本人は、もっと、2000年来の恩恵に心から感謝しなければならないと考える人がおり、その通りですから、これからもよろしくお願いしますと、政府を差し置いて、謝罪外交をするのは、如何でしょうか。
 私は気の毒ですが、朝鮮半島の人達は、半島内ではケンカばかりし、時には、北から攻められ、一番は中国の支配下に置かれていたのだと推理しています。 中国に征服された国は、殆ど、逃げました。朝鮮半島の人達は、海に逃げますと、4日もしますと、日本に到達することは出来ましたが、私は島根、鳥取、福井当たりに着いたと考えています。
 滋賀県は、海に面していませんが、大将軍を祀る神社がいっぱいありますから、朝鮮半島から来た人達の子孫である筈です。京都にも大将軍神社があります。丹後に上陸した人達は、南下して亀岡、京都に進出したでしょう。
 別に古代史を勉強しなくても、日本海の海流を調べるだけで、中国大陸を出ますと、日本のどこにつくかは、頭で考えるだけで想像が付きます。
 では、その人たちの証拠は、地名に残されていたり、神社であったり、風習に残されています。

 歴史は、このように考えをすすめますと、結構進むことは出来るのですが、日本書紀と古事記にぶつかってしまいます。
そこで、タイトルを「 日本書紀と古事記」に変えました。もう少し、続けて、イザナギとイザナミが国造りをしたところを検討して見ようと思います。