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No737神武東征(186)  神武天皇(129) 日本書紀と古事記(4) [日本大好き]

天地(テンチ)初發(ショハツ)之時。於高天原成神名(タカアマハラにおいて成る神の名は)。天之御中主神(テンノミナカヌシノ神)【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神(次はタカミサンソウノ神)。次神産巣日神(次はカミサンソウノ神)。この三柱の神は、並獨神成坐而(並びて獨り神で成りいます)。隱身也(身を隠されました)。
次國稚如浮脂而(次は、国が若くて脂が浮いているように、)。久羅下那洲多陀用幣琉之時(クラゲが成し漂える頃に)【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。(葦の芽が牙のように見え、燃え上がる時に、)成神名(お成りになった神は)。宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシアスカビヒコジの神)【此神名以音】次天之常立神(次はテンノトコタチの神)【訓常云登許訓立云多知】二柱神亦獨神成坐而。隱身也。(この二柱の神も又独り神でお成りいます) 上件五柱神者。別天神。(上件五柱の神、別天神です)

 こんな読み方はおかしいと思われる方は、ご自分で変えて頂いて結構です。その方が、いろいろ思いが拡がって良いかと思います。

 読み下し文を書いてみます。
天と地が始った時のままと思える高天原(タカマガハラ)にやって来た神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神でした。この三柱の神は、並びて獨り神でおられました。そして、身を隠されました。
 次は、国が若くて脂が浮いているように、(見え、(クラゲが成し漂っている(ように見える)頃に、又、葦の芽が牙のように見え(ぐんぐん成長して)、燃え上がる時に、お成りになった神は、宇摩志阿斯訶備比古遲神、次は天之常立神(テンノトコタチの神)です。(この二柱の神も又独り神でお成りでした。
上件五柱の神、別天神です。

この五人の神がやって来た高天原には、地名がありませんでした。これから後、地名の無かった所では、太安万侶は、必ず、その近辺の見た景色を書いています。では、太安万侶が高天原に行ったのかと云いますと、行かないで、奈良にいたと思われます。誰かから聞いたことになりますが、それは、序文に登場する稗田阿礼ではなかったかと推理しています。その根拠は、いつか書くことになると思っています。
 稗田阿礼は、どのような人物かと云いますと、太安万侶は、次の様に書き残しています。

時有舎人。姓稗田ヽ名阿礼ヽ年是二十八。為人聡明ヽ度目誦口ヽ払耳勒心。即ヽ勅語阿礼ヽ令誦習帝皇日継及先代旧辞。(『古事記』序)
訳:そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。すぐさま(天武)天皇は阿礼に「『帝皇日継』(ていおうのひつぎ。帝紀)と『先代旧辞』(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」と命じた。

重要な点は、〔聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない〕とあります。
 稗田阿礼は、古事記を作る資料を集めるために、あちこち旅をしたのではないかと想像しています。稗田阿礼は、その土地で見たものは、文章にしました。
 稗田阿礼が高天原にやって来た時は、次のような季節の時でした。
 国が若くて脂が浮いているように、(見え、(クラゲが成し漂っている(ように見える)頃に、又、葦の芽が牙のように見え(ぐんぐん成長して)、燃え上がる時に、
 
 稗田阿礼は、少し高い所から、神々がやって来たヒルゼン高原を眺めていたのだと思います。
 昔は湿地帯出あれば、どこでも葦原があったと思います。私の近くですと、大阪府高槻市にあります。淀川の中州にあります。ここでは、春になると葦焼きが行われます。結構楽しいものですから、一度訪れられますと、葦を見ることが出来ます。

鵜殿の葦焼き
http://brosp1.hp.infoseek.co.jp/udono.html

 春になりますと、多くの植物は天に向かって、伸びます。今、目にするのは、木蓮です。蕾の時は、先が尖っています。芽を吹き出した葦が、どのような様子なのかみたことはありませんが、稗田阿礼は、牙のように見え(ぐんぐん成長して)、燃え上がる様に見えたと表現しました。
 稗田阿礼は、見ただけではありません。あちこちで、古老から話を聞いたり、神社では、伝えられている話も、耳にしました。 そして、それらのものは、出来るだけ、書きとめないで、暗礁する様にして、太安万侶に伝えたと推察します。
 その記憶力の良さを、時有舎人。姓稗田ヽ名阿礼ヽ年是二十八。為人聡明ヽ度目誦口ヽ払耳勒心。即ヽ勅語阿礼ヽ令誦習帝皇日継及先代旧辞。(『古事記』序)
書いたと理解します。

〔國稚如浮脂而〕の部分の意味は、前後の文章から見ますと、〔国というには、まだ若いヒルゼン高原の様子は〕という位の意味でしょうか。