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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(73) 妹伊邪那美神(4) [日本の歴史]

 前回の文章の意味はお解りになりましたか。

「於其嶋天降坐而」から始まる厖大な漢字ばかりの文章は、難しくて、読む気が起こりませんが、「我身者、成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以爲生成國土、生奈何。」の部分の倉野憲司氏の翻訳ですと、「吾が身は、成り成りて成り合はざる處あり。」と答へたまひき。
 
「と答へたまひき」の部分は、沢山書きました「「吾身者、成成不成合處一處在。」爾伊邪那岐命詔「我身者、成成而成餘處一處在」の前部に、「汝身者、如何成。」答曰 と書いてあります。
  この翻訳文が、判らなければ、自分で、翻訳しようとしても、判らないでしょう。

古事記の多くの文章に見られる字は、「音」だけを表し、漢字がもつ、本来の意味を表さないことが多いですが、倉野憲司氏は、適当に、意味が通る様に、都合よく、取り入れて、翻訳して居られる事が判ります。

 この古事記を書いた太安万侶は、このように苦心しながら、蛭子の話を挿入しましたが、古事記では、「水蛭子」と書いてあります。日本書紀にも蛭子の事が書かれていますが、古事記より詳しく書かれています。

 どうして、「水蛭子」と書いたのでしょう。この古事記の水蛭子をみて、日本書紀の編集者は、古事記より詳しく、蛭子の事を書いたのでしょう。

とは云うものの、日本書紀の編集者は、蛭子のことは、三回書いていますが、その一つは、生れまれてから、三年間、育てたが、歩く事が出来ないので、流したと記しています。

古事記の前に、蛭子の事を書いたものは、無いそうです。その直ぐ後に、日本書紀に書かれた蛭子は、他の方の研究では、日本書紀を元にして、いろいろの所に流れ着いた記事は存在するそうです。

 以上の事から、712年に初めて書いた太安万侶は、兄妹の間に生れた子供には、蛭子が多く生れることはどうして知っていたのだろうと考えましたが、古事記には場違いの記事ですから、やはり、高天原は、ひるぜん高原だと言うことを暗に知らせる為の記事で無かったかと考えました。

 これを考えたのは、私ではなくて、田村誠一という方でしたが、田村氏の論法では、ひるぜん高原に在る、中蒜山の五合目にある日留神社のある所が、古事記に書かれているオノコロ島です。



『古事記』では淤能碁呂島(おのごろじま)、『日本書紀』では磤馭慮島(おのころじま、初字は「石殷」で一字)と表記する。

のような話は、歴史学会では、100%、無視されています。

 100%無視されている事を、素人の私が挑戦しても無理かも知れませんが、その後、ヒルゼン高原の五合目をはじめとして、 その一帯を歩き、関連した所へは、田村誠一氏の真似をして歩きまわりました。 二年はかかったでしょうか。
以下、その頃に書いたものです。

日留神社は、高天原の中心だった
http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page485.html

日本大好きNo120 高天原はヒルゼン高原だった 
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-07-09

No121高天原はヒルゼン高原だった—2
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-07-10

日本大好きNo122高天原はヒルゼン高原だった—3
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-07-11

日本大好きNo123高天原はヒルゼン高原だった—4
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-07-12