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No738神武東征(187)  神武天皇(130) 日本書紀と古事記(5) [日本大好き]

古事記の原文〔天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也
此れだけの文章に、「天」の字が、3回出てきます。どのように読むかは、「天地初發之時」のときは、「天地」は、「地」に対しての「天」ですから、「テン」でしょう。だから、作者は何も書いていません。
次の「於高天原成神名。天之御中主神」の部分は、【訓高下天云阿麻下此】のように読むのですよと、注釈を入れました。【訓高下天云阿麻下此】これは、「高」の下にある「天」は、「阿麻アマ」と読んでください。この後もこの調子で読んでくださいと書いてあります。
この後は、一番に「天之御中主神」があります。これも「阿麻」と読むのでしょう。高天原に関係のあるもの滇は、すべて、「阿麻」と読むのでしょう。
 ただ、天之御中主神の〔天〕の部分は、出身地を表すのではないかと疑っています。まだ、高天原が完成したわけではあのませんから、「阿麻」と読むのは間違いかも知れません。

 話題は、少し変ります。中国の雲南省に昔、〔滇〕という国があり、その国から、いろいろの所へ移動した形跡があります。その人たちは、最近まで字を使っていませんでしたから、そのような資料は一切ありません。しかし、どうやら苗族と呼ばれていた人々だったらしく、海南島、台湾、福建省、新羅(朝鮮半島にあった国)などに共通する点が多くあります。例えば、福建省には、〔福〕の字がつく地名が残っています。
 日本では、〔福良〕とか〔福浦〕の付く港が一杯あります。
【福の字のつく地名】http://homepage1.nifty.com/o-mino/page518.html
苗族が、計画的に日本へやって来た跡ではないかと推理しています。この港には、川が流れ込んでいます。この川に沿って、上流に遡りますと、〔福〕とや〔田〕の字がつく地名がいっぱいあるのが分かります。
 苗族の人達が日本へやって来て、そこで、稲作を行い、地名を残したのではないかと推理しています。ですから、稲作は、朝鮮半島から伝わったのではなく、海南島や福建賞を経由して日本の天草の辺りに移住して来たのではないかと考えています。
 天草の場合は、神武天皇が、呼び寄せたのではないかと考えています。
 その証拠として、神武天皇を祀る神社は、天草が一番多いことになっています。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page311.html神社が沢山ある所は、神武天皇が神武東征のおり、立ち寄った所と一致します。

 天草に到着した苗族は、稲作を九州からはじめ、東へ、北へと伝えたことになっていますが、日本海にそって、一気に全国に広がったと考えています。東北で発見された稲作の遺跡を調べて頂きますと、日本全国一斉に稲作が行われた事が分かる筈です。

高天原に最初にやって来た人は、次の三人です。
①天之御中主神---滇からやって来た人達の中心人物です。
②高御産巣日神---〔高〕からやってきた産巣日の一番偉いひとです)
③神産巣日神----ユダヤ人の産巣日の人です。
 
〔高〕からやってきた人。〔高〕とはどこか、それが分かりません。現在探している所です。
高からやって来た人は、はじめに、高い山に登り、自分たちの位置を決めたと思われます。勿論、その山には名前を付けました。〔高〕という字をつけたのではと推理します。
高見山―――全国に6ヶ所あります。
高尾山------全国に、70以上あります。 これは、紀元前の人が、目印にしていた可能性が大きいです。 
地名 「高尾山」 http://homepage1.nifty.com/o-mino/page421.htmlまだ、調査中ですが、高御産巣日神の〔高尾山〕ではなさそうです。 しかし、〔高尾山〕の高出あるとしますと、イザナギとイザナミに関係がありそうです。となりますと、〔高〕は、〔タカ・多賀〕ではなかったかと推理します。
 伊弉諾神・伊弉冉神の代表者として、高御産巣日神が派遣されたと云えるかもしれません。

イザナギは、高天原をアマテラス・スサノオ、月読むに任せて、古事記によりますと、多賀に引退したことになっています。
〔高〕という地名は、つぎのものだけ見つけました。それ以上のことは調べていません。
 京都府綴喜郡井手町大字多賀小字内垣内
広島県庄原市高町市場
福島県南相馬市原町区高字金井神
群馬県多野郡吉井町高
宮城県本吉郡本吉町高
多賀は沢山ありますが、伊弉諾神が引退したのは、滋賀県です。現在、多賀神社のある所ではなく、近江八幡市の多賀ではなかったかと思っています。

私の推理は、天之御中主神はあちこちで、調査を行いましたが、その痕跡が、現在祀られている神社と関係があるのではないかと。。 滋賀県近江八幡市中之庄は、すぐ、東に白王という地名があります。白王は、イザナギと関係があると考えています。(白山も関係があると考えています。これから調べるところです)  白王から水路を隔てた本土側に、多賀があります。
滋賀県に雪野山があり、頂上に前方後円墳があ、三角縁神獣鏡が出土したとありましたので行きました。
http://www.bcap.co.jp/yokaichi-kanko/kankospot/yukinoyama.html
雪野山は別名、龍王山と言いますから、麓には、中国人が住んでいたと目星をつけて行きました。山の南の麓には、龍王寺というお寺がありました。こちらは、調べていません。その隣に「天神社」がありました。建替え中で、社はありませんでしたが、祭神が、天御中主神と書いてありました。天皇家を崇拝する人達がこの神社の辺りに住んでおられましたが、其地には、龍王寺が出来、その中心人物は、山の頂上に葬られ、その山は、龍王山と名付けられたと思われます。龍王山は、中国人の人達が、崇拝した山に名づけられました。
参考 【No350 岡山県の龍王山】
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2006-11-18

 この二つの事から、伊弉諾神と「高」は関係があったのではないかと考えているのですが、この辺りの方は、高天原は、天之御中主神社の裏山にあったと思われているそうです。

鹿児島県鹿児島市宇宿町915番地に天之御中主神社があります。この神社の由緒によりますと、800年前にできたように書いてありますが、神武天皇を祀る神社は、鹿児島には、15社ありますから、天草にやって来た人達は、鹿児島。宮崎、山口を通って、全国に移動した経路を想像することが出来ます。

③の神産巣日神は、説明をしますと、長くなりますので、省略します。
参考に 【頭に「神」がつく、神と人】
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-07-19

この三人は、日本書紀には書かれていません。
何故か、考えて頂ければと思います。
次回、私の考えをかいてみます。