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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(80) 妹伊邪那美神(11) [日本の歴史]

 前回、最後に変なことを書きました。

「オノコロ島を漢字で書いてください」

書けましたか。ウィキペディアでは、次のように書いてあります。

古事記は ----淤能碁呂島(おのごろじま)
日本書紀 ----磤馭慮島(おのころじま、初字は「石殷」で一字)と表記する。
 この漢字を書くことのできる人は、あまり、おられないでしょう。日本書紀の最初の漢字は、どうして、「初字は「石殷」で一字」と書いてあるのでしょう。
カシオの EX-word は、(おのころじま)で検索しますと、「磤馭慮島」はヒットします。
同じく、漢字辞書で、(おの)で検索しますと、「磤」はヒットしません。
 これは、多分、「磤」の漢字は、日本にも、中国にも、存在しない漢字ではないでしょうか。(古い漢字辞書)ですと、存在するかも知れません。
 どうして、このようなことに拘っているかと云いますと、日本書紀の方が、先に書かれて、古事記はその後に書かれたと言う歴史家が居られて、ただの学説で無くて、これまでに、三冊の本を出版しておられるとネットに書かれていたからです。
この方の本を買って、どのようなことを書いて居られるかを調べなければなりませんが、私には、その為のお金も、時間もありません。
もし、日本書紀が先に書かれて、太安万侶が、この日本書紀を参考にして古事記を書いたとしますと、それは間違いだろうと、誰にもいうことは出来ません。
もし、日本書紀に書かれている、「磤馭慮島」を見て、太安万侶を書いたとしますと、当時、存在しなかった「磤」を太安万侶は、「お」と読んだことになります。それだけではなくて、「磤馭慮島」に書かれている漢字には、意味があった筈です。
古事記の方は、同じ様に漢字が使われていますが、漢字には意味は無くて、読む時の「音」を表しています。
歴史家は、どなたも、どうして、イザナギとイナミが造った淤能碁呂島が、どうして、このような名前になったかは説明して居られません。
日本書紀の方は、「馭」は、馬をならして、あやつる人。御者。
「慮」はおもんばかる。思いめぐらす。読みは、「ロ」と読ませています。
「碁」の読み方は、ゴ、キ、ギ  のみです。 古事記は、(おのごろじま)の読み方に成ります。
もし、太安万侶が、日本書紀を見て、淤能碁呂島(おのごろじま)と書いたとしますと、おかしいことになります。たかが、「コ」と「ゴ」の違いではありません。
イザナギとイザナミが、初めて造った島の名前です。
その後、二人は、次々と「島」を生んだと書いています。全部、実在する島です。
他の島の事は、忘れても良いですが、淤能碁呂島は、太安万侶が付けたのでしょう。
そのようなことは、どうでも良い様ですが、どうやら、淤能碁呂島(おのごろじま)は、イザナミとイザナギが、最初に造ったようで、しかも、ヒルゼン高原の日留神社の所にあったことを太安万侶は、書き残したのではと、古事記を読むようにしています。
では、淤能碁呂島の名は、なにをヒントにして決めたのでしょうか。日本書紀が先に書かれたのであれば、読むことのできない「磤馭慮島」を見て、太安万侶は、どうして、淤能碁呂島としたのでしょうか。
記紀のどちらが、先に出来たとしても、どこからヒントを得たのでしょうか。

あるとしますと、妹伊邪那美神の「妹」にあると----即ち、「水蛭子」にあるのでしょう。